【1社目】 社会人生活スタート@東京(横浜)
「東京行きたくない」
生まれも育ちも田舎の田舎LOVERだったので引っ越す時からめちゃくちゃ後ろ向きだった新卒1年目。
就活解禁の時期に留学していたこともあり(これは言い訳。ただ単自分のせいでにうまくいかなかっただけ)、就活はめちゃくちゃ出遅れ、1社目の会社に拾ってもらった感じです。
最初は新しい環境・生活に慣れるのに精一杯で、正直なところ、あまり記憶にない。研修後の配属先が海外営業の事務職で、英語が好きだったこともあって、ちょっとだけ楽しみになった記憶はある。
でも、いつからか、退屈で退屈でしょうがなくて、退社時間まで、週末までのカウントダウンをする毎日になってて。
(今となれば自分に自主性のかけらもなかたことも一因だと思う。)
日曜日の夜なんて、月曜の朝がくるのが苦痛すぎて寝ずに時間に抗うという謎の行為も。
そうしているうちに、
自分が何をしたいのか、何のために生まれて、何のために生きているのか、
考えても考えても分からなくなって。
そんな中、出身大学での企業紹介をお願いされ、上司と共に参加することに。
大学の就職担当の先生から、私の上司に衝撃の一言。
「不良在庫を回収してもらってありがとうございます(笑)」
その時の私:まさに不良在庫よね、その通りやけど他人から言われるとしんどいわ。
上司:「不良在庫じゃ無いですよ。他の会社とタイミングと相性が合わなかっただけ」
その後の説明会でも
「面接の時に素直に偽り・嘘なく話してくれたから、一緒に働きたいと思った。」ってさりげなくフォローを入れてくれた上司。
こんな人の期待を裏切って、今となればめちゃくちゃ申し訳ない。。。
説明会の後、ますます自分の存在価値とは?という底無し沼にハマり、
精神的に参っていった私。
そして1社目後半には、
仕事中に過呼吸になったり、
職場で急に涙がボロボロ出てきてトイレに篭ったり、
過食嘔吐が日常になって唾液腺腫れまくり(これに関しては別noteにまとめる予定)。
こうなった思い当たる原因は以下5点(当時わからなかったことも含む)。
①主体性がなさすぎ
与えられた業務が終われば、社内規定を読んだりしていた。今となれば、そりゃつまらんわ、自分でもう少し仕事を楽しめる工夫は出来たよねって感じ。
自分から他の社員さんの業務を手伝おうとすらしなかった主体性ゼロの最悪な新入社員でした(苦笑)
②職場環境へのストレス
会社の中でも部署によって全然違うけど、配属された部署では、業務中にほとんどと言っていいほど会話が無かった。
他の部署の同期が「なんか〇〇部雰囲気悪いよね、喧嘩してる?毎回〇〇部行くの怖いもん」ていうくらい。
毎日その空間にいるのが苦痛で、お昼休みに同期とご飯食べる時だけが緊張から解放される時間だった。
③業務内容
事務職として勤務していたけれど、一人で黙々と一日中パソコンの画面と向き合う日々。「もっと人と関わりたい」、「社外に出たい」と思うように。
④やりたいこと(価値観含む)と事業の不一致
これにだけ絶対には関わりたく無いということがあったんです。。。
でも社会においては、必要不可欠な大切なお仕事で。
わかっているけど、自分は関わりたく無いという葛藤でなかなかやられてました。
秘密保持の義務があるので詳細の記載はできないけれど。
⑤都会での生活へのストレス
なんせ、生まれも育ちも田舎の根っからの田舎っ子。
カーテンを開けたら数メートル先に他の人の家があるのも、
大好きな空が建物で見えないのも、
毎日の満員電車での通勤も、
近所の人とのコミュニケーションの無さも
大したことじゃ無いかもしれないけど、毎日少しづつ積み重なって爆発寸前でした。
⑥プライベートでの出来事
・当時付き合っていた彼とのお別れ。カナダと日本の遠距離恋愛で、私が海外移住するという選択肢しか当時の私たちには無かったので、お別れを決意。
これに関してのしんどさは時間が解決してくれました。
・家族との時間の減少。東京と九州。同じ日本ではあるけれど、なかなか会えなくなって、「このまま東京にいたら、あと何回家族に会えるんだろう」っていう恐怖に襲われる日々。
いろんな感情に飲み込まれて、このままやったら、心も体もおかしくなるなと思って、地元に戻ることに。
転職活動はしていたけれど、結局次は決めずに、しっかりボーナスをもらって1年3ヶ月で1社目を退職。
なんか、1社目ではマイナスな事しかなかったようなnoteになってしまったけれど、社会人としての基礎とか、自分のこととか、学んだこともたくさんあって。
今では、1社目の会社で働いてよかったなって思えてる。
自分の見方次第でマイナスなこともプラスに変えれるなと。
ちなみに1社目を辞めた後、4ヶ月ほど実家でプー太郎でした(苦笑)
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