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私はあの子になれないけど、あの子も私にはなれないから。
「どうして自分だけ...」物事がうまく進まないと、悲劇のヒロインになりがちだ。
新卒で入社した会社を早期退職してしまった。転職にも失敗した。友達は、就きたかった仕事に就いて楽しそうに仕事をしている。彼氏となんだかうまくいかない。でも友達は彼氏とも仲が良く、楽しそう。
「もう、どうして自分だけ!」
世の中の自分以外の全てが、冬のイルミネーションのようにキラキラして見える。いいなぁ。すごいなぁ。そんな思いは、「他人の目」となり、物事を決めるときにひょこっと出てきて脳裏をちらつく。
「こうしたい!」と胸を張って言える、自分だけの美学とやらはどこを彷徨っているのか...。迷子になったきり、帰ってこない。
キューバへ旅に出た。
映画でしか見たことのないクラシックカーが走り、色鮮やかな街並みが華々しい首都、ハバナ。「絵に描いたようなキューバ」にお腹いっぱいになった私は、ハバナから車で3時間の田舎町ビニャーレスへと向かった。
映画ジュラシック・パークの舞台になったこともある、とネット記事で見かけた一行を思い出す。
本当に、恐竜が出てきそう...
欝蒼と生える草や、日本では見たことのない大きな木々。ジャングルとも、草原とも違う。遠くには山が見え、霧がかかる。赤土の道は、昨日降った雨でぐちゃぐちゃで。その中を、馬に乗って移動する人々。朝食は、放し飼いにされた鶏とひよこが足元をうろうろする中、パクパクとスクランブルエッグを食べるという、今までの人生で経験したことのないシチュエーションだらけだった。
地球にはこんな場所もあるのだなぁ...と呆気にとられる。
馬に乗り、農業を営み、葉巻の生産で生計を立てている、この街で暮らす人たち。カウボーイのおじさんは、私に馬の乗り方を教えてくれた。渓谷に囲まれた広大な大地を、一緒に駆け巡る。すれ違う人々。挨拶をし、会話をするたびに、思った。
“自分がこの街の子でも、おかしくなかったんだよなぁ”
“もし、ここに生まれ育ってたら、どんな人生だったのだろう”
草原を眺め、ふとそんなことが頭をよぎる。途端、自分が自分であることが、不思議でたまらなくなった。
私は、たまたま日本という国に生まれ、たまたま平成という時代に生まれた。たまたま、首都圏内で育ち、たまたま、長女で。たまたま・・・
自分では選べない、何の意思も働いていない、たくさんの奇跡の積み重ねで、「今の自分」という唯一無二の存在が誕生した。「あのとき、あの人に出会わなかったら」「あのとき、あの道を選んでいたら」きっと今の私とは違う、別の誰かになっていたはず。
唯一無二の存在だから。唯一無二の悩みがあり、喜びがある。選択も違えば、大事にしたいことも違う。他人とは何一つとして同じにはなれなくて。すれ違うことや、分かり合えないことがあって当然なのだ。
私は、たまたま生まれた「私」以外の何者にもなれない。
だったら。
「自分を最大限に生かして生きる」ことでしか、幸せにはなれない気がした。
私はあの子にはなれないけど、あの子も私にはなれないのだ。
乗馬を終え、馬から降りる。
握手とハグを求めるカウボーイの表情は、本当に「いい顔」をしていた。自分の仕事に、生活に、そして自分自身に、誇りを持っているんだなと。
自分ができること。好きなこと。今、持っているもの。他の誰かが決めるわけでもなく、彼が全てを決めてきたわけでもない。奇跡の積み重ねで生まれた唯一無二の自分を生かして暮らしている人間は、こんなにもいい顔をして生きているのかと、心が震えた。
私も、彼のように、いい顔をして、生きたい。
画面の中でキラキラしていなくても、自分の経歴や仕事や、生活が、誰かに羨ましがられるような立派なものでなくても。私が「いい顔」をして笑っていられる生き方がしたいと思った。
広い世界に思考を伸ばして見つけた、自分の美学。
唯一無二の自分を、生かし切る。それ以上の幸せが、あるだろうか。
※これは、日経womanアンバサダーブログから転記したものです。