
大陸起源説について
日本人のルーツについての疑問
日本の学校教育では、日本人のルーツを朝鮮半島に求める「大陸起源説」が広く唱えられています。しかし、私はこの説に疑問を抱いています。
応神天皇と大陸起源説
大陸起源説を支持する人々は、次のように主張します。
「応神天皇の時代に、日本の天皇は朝鮮半島から連れてこられた」
確かに、応神天皇の時代に朝鮮半島からの移民が流入したことは事実です。しかし、それを天皇の血統と結びつける明確な証拠はありません。
光仁天皇と百済の関係
もし大陸起源説を裏付けるとすれば、第49代光仁天皇の時代の出来事が関係しているでしょう。
光仁天皇は、聖武天皇の娘・井上内親王と結婚し、天皇の座につきました。しかし、井上内親王は伊勢の斎王を務めていた際に謀反の疑いをかけられ、幽閉され、その後、皇子と共に命を落とします。
その後、光仁天皇は自身の客人であった高野新笠との間に桓武天皇をもうけます。この高野新笠こそが百済系の出身とされる人物です。
また、平城京を襲った疫病の原因は井上内親王の怨霊とされ、それを鎮めるために各地に御霊神社が建立されました。桓武天皇が都を京へ遷した理由の一つも、これにあったといわれています。
天皇の血統と「背乗り」
光仁天皇は、天皇家の血統から11系も離れた存在でした。そのため、光仁天皇と百済系の高野新笠の間に生まれた桓武天皇が即位したことは、いわゆる「背乗り(はいのり)」と指摘される可能性もあります。
南朝と北朝の対立が始まった背景にも、これが関係しているのかもしれません。
漢風諡号と歴史の改変
「神武」や「光仁」といった漢風諡号は、光仁天皇の依頼により淡海三船が名付けました。興味深いのは、淡海三船がもともと朝廷を批判し、禁固処分を受けた人物であったことです。
光仁天皇が漢風諡号を採用したのは、天皇の素性や正統性を曖昧にするためだったのでしょうか?
淡海三船は光仁天皇時代に出世しましたが、桓武天皇の時代になると、その地位は降格しています。
このような歴史の変遷があるため、第49代までの南朝天皇と、それ以降の北朝天皇の間には価値観の違いが生じたのです。
次に『応神天皇の父は誰か?』
大陸起源説を唱える人々は、応神天皇を例に出しますが、そもそも応神天皇の父は誰なのでしょうか?
最も有力な説として、応神天皇の父は武内宿禰(たけのうちのすくね)でありますが、その祖先は物部氏です。物部氏の祖先・伊香色男(いかがしこお)の曾孫が武内宿禰であり、彼の一族は代々、国造(くにのみやつこ)として日本の基盤を築いてきました。
しかし、古事記では物部氏の功績や国造りの歴史がほぼ葬られ、まるで御伽草子のような記述になっています。
このような書物を日本の歴史認識の基盤とするのは危険です。
歴史は誰のために作られるのか?
室町時代には「古事記」「日本書紀」「先代旧事本紀(せんだいくじほんき)」の三部作が国史として尊重されていました。しかし、江戸末期になると政治的な思惑を持つ学者たちによって「先代旧事本紀」は偽書扱いされてしまいました。
なぜなら、先代旧事本紀に記されていた「国造本紀(こくぞうほんき)」には、日本の国造りを担った物部氏と先住民の歴史が詳細に書かれていたからです。
つまり、日本の基盤を築いたのは、渡来人ではなく、古くからこの地に住んでいた日本人だったのです。
この証拠に、1300年前の戸籍には当時の苗字が記録されており、それが現在まで連綿と受け継がれています。
一方で、渡来人たちの歴史は朝鮮半島の神話や伝説に依存したファンタジー的な要素が強いのが実情です。
その理由を次にご説明しましょう!
渡来人の歴史と信仰の変遷
渡来人の歴史には、朝鮮半島の神話や伝説に依存したファンタジー的な要素が多く含まれています。その理由の一つとして、日本に古くから存在していた「祖先崇拝」と、渡来人に与えられた新たな信仰の違いが挙げられます。
当時、日本の物部氏をはじめとする古来の豪族たちは、自らの祖先を「御祖神(みおやがみ)」として敬い、信仰していました。しかし、渡来人にはそのような祖先神が存在しませんでした。
そこで、時の天皇は渡来人に対し、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」を祭神として与えたとされています。このことについて、「なぜ天皇は渡来人に天之御中主神を与えたのか?」と考察する文献も残っています。
明治以前と以後で変わった信仰のかたち
この出来事は、後の時代にも影響を与えました。
明治以前、日本の信仰の中心は祖先崇拝でした。しかし、明治以降は、神話に登場する神々が主祭神とされる信仰へと変化しました。
特に明治時代には、一神教支配のため祭神の入れ替えが行われ、それまでの祖先崇拝の文化が薄れゆきました。
そのため儒教的な「ご利益信仰」へと変化してゆき、これにより人々は超越的な神を信仰するスタイルへと移行していったのです。
この流れを考えると、信仰の変遷には政治的な意図が絡んでいた可能性も否定できません。
若い世代へのメッセージ
私が若い世代に伝えたいことは、「歴史とは、権力者にとって都合よく作られるものだ」ということです。
明治時代に華族となった人々も、もともと身分や家柄が高かったわけではありません。古くからの庄屋や名家から土地や財産を奪い、明治政府に協力した者が華族としての地位を得たのです。
戦後のGHQやCIAの時代にも、権力に協力することで地位や財産を保証された人々がいました。明治時代の華族制度も、まさにその構図と同じなのです。
現代にも続くプロパガンダ
そして、現在もプロパガンダに協力し、作られた歴史を誇示しようとする人々がいます。
なので、私は、すべての古書を疑ってかかっています。(笑)
なぜなら、残念なことに九州から畿内に入った豪族さえも「渡来人」として扱われているからです。
重要なのは、フィクションではなく、日本人としてのアイデンティティを取り戻すこと。
そして真実を守ることの難しさを、後世に伝えてゆきたいと思います。