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わが家の対策検討ミーティング

 「京都市立校」がTwitter近畿でトレンド入するほど、この状況で京都市の小中高等学校が再開するという知らせに多くの市民が驚いた週末。私の現状認識と、行政の判断があまりに乖離していることにモヤモヤしてnoteに想いをしたためたし、「もやろうcafe」(LINEのオープンチャット)を開いてほかの方の思いやご意見にも耳を傾けた。でも週明けには「始業式」が控えていた。ホームスクーリングをしているムスメは今年度もホームスクールを希望しているので継続的には学校へ行かないが、終業式などの節目にはクラスに顔を出してきた。学校への帰属感はずっと持っているし、先生やお友だちとのつながりも大事に思っているようである。だから週明けの「始業式」に行くか行かないか、決めなければならならなかった。

 そこで「新型コロナウイルス対策検討西尾家チーム」を発足し、「データから考える 登校する?しない?」ミーティングを開催することにした。今一般市民として集められる情報を集めて整理をし、それを踏まえて登校可否を検討するためのミーティングである。チームメンバーは3人いるのでそれぞれ情報収集も分担し、各自スライドを作成することに。もちろんムスメ氏も「新型コロナウイルス感染者数(国内・世界)」というテーマでの発表を担ってもらい、パワーポイントに情報をまとめてもらった。慣れたもので、1時間もかからずサクサクと終らせていたのがなんとも頼もしい。

 日曜日の午前中にミーティング開催を突然提案した無茶ぶりにもかかわらず、夜にはみんなそれぞれ分担した内容を持ちよることができた。スライドのごく一部を抜粋したのがこちら。

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 スライドにも示しているけれど、このミーティングの目的はとにかく溢れる情報を整理し、分析して自分(たち)の行動を暫定的に決めることだった。もちろん集められる情報は不十分かもしれないし、(公的機関からの情報をベースにしているけれども)それをこちらでファクトチェックができるわけでもない。でもとにかく集めてきて、ソースを開示して、「これって事実に基づいてるんだろうか」という疑義もさしはさみながら、手元にある情報であれこれ考えてみる。考えながら、意見を言う、聞く。そして最終的には、ムスメ氏が自分の行動を選択できればいい。そう思って、ミーティングを開催した。

 ミーティングの結果、ムスメ氏は「始業式に行く」ことを選択して登校した。

 正直私はミーティング前「可能であれば登校を控えて欲しいなぁ」と思っていた。自分の分担部分(京都の感染症に対応できる病床数など)を調べてみたら、「・・・えっ!?」と衝撃を受けたし、「今万一自分や家族が感染したら適切な医療が受けられるのか」という不安を拭い去ることはできなかった。しかし私たちはその(感染リスクという)単一の観点のみを生きているのではない。ムスメ氏はムスメ氏で「登校に対する気持ち、希望」を持ち、登校することあるいはしないことのメリット・デメリットもあり、そうした色んな観点からこの事態を考え、折り合いをつけるプロセスが大事である。幸い我が家は今のところムスメ氏がどちらを選んでも生活が変わらないので、夫婦の事情や思いは多様な観点から除外されているが、ご家庭によっては親の事情もその中に組み入れられるべきと思う。だって同じ事態に直面しているチームなんだから。

 ミーティングを経て「できれば登校して欲しくないなぁ」という私の気持ちは、事実の共有で「私が危惧しているほどのリスクでは現状ないかもしれない」に少しシフトした。そしてなによりムスメ氏の思いや気持ちを聞くことができ、さらにムスメ氏自らそれらをリスクと天秤にかけるプロセスを共有できたことで、私自身もその判断に納得することができた。自治体は登校を決定している中で、教育を受ける権利(学校へ登校する権利)を有しているのは彼女自身であるから、できるだけ彼女の意思を尊重したいし、親の納得云々は二の次ではあると思う。でも不安はあっても「話し合って出した結論だ」と思って送り出せるのは、まだまだ続くこのストレスフルな状況において心の健康を保つ力になってくれていることを感じる。

 各ご家庭の数だけ、思いや判断があると思う。だから、「学校を再開しないでください」という署名を求めるキャンペーンがSNSであちこちからまわってきた時に、私はどうしても署名することができなかった。何度もページをあけて、しめた。あけて、しめて、あけて、しめた。私自身は「再開は怖い」。そして私は通勤が必要な状態ではないので、学校が休校になっても生活はそう変わらない。でも、学校が休校してしまうと困る子ども、親御さんたちも大勢いらっしゃるだろう。その分断が、とても恐ろしかった。3月の一斉休校で明らかになったことだと思うけれど、(日本において)学校に求められている機能は「教育」よりも「預け先(かつセーフティーネット)」であり、それが奪われることの弊害は現状あまりにも甚大だった。そのことを思うと署名ができず、「学校へ行かない」ことを選択できるよう(選択しても不利益を被らないシステムを構築していくことを要望する)にしたらいいのではないかというところに着地した。

 でも。

 ここまで書いていて矛盾するようだけれども、私自身は「(物理的な)命」を最優先する施策を支持している。そのあたりのことは、また改めて書きたいと思う。

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Nishio Misato
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