どうやったらライターになれますかという質問への回答、あるいはただの職務経歴書
私は仕事上のやり取りもあったりして、TwitterのDMを開放しているのですが、先日立て続けに何件も「どうやったら藤井さんのようなライターになれるのですか」「どうやったらスポーツライターになれますか」「陸上のことを書くライターになりたいんですがどうしたらいいですか」という質問が舞い込み、なんじゃなんじゃ…と思ったのでせっかくなのでまとめてみることにします。ちなみにこれは完全な私見ですので、他にも道はたくさんあると思いますが、「私が回答するとしたら」ということになりますのでよろしくお願いいたします。
ライターになるための近道は
ずばり、出版社や新聞社に就職するか、Webメディアの運営会社に入る(編集部に入る)ことです。
身も蓋もないですがその通りです。そうすれば書くチャンスは自ずとまわってくるでしょう。ただ、一部のメディアはライティングは全て外注、社員は企画や管理のみ、というところもあるのでそこはちょっと注意。なんにせよ気になったメディアのことはリサーチしてみてください。WEBメディアとかだと、けっこう募集も多かったりします。
そうは言っても、実績がないんで無理です、という方に言いたいのは
とにかく書けよ。
乱暴な言い方になりますがこれにつきます。今はTwitterもnoteもブログも、何か発信しようと思ったらさまざまなツールが溢れています。そこでとにかく書き続け、発信し続けること。何か書ける?と聞かれた時に、こんなものが書けますという例をパッと出せるだけで全然違います。「ライター募集(未経験可能)」という募集があったとしても、仕事としては(お金をいただいては)やっていないけど、こんなことを書けます。というものを出してくれる人はやっぱり目をひきます(ライター募集してた経験からしても、間違いないです)。
仕事を頼む側からすると、何も例がない人には怖くて頼めません。まず仕事じゃないから、お金をもらえないから書かない…。そんな考えの方は正直ライターには向いていないと思います。書くことは好きじゃなくてもいいけど、なんか気づいたら垂れ流してる人、がやはり書く仕事には向いていると思います。それと、もしかしたら発信しているうちに誰かが見つけてくれることもなきにしもあらず、です。
あとこれは後述する私の経験からも言えることですが、だいたいの会社って、新卒で入るより、転職で入る方がはるかに簡単です。だから学生の方は、新卒で希望の会社に入れなかったからといって諦めないでください。まじで。
その分野の経験は必要か
これまたセットで聞かれるのですが、「藤井さんは陸上経験があるんですか?」。ありません。中学で陸上部に入りたかったけど、入学したら陸上部なかったからオーケストラ部に入りました。で、ビオラをやってました。なんでビオラかというと、弦楽器をやってみたかったけどバイオリンはもう経験者がいっぱいいたから、それっぽくて形がほぼ同じビオラにした。というすごい適当な理由です。でもビオラは楽しかったですよ。今上天皇もやってるし。それと、ここ10年ぐらいはゆるっと走ってはいます。主に健康のため…。
これは私見ですが、「経験はあるに越したことはないけど、愛または興味はそれを超越する」。もちろん、経験があればそれに基づいて質問できたり、他の人とは違う視点で記事を書けたりもするでしょう。ですが、相手にするのは最終的には「人」です。この「人」が、どんな思いで、どんなつもりで動いているのか知りたい。経験はなくても心に寄り添うことはできます。
それから、読んでいる読者は大半がその道のプロではない人なわけで、経験がないということは「読者目線で知りたいことを届けられる」ということかなとも思っています。たまに取材者の意図を汲み取れず書いてしまい、厳しくお叱りをいただいたりもしますが。それもありがたく受け止め、成長の糧となっています。
あと、興味があったら/好きだったら自ずといろんなことを調べるようになるので、ある程度のことはカバーできるのではないかと思います。そういう意味では、私は小学生になる前から箱根駅伝を見ていて、「あんなふうにかっこよく走ってみたい」とずっと思っていました(女子なのとあまりにも足が遅いので難しいのだなと途中で気づいたけど)。だから私にとって長距離選手は「マジですごい尊敬できる人たち」です。ていうか、長距離選手に限らず、どんな分野の人でも自分にはできないことを極めていたりするので、すごいな、尊敬だなと思います。そういう気持ちで接していれば、失礼なんてできない。ちゃんと取材前に準備して、しっかり話を聞かせてほしい、という風になるのではないでしょうか。
逆に言うと、知識ゼロで突っ込んでいってあまりにもトンチンカンな質問をするのは、さすがに相手の時間をもらっている立場では失礼に当たると思います。許されるのはフワちゃんとか「そういうキャラの人」だけかなと思います。
私の経歴を聞いても何の意味もないよ
ここまで要点というかなんというか、を書いてきましたが、それでは私はどうやって今の職業についたのかというのを順番に書いていこうと思います。なぜか「私がどうやって編集者/ライターになったのか」を知りたい方が多いようなので。しかし、絶対にトレースできないし私の経歴を聞いても意味がないよ。と思うんですが、興味がある方だけ読んでください、それではどうぞ。
とにかく活字が好きだった子ども
私は小さい頃から本を読みまくっていて、新聞も全部なめるように読んでいて(漢字がわからないまま当て読みしていたので、今でも誤読がたまにある)中学生になっておしゃれに興味を持ち始めてからは雑誌にもハマりました。でも当時は月1冊ぐらいしかおこずかいでは買えなかったので、暇さえあれば近所の本屋に行って立ち読みしまくっていました。週何回も行っていたので、どの雑誌が何日・曜日に発売されるかというのは(興味がある範囲の雑誌は)ほとんど把握してました。あとどの雑誌にどんなフォントが使われているのかとかも熟知している、すごい変な女子中学生・高校生だったと思います。
そんなわけで「雑誌を作る人になりたい」と漠然と思うようになりました。いわゆる「ゆる系」「カルチャー系」の雑誌。その筆頭がマガジンハウスだったわけですが、なんと新卒での就活のタイミングではマガジンハウスの採用がなかった。やる気なくすわ。その他出版社もいくつかうけましたが、いいところまでいきましたが採用には至りませんでした。
新卒では出版社に入れず、よくわからない経歴に
大学生当時、18きっぷで日本縦断なんかもしていたため、旅行系もまあ面白そうだな、でも旅行会社はめっちゃ大変そうだからインフラだな、大元を押さえていればいろんな事ができるんじゃないか。という思考により、JR東日本を受けたらなぜか受かった。今思うと完全に就活を舐めてましたが、とりあえず受かったので行くことにしました。書いててなんかこいつバカなの?って思ってきた。すいません。
JRでは総合職でもまず現場、というジョブローテーションが組まれてました。なので駅員をやり、車掌をやり。それはそれなりに楽しくて、その後オフィス部門に行けるはずだったのですが、なぜか私の代からいきなり集められて「運転士もやれ」と告げられます。ここで焦る24歳。周りの友人は着々と仕事をしているのに、いわゆる「ビジネス」をしないまま(「ビジネス」というかまあ、オフィス部門というイメージと考えてもらえれば。JRだと「非現業」といいます)27歳になるのか?そこからじゃ遅いと思う。無理だな。と思い25歳で退社。今思うと27歳まで運転士やってからでも転職できるし逆にマジ美味しくねその経歴?って思うんですが、20代の頃ってなぜかめちゃ焦ってますよね。
※弥彦線の車掌をやっていたわけではありません、念のため。
退社後はせっかくなので世界一周に行って、その後就活?を開始。転職サイトの第2新卒案件に応募するも、「何の経験もないですね」とか言われる。当たり前だろJRで駅員と車掌やってたんだぞ。その上で応募しとんじゃ。舐めとんのか。転職サイトはだめだ。と思い自力で雑誌の後ろの方のページ(奥付のこと)を見まくり、とにかく出版社の「編集アシスタント募集」のアルバイトに応募しまくりました。
念願の「編集者」生活スタート、しかし…
で、拾ってくれたのがエイ出版社というありとあらゆる雑誌を出している出版社。面接受けに行って、「駅員と車掌やってました」と言ったら「何それクソ面白いじゃん」って言われて即採用された。何が役立つかわからないものです。
ここはとにかく少人数でたくさんの数の編集部が構成されており、ものすごい数の本を出している、まあ薄利多売モデルの出版社でした。入って1日目に「取材リスト作って」と言われ、3日目には「取材行くぞ」といわれ、半日だけ先輩編集者がついてきてくれて、あとはベテランカメラマンさんに助けられながら取材をこなす、という猛烈スパルタで育てられました。
下っ端なので一番早く出社してコーヒー入れるからはじまり、だいたい帰るのは12時すぎてから。今だったら問題になるようなブラックな働き方ですが、当時若かったし、とにかくできることを増やしたくて必死でした。それに、眠くて辛いとは思ったけど、それよりできることが増えていく喜びの方が勝っていたと思います。
どうにかこうにか、特集ページのとりまとめを任されるようになったぐらいで父が入院、大手術をしたのち長期入院が必要となり、どう考えても介護と仕事が両立できない。会社にも聞いたけど(当時は)介護休職のようなものはない。でもまあ仕事はやめてもまた見つかるし(フリーランスで会社に関わっている人がすごく多かったのも見ていたし)、親は親だけだからと思い退社。その後しばらくフルタイムの仕事からは離れました。
Webの世界へ
諸々が落ち着いたタイミングで知り合いのつてで小さなWEB制作会社に入り、HTMLから学びつつ、「文章かけるの?じゃあコピー書いて」と言われたりして請け負ったサイトの文言を考えたりすることも。そんなことをやってたらやっぱりもっと「書く」を仕事にしたいなあ、と思って、副業でもいいからやろう。と決めて「ライター募集WEB」というこの上なくあやしい掲示板に「旅行系、グルメ系その他書けます」。みたいなPRを投稿しました。
そしたらなんと立ち上げ間もないベンチャーから連絡が来ました。社名を検索するもその時はまだホームページもなし。アクティビティを紹介するサイトを作るから、その紹介文を書いてほしい…ということでした。
なんとか四苦八苦しながら続けること1年、なんとその会社に「ジョインしませんか(要は入社どう?)」というお誘いをいただき転職。そこから、旅行系アプリに使うスポットの紹介文を書いたり、アクティビティ事業者の紹介文を書いたり、外部のライターさんに発注したり、インターンに文章の書き方を教えたり、となんでもやりました。
「メディア作ってよ」鶴の一声で編集部立ち上げ
転機は3年目。私ともうひとりが社長に呼ばれ、「メディア作ってよ」といきなり言われました。そんなざっくりとしたオーダーで、おでかけメディアを始めることになりました。編集側は私ともう1人、エンジニア側は2人。とにかく書いてみる。出してみる。ランサーズなどでライター募集してみる。見様見真似で始めたので、最初は新しくオープンした店に行って勝手に記事にして「行ってみた」系の記事なんかも書いてました。そんなことしてたら「取り上げてくれてあざす」と言われたり、PR会社からプレスリリースが送られてくるようになりました。そしてカメラを持って取材に行ってみたら、普通に大手出版社やらテレビ局なんかもいて、あれ、もしかしてちゃんと「メディア」として扱われてるよいつの間にか。まあとにかく取材、執筆、SEO、なんでもやりました。2度言ってしまった。そのうち営業がタイアップ広告もとってきてくれるようになり、出張にも行ったり、広告企画も考えたり、なんだかんだいっぱしのウェブメディア編集者になっていました。
ちなみに少し話がそれますが、旅行系メディアって基本的にワードの取り合い(「東京 観光」とか、「ランドマークタワー」とか)なので、SEOによりがちです。ていうか基本的にゴリゴリSEO。ですが私は当時上位に来てた、こいつ絶対スポットのこと知らないだろ、っていういわゆるコタツ記事を駆逐したくて執念を燃やしてました。全国に旅行に行った経験を生かす時は今ぞ!という使命感が半端なかった。近場ならできるだけ取材に行き、自分で見たものを詳細に伝える。弱小ドメインながら「上野動物園」で1位を取れた時は本当に嬉しかったです。ちゃんとしたコンテンツを出せば評価されるというのは、私の成功体験にもなりました。(だから世の中の「〇〇の彼女は誰!?」みたいな記事は早く滅んでほしい)
話がそれました。
試行錯誤しながら着々とPVを増やしていたメディアでしたが、自社メディアというのは、ご存知の方も多いと思いますがだいたい儲かりません。そして自分より(編集などの)スキルのある人がいる、という環境ではなかったため、このままでいいのか?とこの先を考えたときにいろいろ思い悩みました。SEOもけっこうやりきったし、会社の方針転換によりメディアとしての形態はなくすということだし、そろそろこの会社でできることはやりきったという気持ちがありました。じゃ、卒業すっか。
結果、5年勤めた会社を辞め、ご褒美に世界一周へ(またか)。便利なもので、海外からもスカウトメールに返信したりしていました。
求められるものとやりたいことのせめぎあい
メディアを立ち上げた経験がある、というのはけっこう求められるものらしく、「うちでもオウンドメディアやりたいんです」「新しいメディアの立ち上げ責任者になってください(部員は最初はあなた1人)」という会社の求人がかなり来ました。だけど私がやりたいのは部署1人の立ち上げ屋さんではないんだー。たしかに立ち上げやさんやったら、お金いっぱいもらえるかもなんだけど、もうそれはよくて、もっと私よりスキルのある人もいる環境で、チームとして働きたいんだー。
そんなことを年上の友人に相談していたら、朝日新聞社が新しい事業としてWebメディアをたくさん立ち上げるよ。人を募集してるよ。ということを教えてもらいました。なにそれ気になる。
履歴書を送ったら面接となり、立ち上げたサイトや取材した記事を見せていたらとんとん拍子に話が進みました。そして面接の翌月には入社。しかし入ったものの、新しい部署すぎてやることがない。笑 最初は原稿の校正をひたすらやったりしてました。そうこうしてるうちにミレニアル女性向けサイト「telling,」が立ち上がり、取材などを手伝うことに。
初めて芸能人の方に取材させてもらったりもして、取材前は緊張しすぎてとにかく準備に準備を重ねました。新聞、週刊誌、いろんな部署から来た方々がいましたが、基本的に「紙」の文化。Webでやってきた私の話を新鮮に聞いてくれ、私も皆さんからいろんなことを学びました。
当時は部署内の何でも屋さんだったので、SEOの基礎講座もやったり、telling,の後に立ち上がったサイトにも取材して記事を書いたり。そうこうしてるうちに立ち上がったのが「4years.」です。(やっと出てきたよ!)
この部署で一番大学駅伝に詳しいし好きです、と言っていたら「出雲駅伝の取材行ける?」と言われ、「行きます!」と答えたのが私の4years.初取材。ガチ陸上好きの友人に情報を聞いて最適なおっかけルートを考えたり、宿や飛行機を予約したりして(これはお手の物)、そして初めての現場。そうやって徐々に関わる濃度が濃くなっていき、一昨年4月から4years.の専属となり、編集兼ライター兼カメラマンとしてやっています。だから実は私は、明確に「スポーツライターになりたい」と思ったことはなかったのです。でも今の仕事はとてもエキサイティングで、ようやく高校生の時から考えていた職業のようなものになれているのかな、とも思っています。
どうでしょうか、役に立たないでしょう。
チャンスを逃さないように準備をしておく
ただ一つポイントを言うとすれば、最初にもいいましたが「チャンスが来たときにすぐに動ける準備をしておく」ことだと思います。転職でも、4years.の取材の話でもそうだったなと思います。やりたいことをやりたいと言い、諦めず、その道につながることを模索し続ける。まずひとえに「求められる自分」であるためにスキルを磨く。人とコミュニケーションを取ることを厭わない。人脈はたしかに大事だけど、他力本願には決してならない。
私はもちろん今の仕事は好きですが、「編集者」としてメディア以外の可能性もあるんじゃないだろうかと思い、さらにチャレンジをしようとしています。が、それはまた別の話で。大変な長文・駄文におつきあいいただき、ありがとうございました。