尊いって日常なのかも。
「認知症になったらもうずっと認知症のまま生きていかなきゃいけないの?」
お風呂上がり、もふもふの冬支度をしたパジャマに包まれてソファに座ると母が見ていたドラマを一緒になって眺める。
「大恋愛〜僕を忘れるきみと〜」。戸田恵梨香演じる認知症になってしまう女医と彼女を支えるムロツヨシ演じる元小説家の王道ラブストーリーらしい。
わたしの母は、介護士だ。
日々、何回も何回も同じ話をするおばあちゃんや、一人でお風呂に入れないおじいちゃんの世話をする介護士。
ドラマを観ていて純粋に苦しくなったわたしは、母に聞いてみた。忘れてしまう、とはどんな人生を送るのか。まるで小さな子のように口をついてでた言葉だった。
認知症になってもすぐに亡くなるわけじゃないからねえ。本人は忘れちゃうから幸せだけど周りは大変だよ。
このドラマの中の彼女はこれからどうやって生きていくんだろう。わたしが若年性アルツハイマー認知症になったら、どうするんだろう。
わたしもきっと、彼氏がいればこのドラマの中の彼女と同じような台詞を言いそうだし同じような表情で同じような涙を流しそう。わたしもきっと、彼女と同じように未来に想いを馳せ忘れてしまうことへの罪悪感で押しつぶされそうになる、のだろうか。
実際になってないからわからないけれど。
わたしは誰を、なにを、大切にして生きたいだろう。明日生きてる保証なんて、誰もない。ましてや生きているのに忘れてしまう治らない病気に、なることだってあるのだ。人は記憶と共に生きているとするならばそれは本当に辛いこと。まるで一秒後には違う人の人生を生きているかのような表情をするのだから。
笑って生きたいと思う。わたしはきっと、最後まで笑っていたいと願うだろう。笑うことが、好きだから。
好きな人と笑ってる時間を一秒でも長く、この世界に。尊いって日常なのかもしれないなあ。