曽祖母が名字をオリジナルでつくった話し。名字のちいさな物語
昔から「美里」って呼ばれるのが嬉しかった。それはほとんどの人から「貝津」と呼ばれていたからで、全く嫌ではなかったし全然ウェルカムだったけど「貝津」が珍しすぎて、「貝津=自分」というアイデンティティは必然的に強くなっていった。
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結婚をすることになった。
籍を入れて法律で守られる法律婚をしたいのだけれど、名字は「貝津」のままがよかった。理不尽なことに世界でたった一つ、日本だけは夫婦の別姓が認められていない。そのため今は事実婚を選ばざるを得ない状態だ。
「貝津」は私自身であり、だからこそ「貝津美里」を崩すことに大きな違和感があった。私が大切にしたいと思ったからではなく、小学校で、中学校で、高校で、大学で、仕事を始めてから、周りの人が呼んでくれる「貝津」が好きだった。あの人も、あの人も、あの人も。みんな「貝津さん」と呼ぶ。
初恋の人が呼ぶ「貝津」も、友人が辛いときに励ましてくれた「貝津」も、仕事仲間から喜び溢れる声色で呼ばれた「貝津」も、全部耳で覚えている。
受験番号の横に書いた「貝津美里」
ライターとして署名する「貝津美里」
心を込めて書いた手紙に添える「貝津美里」
どんな気持ちを込めて書いてきたのか。
私にとっては仕事もプライベートもめちゃくちゃ「貝津」なんだよなぁというのが正直なところだ。
病院で呼ばれるときも、パスポートを見せて外国に入国するときも、免許証に書いてある名前も、仕事で評価をされる名前も、墓に刻まれる名前も「貝津美里」であってほしかった。これまでもこれからも。
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私の名字はすごく珍しい。日本でほとんどいない。そりゃそうだろうなと思う。
だって曽祖母がオリジナルで勝手に作っちゃった名字だから。
もともとは「海津」だったらしい(それでも珍しいけれど)、そこから看護師だったチャーミングな曽祖母(父がトクちゃんって呼んでたから私もそう呼んでる)が『貝』がええなぁって感じで役所に届けたらしい。
ほんまかいな!!!!
って小さい頃からケラケラ笑っていたし、本当にそんなことが可能なのか分からないけれど、家ではそう伝えられている(トクちゃんは離婚歴もあるのと戦後の混乱を考えると何が起きても驚かないという気持ちもある)。
私は彼女に会ったことはない。写真で見るトクちゃんはすごく厳しそうで、眉間の皺と鋭い目にばかり目がいってしまう。大変な時代を生き抜いたんだろうなと思う。小さい頃から仏壇の写真を見るたびに「怒られたら怖そう」と思っていた。
そんな険しい怖い曽祖母のイメージを覆してくれたのが「名字、こっちがいいから変えちゃお!」という遊び心が垣間見える『貝津』という名字だった。
私は家を守りたいとか、名字を残したいとか、そんな気持ちは微塵もない。私が死んだ後、「貝津」がどうなろうが知ったこっちゃない。誰かが無理強いをされてまで残した方がいいものなんて一つもない。
私が名前を変えたくないのは、私が私でいたいから。ただそれだけだ。誰のためでもない、なんなら自分のためでもない。名字なんて空気だ。だから「そのまま」でいることに特別な理由も必要ないし、人が納得する理由も用意しなくていい。こうやって言語化してること自体、マイノリティな選択だからこそだよなぁと思う。
そんな時、私はすべてを放っぽりだして想像する。曽祖母がオリジナルでつくった名字に宿る遊び心を。
ムカつくこと、モヤモヤすること、何もかも放っぽりだして、私の曽祖母はどんな人だったんだろうと空想してみる。彼女はきっととても自由でお茶目な人だったんだろうな。その片鱗だけでも私の中に宿っていたなら嬉しいな、と思う。
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ここまで書いてみて、名字にだってちゃんと一人ひとりに物語があるように思う。「名字を変えたくない」「変えたくなかったけど変えた」という人の『名字のちいさな物語』がもっと聞けたら、ショートストーリーの連載みたいに紹介していけたら嬉しいなとちょっと思ったりしました。
「どうして同姓が嫌なんだろ?」「別姓に反対だな」「反対じゃないけど、なんで変えたくないんだろう?」と思う人も、物語を通じてなら接点を持ちやすいし「あ、自分と同じだ」と重なる部分が見えてくるかもしれない。法律を変えたい気持ちはすごく大きいけど、私ができるのはやっぱりペンの力を使うことだと思うから。
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生き方を伝えるライター
貝津美里