世界はみんなの力で回っているのね
今年になってから、書くことへの気力が失われている。書きたいことはあるはずなのに、いざPCの前に座って白い画面に向かってみると、何も浮かんでこない。というか、やる気が起きない。
書くことへのハードルが人生で一番、高くなっているかもしれない。
自分の主たる表現法である〝文章を書く〟ということがイマイチ不調たのめ、その分インプットの時間がぐっと増えた。これまで聴いてきたラジオやPodcastに加えて、全く新しいタイプの番組やYouTubeにも手を出して、しかもそれらが案外おもしろく、お昼ご飯などを食べながらケラケラ笑って視聴している。
他人のご飯のつくるのを観たり、年下の子たちの恋愛事情などを聴いたりする時間は、はっきり言ってなんの生産性もない。だけど、これまで選んでこなかったそういう類の発信に触れてながら肚から笑っている時、私はとても明るい気持ちになる。「くだらないな~~」「わかる~~」などと思い(時には口に出し)ながら、10分や20分を彼らと一緒に過ごした気分になると、視聴し終わった時には「まあもう少し頑張ってみるか」という気持ちになったりする。
だから何だという話ではあるが、こういったさもない笑いがもたらす癒しは、意外と馬鹿にできないとも思う。少なくとも、気を抜くと暗い気持ちになってしまいがちな今の私には、必要なものである。
そんな、見ず知らずの誰かが頑張っている姿や、悩みに向き合っている姿、誰かを想って行動している姿に触れるたびいつも思うのは、「ああ私たちは本当に誰一人、ひとりきりでは生きていけないのだな」ということだ。たとえ私の元気がなくとも、世界のどこかで元気でいてくれている人がいる。私がこの数日間何も出来ていなくとも、きっとその間に頑張ってくれる人がいる。
これまで世界の責任をまるごと一人で背負っているような気分になっていた私にとって、この気づきは救いであった。「大丈夫、たとえ今できなくても、できるときにやればいい。そしたらそのとき頑張れない人のために、きっと私は役立つことができるのだから」と、できない自分を許してあげられるようにもなった。
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ここまで何とか書いてきたが、やっぱり思うように筆を進めることが出来ない。きっと言葉になる前の〝タネ〟のようなものが、心の中に渦巻いているからだと思う。そしてそれらを簡単に言葉にしてはいけないような気がして、私はじっと様子を見ている。言葉に表せないことに焦りを感じたりもするけれど、たぶんそれも杞憂なのだろう。今私ができなくたって、どこかで誰かが、きちんと言葉に残しておいてくれているはずだから。
ありがとう。
07MAY2024
新月のひとつ前の夜に。
Misato Momma Sato