
さようならのかわりに
ここはちょっとめずらしい家。
名前は「アマヤドリ」
18歳から20代の若者の家。
家庭を頼ることができない、行き場がない子のための家。
私たちは、若者が、このお家に住んで、癒され、力をつけ、別の住む場所を見つけて引越していくまでのを期間を、「アマヤドリ」そう呼んでいます。

家庭を頼ることができない理由はそれぞれ。
暴力があったり、
無視や暴言で居場所がない家庭で我慢し続けたり、
我慢の限界がきて家出をして転々と彷徨ったり、
追い詰められて心を病んでしまったり。

人生の大雨に打たれている若者が、一時的にアマヤドリをしていけるように、家をつくった。
約1年間の生活を通して、人との関わりを通して、自分だけの傘をみつけ、雨が降っていても歩いていけるようになり、卒業していく。
そんな家。

アマヤドリ卒業後も、つながりを保ちながら、相談に乗ったり、連絡をとりあったり、おしゃべりをしたりしている。
必要があれば病院や役所への行くのを付き添ったり、食べ物や生活に必要なもの物を届けたり。
アマヤドリのお家ができて2年が過ぎた。
卒業した子は、のべ24名になった。
そのなかには、「アマヤドリに今いる女の子たちにプレゼント」と物品寄付をしてくれる子がいる。
毎月のクレジットカードの寄付会員となり、今、アマヤドリしている子を応援してくれる子がいる。
私たちも本当に驚いている。びっくりしている。
若者たちからの応援は、力と励みになっている。

応援し、応援され。
支え、支えられ。
アマヤドリのことを、応援してくださる方がいること。
アマヤドリが、目の前の若者を応援していること。
若者が、会ったことのない、他の若者を応援してくれていること。
応援と支え合いが広がって循環している。
そんな世界が実現していた。
だからこそ、アマヤドリには「さようなら」がない。
私たちもずっと応援しているし、きっとあの子達も応援してくれている。
そしてまだ見ぬあの子にも、その応援は届いていく。
今度は私たちが助けてもらうかもしれない。
あの子だって、また困った時が、あるかもしれない。
それでいい。
それがいい。
お互いが生きていて、どこかで直接ではなくても、誰かと誰かが助け合えたら、それが循環なんだと思う。
この日、また1人、アマヤドリから若者が卒業していった。
卒業の日。
「いってらっしゃい。」
そう伝えて、大きく手を振り見送った。

あなたがもし人生の雨に1人で打たれていると感じているなら、そんな時は、アマヤドリしていきませんか?
そこにはきっと、思い出が残るはず。
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