ぼくの寂しい1時間
会社を出るのはいつも決まって13時。お昼時間はなるべく粘って粘ってとることにしている。午後になって「あと◯時間で帰れる...」の、◯が少なければ少ないほどいい。だからぼくは、お昼休みを空腹ぎりぎりまで我慢する。
5月の空はこんなにも素直に真っ青だっただろうか。遠くでもなく近くでもなく、それでも手を伸ばす気にはなれなかった。あまりに元気いっぱいな天気に、オフィスで食べていたおにぎりをひとつ近くの公園で食べることにした。
桜並木は、新緑に変わっていた。そよ風と一緒に季節を運ぶ葉は、太陽の隣に木漏れ日をつくる。ぼやりと白く、ぼやりと黒く。その周りをスーツを着た立派な大人が座っていた。
公園に集まる大人はかわいい。みんな平気な顔して本当は、太陽が恋しいに違いない。
子供たちがきゃっきゃはしゃいでジャングルジムに登る。芝生にシートを敷いている人は時間なんて気にしない。鳩は気ままに歩くし、川も流れる。その周りを囲むビルと、隙間には流行りのタピオカ。ここは、大都会だった。
のどか
背中の太陽がぽかぽかと。どこかから飛んできた枝が足元に。
イヤフォンからは好きなピアノの音が鳴る。
寂しいはずのない風景に、いちばんに寂しさを思う。居場所や未来や過去が、なにもない自然なこの場所では包み隠さず露わになるようで。
ぼくはそのことに戸惑いじっと過ぎるのを待つしかない。
あまりにのどか過ぎて、寂しいのか。
人がいるのに皆孤独だから寂しいのか。
所詮はコンクリートだから寂しいのか。
ビルの間の空はあまりに偽物だから寂しいのか。
ぼくの寂しい1時間。
人は、こころの奥底、どうしても寂しい生き物だと知れる場所。