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不安を御せなかった話1

 本当にしんどい半年だった。

 といっても膝の骨を折ってから1カ月ほどの入院期間中は、のほほんと元気に過ごしていた。膝蓋骨の骨折って、幸いなことにそれほど痛みがないらしく、痛みらしい痛みを感じたのは手術直後の数時間くらい。しばらくがっちりと装具をつけていたから日常生活も不自由てんこ盛りだったし、コロナ渦の名残で面会制限があり、家族にも出会えず寂しくて涙ポロンもしたし、まぁ色々あったけど。まさか退院後のほうがしんどさマックス、ラスボス登場!ってなるとは、露ほども思わなかった。

 寂しいから帰りたい!と切望して、リハビリの先生には心配されながらも無理くり退院してしばらくすると、体のあっちこっちが不調になり始めた。入院直前に患った大腸の炎症が小さく再燃したり、歯が痛くなったり、その影響なのか食欲がゼロどころかマイナスに。この時「食欲がなく食べられない、って状態にもレベルがあるんだな」と痛感したんだけど、「落ちた筋肉をつけるために、タンパク質はとらないと」って義務感から何かを食べようとしても、「おえっ」ってえづいてしまって食べられなかった。そうこうしている内に1カ月で10㎏以上体重が落ちてしまったんだけど、医療機関で検査をしても悪いところは何も見つからず。悪いところがないのはいいことだから安心したらいいのに、「何が起こっているのか分からない」ことで余計に不安になったりしていた。そしてこの時期歯の調子が悪くて歯科通いをしていたのだけれども、口の中の痛みや違和感がえげつないのによくなる兆しが全くなく、「原因は歯じゃないかも!?」と一縷の望みをかけて耳鼻科でCTまで撮ってもらっていた。しかし耳鼻科的にも特に問題はなく、また「何が起こっているのか分からない」沼に突き落とされて、不安は最高潮に達した。この頃は「意味分かんないけど、なぜか食べられない」ことと、「意味分かんないけど、口の中の疼きやら痛みやら違和感がえぐすぎる」こと「だけ」しか考えられないようになっていた。これ何の誇張表現でもなくって、「あっまた歯のこと考えてる」って気づいて、歯のことを考えるのをやめようと思っても、また数分後に「あっまた歯のこと考えてる・・・」ってなってたからね・・・脳内が「食べること」と「歯」のこと、それにまつわる不安でギチギチに埋め尽くされていて、ほかのものが入り込む余地がない、みたいな状態だった。そして何よりつらかったのが、「考えるのやめよう」という意思の力があまりにも無力で、「気づいたらそのことばっかり考えさせられている」っていう、自分で自分を「御せない」ことだった。

 つら・・・
振り返って書いてても、この「強制思考」の破壊力の凄まじさを感じちゃって怖くなる。アレがまたやってきたらどうしようって、本気で怯えてるもんね・・・・

 退院後2カ月くらいこういう暗黒の時期が続いていたのだけれども、それでも色々なことが重なって、回復へと向かっていくことができた。その契機の一つが、リハビリの先生の言葉だった。

 実はリハビリについては入院中から劣等生で、リハビリの先生が(たぶん)呆れるほど緊張度の強い身体に難儀していた。もともと身体のコントロールが苦手なこと、あまり人に身体を触られるのが好きではない(から、触られると勝手に筋が緊張してこわばる)こともあって、同じ時期に膝の骨折でリハビリ仲間だった70代のおばあちゃまと比べてもちっともリハビリが進まない。せっかくゴッドハンド(だと病棟の看護師さんが仰っていた)の先生の施術を受けられる機会なのに、「こっちが動かそうとすると怖がって余計に動かしにくくなるから、自分で動かしたほうがいい」と言われて、先生が提示してくれるメニューをもくもくと1人でこなしていった。意識では「全て委ねよう」って思ってるのに、いざ先生が足を持ち上げたりすると、身体が勝手に「怖いぃぃぃ!」ってなってぎゅっと縮んでしまうって、ほんと厄介。

 退院してからもせっせとリハビリに通っていたが、ある時先生が私の(怪我したほうの)足を触って「やっぱり緊張がとれないんだよな」と仰った。ちょうど不安ゲージが極限まで振り切れていた頃で、私はため息混じりに嘆いた。

 「退院してから全身の体調が悪くて。怖がって常に緊張してるからだと思う。全部つながっている気がする。」

 そうしたら先生は、間髪入れずにこう告げた。

 「それに関しては僕らでどうしてあげることもできない。不本意だったかもしれないけど怪我をしてしまって、よくなるために手術を受けたんでしょ。このままだと手術も受けなければよかったってなっちゃうやん。」

 そして無慈悲にもこう続けた。

 「膝のほうはよくなってきてるから、リハビリもストレスになるくらいなら頻繁に来なくていい。」

 えっそんな・・・って顔を、私は露骨にしてたんだろうと思う。

 「こう言われると、見捨てられた、って思うんやろ。そういうとこやねん。順調だから言ってるのに。」

 なんかもう、悲しくて悲しくて、泣きながら帰った。比喩とかじゃなくて、ボロボロと涙をこぼしながらタクシーを待っていた。しんどいのに。自分でどうすることもできないから困っているのに。好きで怖がったり緊張してるわけじゃないのに。

 でも「よくなるために手術を受けたんでしょ。」という先生の言葉が残り続けた。正直、しばらくその意味が分からなかった。私は受傷してからただの一度も「よくなるために手術を受ける」なんて、思ったことがなかったから。病院を受診したら「今日から入院。手術は3日後ね。」って医師から告げられて、言われるがままに手術を受けただけで、自分に選択の余地があったとは思っていない。なんなら「うわぁ。手術を受けないといけないような大怪我をしてしまった。」っていう被害感満載だった。えらい目にあって、手術もリハビリもしなくちゃいけない義務をおってしまった、っていう感覚に近い。

 だけどよく考えてみたら、確かに不本意ながら怪我をしてしまって、怪我の時点よりは状態をよくするために医療スタッフは手術もリハビリもしてくれている。だから私も、手術をしないっていう選択肢があったわけじゃないけど、怪我時点の動けない悲惨な状態からよくなるために手術を受け、リハビリをしているってことになる。私は、「よくなるために手術を受けた」「よくなるために日々頑張っている」という認識を、選んでいいし選べるんだ。

 目から鱗だった。

 このしんどい状況から一方的にダメージを受け続ける受動的なわたしの中に、「よくなるために色んなことをしている」能動的な主体がようやく立ち上がった。

 もちろんそこからすぐに劇的に回復していったわけではない。脳内をびっちり占領していた不安がちょっぴり減って「すきま」ができ、そこにちょっとずつ自分の好きなことや興味関心のあることの居場所ができていく、みたいな亀の歩みだった。ごっそり減ってしまった体力ゲージの戻りはゆっくりだったし、体力ゲージと連動していると思われる気力ゲージもなかなか通常トレベルまでもどらなかった。そして残念ながら食欲が戻った今も体重はいっこうに増えず、メンタルヘルスによろしくなさすぎて体重計にのれなかったり、転院した歯科でたくさんの諭吉が飛んでいく外科治療を複数回しなくちゃいけなくなったりと、事態そのものは、うーんあんまりよくなっていないかもしれない。でも「私はよくなるためにしてるんだ」モードを実装してそれをデフォルトにしてからは、色んなことから受けるダメージが少ない。たとえば歯科にしても、前医で不必要な治療を受けたために大事なものを失ってしまったのだけれども、その事実が分かった時に一番最初に脳内で呟いたのは「私はもう嘆かない」だった。でも失ったという事実自体は悲しかったので、「私はこれからよくなるために前向きに治療を受けようと思う。でも悲しかったから最後に嘆かせて。」と家族にお願いして、失った哀しみを盛大に吐露した。まぁその後も時々約束破って嘆いているんだけど、「私はよくなるために治療を受ける」って念仏のように唱えると脳内が平穏になる。

 しくしく泣きながら「先生ひどい」って思っていたけれど(ごめん先生)、先生の言葉が転機になったよ、ってすいぶん経ってからだけどご本人にも伝えられた。常に辛口の先生だけど、「転倒って自損事故みたいなもんやん。ここ(リハビリ)に来る若い人たちでも、スポーツ中に怪我して、なんで自分が(こんな目に)ってもんもんとしてはるよ。そういうもんや。」って珍しく慰めてくれた。ありがと、先生。

 ケアって、寄り添うとかそういうイメージの方が強いかもしれないけれど、主体性・能動性を立ち上げていくことによって(ある意味積極的に)ダメージを減らしていく(返り討ちにする)ことも大切なんだなと学んだ。主体性って、直撃ダメージから自分を守るアーマー(鎧)なんだと改めて思う。

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Nishio Misato
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