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【月便#15】言葉の虚しい求愛

部屋の壁に寄りかかると、ひやりと冷たい。扇風機の首を振るたびにかかる少し強めの風が、その冷たさを助長している。

さて、新月8月8日。またもや当日公開のマイルールを破ってしまった(というか前回の満月の会もしれっとスキップしたまま)。いつまでも月の満ち欠けに追いつけないでいる。

定期的に何かを書こうと、勝手ながらも自分の中で決まりをつくっておくと、その時期が近づいてくるにつれ「今回はどんなことを書こうかな」とぼんやり考え始める。それが「もうこれしかない!」という時もあるけれど、とりとめもなく色々なアイディアの“つぶ”が脳内を舞っては消え…なんていう時も、もちろんある。この一か月はそんな感じだった。

書くべきことがないというわけでは決してないのに、なぜかそれを「言葉」にすることが出来ない。いや出来なくはないのかもしれないけれど、どこか今これを世の中に出してしまっては未熟、というか、時期でない感じがする。急かさないで、じっくりと熟れるのを待てばよかった、という後悔に襲われるのを非常に恐れているところが、そんな時の私にはある。

こういった状態の時のために、人は歌をつくるし、詩を書くのかもしれない。あるのだけれど、つかみきれない。言葉の中に押し込めきることのできない、溢れる想いの質量を詩歌はすくってくれる気がする。

そう言えばこの前、うたうたいのりりぃさんとそんな話をした。「音」と「言葉」の関係について。”言葉は決して秘密を明かさない。言葉の虚しい求愛”と言ったのは確か谷川俊太郎だったと記憶しているが、そのことについて私も長らく考えてきた。
想いの核をその中に、溢れた想いをその周辺にまとった「言葉」が「音」という外界とのつながりを持った時、どうなるのか。それは紛れもなく「高揚」となって私たちの上に降り注ぐ。心躍る、血が騒ぐという音楽による効果は、きっと祈りの行為にも通じるものがあるのかもしれない。
『はじめに言葉ありき』と言うが、もしかすると言葉とははじめから音楽と同一だったのではないだろうか。祈りなのか言葉なのか、分からないほどに密接した関係で。

だから何だという妄想話なのだけど、あの満月の夜のりりぃさんと斎藤さんとの恍惚とした時間と、神様の降りてきたような瞬間を思い出しながら、とりとめもない(だけどおそらく大切な)こととして、ここに綴っておきたいと思う。

09AUG2021
guesthouse Nafsha
美郷

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