昔の私振り返り【幼少期~小学生】
今の自分は、「過去の自分の思考、行動、努力、習慣・・・の産物」なんだと気づいたのは、実はこの1年くらいのこと。
こんな当たり前のことに気付かず、私は「過去に生きていました」(衝撃!)そんな方いらっしゃいませんか?
優等生だった頃の自分のプライドを握りしめて、社会人以降優等生でない(と思っていた)自分をずっと認められなかった。とっても苦しい、暗黒の20年でした。。(過去形でやっと言えるようになった!成長!)
1.幼少期~小学生
3人姉妹の末っ子としてニュータウンの程よい田舎で生まれ育った私。自覚はないけど、いわゆる末っ子らしい「わがままで甘え上手」とよく言われました。すぐにお母さんの後ろに隠れてしまうような幼児期、そして割と物静かな小学生時代。毎日仲良しの近所の友達と遊んでいました。大勢で遊ぶよりは、濃く深く少人数とじっくり関わるタイプでした。そして、大人の喜ぶことが分かっていて、大人を怒らせるようなことをしなかったので、物分かりのいい、手のかからない子でした。(母も言っていた)
小学校生活で印象的なのは、なぜかいつもクラスでいじめられている子を自分のグループに誘っていたことです。いじめっ子と戦う訳ではなく、一人ぼっちの子を放っておけなかったのです。放課後は、ヤマハ・習字・そろばん・スイミング・ピアノ・塾等一通り一般的な習い事をしていました。5年の時の担任の先生が当時珍しく「女子サッカー」を始め、友達と一緒に入部したのですが、体育が苦手だった私は体力的にもついていけず、また球技が苦手なこともよく分かり、半年でやめてしまいました。他の習い事はある程度の級まで到達したらやめると決めていたので、こんなすぐにやめたのは初めての経験でした。体育以外は成績も良く勉強が好きだった私は、6年生の時恐らく人生で初めて自発的に「塾に行きたい」と言い、通い始めました。当時姉が受験で塾通いしていた憧れがあったのかもしれません。当時友達としていた遊びと言えば、おままごと・人形遊びや理科の実験(定期購読していた自宅学習雑誌の付録)。今では想像もつきませんが!?割りとインドアでした。
そして、1つ印象的なことを思い出しました。母に「私、大学とか行きたくない。お母さんみたいに高校卒業したら、銀行で働きたい。」のようなことを言った記憶が残っています。とにかく、かけっこやマラソン大会等の競争が大嫌いだった私。ずっと続くだろう学歴、競争社会への漠然とした不安を感じていたことを思い出します。一方で、負けず嫌いだった私は仲の良かった親友とも良きライバルで刺激し合っていた小学生時代でもありました。
コラム①:小学生時代好きだった遊び
ここで、小学生時代に好きだった遊びを振り返ってみたいと思います。自分の「好き」や「得意」を見つけるヒントになるかもしれませんね。
書道:コレと言って極めた習い事はなかったのですが、唯一6年間続いた習い事は書道でした。静寂の中で集中する時間、今考えると瞑想のような時間が好きだったのかもしれません。
レポート作り:子犬が産まれた時、毎日4匹の体重を測定し、増減〇kgレポートを作成していました。初めてのスキー行きが決まった時も、毎日楽しみすぎて、新聞に載っている全国のスキー場の積雪量を増減〇cmとチェックしレポートを作成していました。(誰に提出するでもなく、趣味)
理科の実験:仲良しの友人と実験教材の購読を母に頼み込み、教材で実験したり、家にあったアルコールランプ(サイフォン式のコーヒーメーカー)で遊んだのが楽しかった記憶があります。
おままごとや一輪車等、同じマンションの異年齢の友達との外遊びもたくさんしましたが、「楽しかった!」と思い浮かぶ遊びは、知的好奇心を刺激する遊びだったのかなと、記事を書きながら思い至りました。
コラム②:小学生の時の夢
小学6年生の卒業文集に書いた将来の夢は「看護婦さん」でした。幼稚園~小学校低学年までは「スチュワーデスさん♡」と言っていたのですが、その頃160㎝以上?ないとなれないと知った私は、幼心に常に前から5番目以内の小柄だった自分の身長ではなれないと悟り、諦めたのを今でも覚えています。昔からどこか『真理を見抜く目』のようなものを持った、おませな子供だったような気がします。そして、当時ドキュメンタリーの救急番組が大好きだった私は、「看護師」に憧れるようになりました。患者さんとの関わりで「感動」するのが好きだったのかな。そして、「感動」と言えば、運動会等のクラス対抗戦に密かに燃えているタイプでした。こうやって書くことで『「感動」が好き』の原点は小学生にあったことに気付きました!(ナイス気付き!)