物語の光。背景の影。
小さい頃の口癖は、「もう一回!」だった。テレビに吸い込まれるくらい夢中になって観たディズニー映画や好きなアニメ。観た終えたあとに流れる「END」や「おわり」に納得がいかない。
物語に納得がいかないのではない。物語がおわってしまうことに納得がいかない子だった。今までの楽しかった時間が一気にしぼんでしまい、途端きゅうううっと小さなこころを締めつける寂しさが襲う。
必死に言う、
「もう一回!」
ビデオの巻き戻しや、再生ボタンの押し方がわからないわたしは周りの大人に叫ぶ。
飽きずに何度も観た。一度わたしを夢中にさせるものは何度だって夢中にさせたし、追われる「おわり」から逃げるように「好き」を追いかけた。
***
今考えると、物語が好きだったのだろうと思う。わくわくドキドキさせられる、自分の日常にはない繰り広げられる彩り豊かな時間の流れ。まだその当時は言葉にはできなかったであろう複雑な感情たちが、ただ感じるままにこころに流れ込んではされるがままに感受性がつくられていったように思う。
ただ目の前で起こるテンポが好きだった。
それは今も同じだ。映画も小説も好きだし、ディズニー映画だって大好きだ。
でも今は、幼稚園生だった頃のわたしより少しだけ大人になってくれたようで。
もし、物語が「光」だとしたら。
主人公が行動に移した背景や、涙を流した心情や、放った言葉の裏側である、人の「影」をもっと知りたいと思うようになった。
人は相手のスポットライトが当たっている部分しか見えない。笑っていれば元気な人で、泣いていれば悲しい人。そんな物語がとても好きだけれど、「なぜ、そう思ったのか」「なぜ、そうしたのか」人の背景を聞くことで、目の前の人の物語はより鮮明に、色鮮やかになる。
あなたの光も影も知りたい。
すべてを理解できるとは思わない。理解できなくていい。でも、理解したいと思うことはできる。
物語をつくる背景。光をつくる影。