"時間は皆に平等"に対して
時間は平等。
たしかに時間の流れは平等だ。無情なくらいに。
しかしそれは時間が平等に与えられることとは
違う気がする。
誰にでも与えられるものを平等というのは
乱暴な解釈な気がしてならない。
自分の足で自由に歩けなくなったとする。
転んでしまうと今までのようにすっと立ち上がることが出来なくなる。
たった一段の段差でさえ、越えるのに一苦労だ。
そうなった時、今までの自分と比べて
隣にいる誰かと比べて
平等だと思えるだろうか。
誰しもの足下にあるのは地面や床です、と言っているのと同じことだ。
自分の体重を支える何かが
大理石なのか、温かいカーペットなのか、
地雷が数メートル先に埋まっている土の上なのか、それはその人の境遇で変わってくる。
雨風に吹かれ数少ないお客を待ち構えながら
そんなことを考えていた。
ただ、書きながら思ったのだが、
不運な状況でその平等を与えられた時
何も考えなかった時よりも思考し
思いを巡らす時間が増えるのではないかと思った。