好きなことで生きていけない。
何をするにも不器用な私が、
一つだけ得意と言えることが、ピアノだ。
高校、大学とクラシックピアノを専攻し、
25歳までは、ピアノ講師や演奏などしながら、
なんとか生活していた。
26歳でシングルになってからは、
1歳の息子を育てていくために、
音楽で走り回ることはやめて、
初めてちゃんと社会に出た。
合理化主義、営利主義のなか、
取引先や同僚と、その場凌ぎのような会話を続けながら、
毎日、自分は一体どこに向かっているのか、
これまでの自分はどこに行ったのか、
今のこの体は、果たして自分なのか、
心を見つめることを避けて生きていた。
そして4年が経つ頃、心身を崩し、
会社に行けなくなった。
適応障害だった。
そしてわかったことは、
それまで居た、”音楽を介したコミュニケーション”が、
いかに汚れがなかったかということだった。
バイオリニストのHちゃん。
例えるなら・・処女のような、
俗世との間にフィルターがかかっているような、
汚れのない、ピュアな心の持ち主。
全身で音楽を愛しているような子。
私にとって、生きるブランドのような人。
そのHちゃんが、最近元気がない。
まさか、音楽を辞めようか迷っているという。
理由は、演奏する場所がなくなってきたこと。
一緒に練習するメンバーたちのモチベーション・・妊娠、出産などがあり、片手間になってきた・・に、自分との乖離があり、
このまま一緒に演奏をしていても、成長性が見えなくなってしまったこと。
演奏する場所について。
ざっと街を見渡しても、
著名なアーティストでもない限り、
生楽器の需要はそう多くないことが見えてしまう。
コンピューターで打ち込みされた音楽や、
言葉のメッセージ性が強い音楽などを否定するつもりはないが、
楽器の音色に思いを表現するような、
繊細な生楽器の音楽は、なかなか生活の中で需要は見られない。
ヨーロッパの方では、
夕食後にラフな格好で、近くの教会などにふらっとライブを聞きにいく文化があるというから、文化の差に嘆きはあるけれど、
こればかりは一個人で変えられるものではない。
私自身は、高校3年生の時、
就職したいなら音大へは行くな、と
親切にも忠告をいただいていたから、
食べていけないことに驚きはないのだけど。
それでも、ロビー演奏募集などで、
条件に、”プロで活躍している方””謝礼なし”、
などを見ると、馬鹿にされたような気持ちにもなってしまう。
ここらで、モチベーションについて、軸を自分に戻す必要がある。
稼ぐためや有名になるために、
音楽をしてきたのではない。
良いと思う音を追求し、
それらを奏で、
願わくば第三者の心を動かすことができれば、
演奏をするものとして、それ以上の成功はないのだ。
そうした時間を幸せと感じてしまうのだから。
だから、金銭的には好きなことで食べていけなくたって、
自分が望んだ生き方を貫くために、
他の仕事で賄ってもいい。
もし一緒にする仲間とのモチベーションの差に苦しむなら、
環境を変える、もしくは一人で演奏出来る術を考えてみてもいい。
対価も、自分が納得をするものなら、安価だっていい。
食べていけないからと、音楽を辞めてしまうなら、
それまでの志だったか、
評価軸が外に向いてしまっているからこその病に堕ちている。
好きなことを、自分の人生のために、ただ続け貫くこと。
そうした人がこれから増えていき、
そうした空気感が地域ー国の文化となり、
いつか生楽器の音の魅力を必要とする人たち増えるといいなと
密かに夢を見ている。