ママアスリートのリアルno28ここまでの軌跡ⅱ
こんにちわ。
緊急事態宣言で保育園も休園。
毎日子供と過ごしてます。
そして今この時間。お昼寝ターイム!
なのでnote打ってます。
と言ってもう夕方!
ここまでの軌跡ⅱです!
次は社会人編ですね。
社会人
短大生活でサッカー2年間し
なんとサッカーでのお話が!
今では日本のトップチームとなっている
『INAC神戸レオネッサ』
当時の監督さんが来ないか?と言ってくださり、練習参加することに。
当時はまだなでしこリーグに参入する前の
関西女子リーグ時代。
練習も民間の高校や中学校のグランドを借りてやってました。もちろん学生ではないので働きながら。働く口もINAC神戸レオネッサ関係の会社に働かせてもらえることに。
朝から夕方まで仕事して、夜練習。
そんな日々を過ごしてました。
それはそれはきつい練習もありので、、、
でもそれなりに楽しんでやってたかな。試合にも出てたし。
関西では上位に。いろんなところの遠征でもバスで行きました。
たくさんの試合をし、印象に残ってる試合は
全日本女子選手権大会での日テレベレーザ戦。
日テレベレーザはその時もなでしこリーグでトップを走ってました。
今は引退したけど澤穂希選手がその当時バリバリやってたとき。
忘れもしない試合。ちょうどポジション的に澤さんとかぶってて、マッチアップ。
その試合負けたんやけど、なかなか印象的には良かってなでしこリーグ2部にあがることになるんやけど
澤さんが強すぎてメンタルやられた試合でした。硬すぎ。岩みたいって思った。身体ね。
そしてめちゃくちゃ上手くて仲間にも厳しかった印象。(ここだけの話、試合中結構近くにおったから言えるけど、ボソボソきつめの言葉あった笑)でもそうやから上に行けた選手やったんやなぁと思う。
ほんまに硬かった笑。ぶつかって立ち向かおうとしても跳ね飛ばされる。って感じ。
忘れられない試合となりました。
そこから翌年にはなでしこリーグ2部に。
なでしこリーグ2部で当時外国人がいたの。プレッタとラファっていうブラジル人。プレッタはブラジル代表でもあって、点取ややねんけど、ほんまに点獲る。ただただすごいの一言。いっつも自分の思ってるところにボールはこない。味方がいないって怒ってたけど、今ならわかる。それが世界基準やったんやなってこと。その当時は全然わからんかったけど。
チームもなでしこリーグ優勝してなでしこリーグ1部に。そこらへんからかなー。チームも強化で人を集め出して。
練習もお昼からでスポンサーさんがついて、ほぼプロみたいな生活になったの。
『結果を出せば環境が変わる』ってその時思ってた。今でも思うけど。
人がくるとレギュラー争いも激しくなる。当たり前やけど。だんだん試合にも出れなくなりベンチ温め隊の時間が多くなってた。
ベンチって大切やけどその当時苦しい思いしかなかったなぁ。
試合にでなかったら、試合終わり走らされるし。モチベーションが保ちにくかった。
苦しい、苦しいと思い込んでメンタルやられてたなぁ。練習しても練習しても試合に出れない。この経験はあとあと活きてくるんやけどなかなかその時は思うようにできなかった。
だけれどチャンスが舞ってくる!
リーグ中断中になんとか試合につかってもらえる感じに!
うぉしゃーーーーーーって心の中では叫んでた。やっぱ苦しい思いすれば必ず光が!って思えた。練習試合でもレギュラーチームに入るようになって。良い感じに進んでた!
周りの先輩達もそんな雰囲気で話してくれてたから!
しかーし。ここで大きな噴火が!
リーグ再開直前。レギュラーチームから落とされる。
なぬーーーーーーーーーーーーーーって落胆しまして。
周りの人らもうそーーーーーみたいな反応やって。
そりゃーもー嫌にもなりますよ。。。。
リーグ再開して、試合に出れない。
ねー。ほんとこの経験だけは悩みに悩んだ。
その当時にコーチできてくれた、わたさん。(元ヴィッセル神戸の和多田選手)たくさん助けてもらいました。話も聞いてもらったし、家にもよんでくださり、気を使ってもらってました。わたさんの奥さんにも声かけてもらって「わたくんがねみさとが落ち込んでるからって何かできないかって」涙でた。わかってくれてる人がいるだけでも救われた。
だけど、、、、そこから半年。この外されたことをずっと悩み。その当時のチーム最後の試合のあと、面談があって継続がどうかの話が毎年ある。
そこで辞めます。と伝えました。
悩んだ結果。
自分で出した答えは
引退
でした。
うーん。そのときはほんまに辞めたくて辞めたくて仕方なかった。
サッカーが嫌いになってた。競技でやることに疲れてた。振り回されるのはもう嫌だと。
まぁ監督との面談やってんけど、継続ギリギリやったって後から聞いたんやけどね。
辞めて何しようかね〜
って途方に暮れてました。
今までなんだかんだ続けてきたサッカー。
小学2年から23歳まで。終止符を自ら打ちました。
そこからフットサルの歴史が始まります!
さぁ。23歳。若くしてサッカー引退して
ここから始まるストーリー。誰が想像したんでしょう。
濃い時間が始まります。
23歳で夢を持つ!
23歳までのサッカー話になりましたが、いろいろな経験をさせてもらったと思ってます。
その経験が今【糧】にもなってると思います。
フットサルの軌跡はまた書きますね❣️
フットサルの軌跡はこんなもんじゃない。
夢を達成して今の生活まで。
まだまだ青春はここからです。
みなさんも一緒に夢見ましょう❣️
いつもサポートありがとうございます。
今シーズンも結果を残せるように今準備してます。この先どうなるかわかりませんが、もしシーズンが始まればまた怒涛の日々を送ることになります。身体も心もお財布も、、、
色々大変ですがママアスリートととしてみなさんに勇気や希望を伝えれたらいいなと思っております。
みなさまから頂いたサポートはフットサル活動費にさせていただきます。
これからも応援、サポートよろしくお願いします!