この町で幸せに暮らす自信がない
「この町で幸せに暮らす自信がない」
駅のホームに降り立った瞬間そう思った。
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私の親元を離れて暮らす出発点は実にあいまいであった。
近年流行しているコロナウイスのせいだ。
2020年、両親に見送られ号泣しながら電車に乗り、生まれ育った土地を眺めながら空港へ向かった。ああ、これでしばらくは独りだ。独りでやっていかなくちゃいけないんだ。
しかし私が独りでいる時間は実に短かった。
2か月間孤独を味わった後コロナウイスの影響で授業がオンライン化し、実家に帰って大学生活を送った。
それが今年、対面での授業が行われることとなり、やっと本格的な自立がはじまった。
二度目の出発。さみしい気持ちもあったがそれよりも「ああ、やっとか」という気持ちのほうがはるかに勝った。
今度は涙は流さず空港への電車に乗り、アパートについたら掃除しなきゃと考える余裕すらあった。
飛行機に乗り、飛行機を降りまた電車に乗って全く知らない土地を眺めながらアパートへ向かう。
さっきまでの余裕はもうすっかり不安に変わっていた。
静まりかえった車内、うつむいたサラリーマン、スマホを見つめる無言の親子、複雑に描かれた路線図。
すべてが奇妙で、自分が異国人みたいに思えた。
なんて居心地がわるい場所だろう。
泣きたくなった。猛烈に帰りたかった。電車の窓を突き破ってしまいたかった。
降りなければいけない駅がアナウンスされ、重くなった体で私はホームに降りた。
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駅からアパートまでできるだけ急いだ。
帰宅ラッシュでもないのに混雑する駅や見たことのないチェーン店、絶対に人がいるはずなのに物音ひとつしない住宅街。
見るもの、聞こえてくるもの全てが私を突き放しているように思えた。
きっと、生きてはいけるだろう。食べて寝ていればいいのだから。
でも幸せには、生きられないかもしれない。
追伸
この記事は新生活を始めたばかりのころを思い出しながら書きました。
新しい土地で暮らす不安はいまだに完全には無くなっていないけど、地元で味わう幸せとはまた違った幸せを見つけながら生きています。
ただでさえ不安な自立生活、加えてコロナウイルスの流行で思い通りにいかないことが多い毎日ですが進んでいくしかないと自分に言い聞かせています。
一日でも早く何の心配もしない日常が訪れますように。
気兼ねなく旅行に行き、実家に帰り、友人と会える日がきますように。