自分を、恋人のように扱うこと。
「なんで、もっとこうしてくれないんだろう?」彼と付き合い始めて、いわゆる“不満”が心に浮かぶことが多くなったのは、ちょうどわたしが仕事のことで精神的に不安でいっぱいになってからだ。
なかなかタイミングが合わず、会えない日が続いていることや、生理前だということも相まって、むくむくと風船のように膨れる灰色のトゲトゲした気持ち。
彼からの悪気のない画面越しの文字に、イライラした気持ちをそのままぶつけてしまっては後から後悔し、「ごめんね」の4文字を打つ。
何をやってるんだか...
本当は、「仕事のことがとても不安なんだ」「最近コミュニケーションとれてないから、ただ会って話がしたい」そんな素直な気持ちをそっと彼の横に置くように届ければいいだけなのに。何度やりとりを通しても「わかってもらえてない」と感じる心はカラカラに渇くだけ。
不安や恐怖を、埋めてくれない彼に怒る自分に嫌気がさし、自己嫌悪に陥る。
「なんで?」「どうして?」
きっとそれを言いたいのは、彼のほうだ。
恋人だからといって、自分のすべてを満たしてくれるわけじゃない。彼には彼の人生があって、わたしの知らない時間を過ごし、感情を抱き、生きている。ましてわたしを満たすために、わたしと付き合っているわけじゃないのだ。
頭ではわかっているのに、どうしていちばん大切な人に当たってしまうのか...
ふたりで、幸せになるために恋人になったはず。それは、“ひとりでも幸せになれるふたり”が一緒にいるからこそ成り立つ関係だ。
自己肯定感が低くなると、恋人にすべてをゆだね不安を埋めてもらおうともたれかかるのは、学生時代からの心の癖で。泣いて、しがみついた果て、「面倒くさい」と言葉を残され電話を切られたこともある。
自分で自分を満たせなければ、心はずっと乾いたまま。望んだものが手に入っても、絶対にまた次の欲がでて満足することなんてない。終いには彼も自分も疲れ果ててしまうのが関の山だ。
自分で自分を幸せにできるからこそ、大切な人と一緒に、幸せになれると思うから。ある工夫をしてみることにした。
自分を、恋人のように扱う
彼にしてほしいこと。たとえば、「かわいいね」と言ってほしい。よく話を聞いてほしい。抱きしめてほしい。褒めてほしい。肯定してほしい。いつでも味方でいてほしい。見守っていてほしい。
これらすべてを、「やってー。満たしてー。」と彼に丸投げして口を開けて待っているのではなく、自分で自分にしてあげるのだ。
ふだん恋人にしてあげたいなと思うこと、ちょっとした労いの言葉や感謝の気持ち。好きと伝えること。気が向いたときに贈る手紙やプレゼント。これらを、自分にもしてあげる。
そんな行動の積み重ねが、自己肯定感を高め、自分で自分を大切にすることに繋がる。その先にやっと、大切な人を大切にできる自分に出会えるのではないだろうか。
自己犠牲は続かない。愛されたいがために捧げた言葉は、見透かされる。何よりそんな自分を自分が一番よく見ている。自己肯定感や、自己重要感が高くない、と自覚があるのならどうしたら健やかに過ごせるのか考え工夫をする。
わたしの場合、その答えが「辛いときこそ手を抜かず、自分で自分に無償の愛を注ぐ習慣をつける」だった。
まだまだ自分を愛することが下手くそで、彼に迷惑をかけることもたくさんあると思うけれど。何度転んでも何度でも立ち上がって、少しずつ自立した女性になっていきたい。
そう思うのは、
彼のことが好きだからだ。
彼のことが大切だから。一緒に幸せになる努力を惜しまないと決めたから。わたしはわたしのできることをやりたい。たとえ自分の弱さや、見たくないところと向き合わなきゃいけないとしても。
そこから逃げたくはない。
次会ったときは、目を見て「ごめんなさい」を言おう。それから、ちゃんと話そう。自分の弱いところも、成長するために始めたことについても。
試着室で、彼の表情を浮かべて選んだ服を着て。
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