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『なぜあの人は好きなことだけやって年収1000万円なのか? 異端の経営学者と学ぶ「そこそこ起業」』が発売になります!

「そこそこ起業」、単行本化です!


 今年二冊目の書籍、『なぜあの人は好きなことだけやって年収1000万円なのか? 異端の経営学者と学ぶ「そこそこ起業」』が7月26日に発売となります。



 今回の本は、2022年度に1年余の期間、集英社のwebサイト「よみタイ」で連載させていただいた「そこそこ起業:異端の経営学者が教える競争せずに気楽に生きる方法」に再編集と描き下ろしを加えた単行本となります。
 単行本化のお話を頂いた際、「連載原稿を纏めるだけなので楽ちん!」と思っていたのですが、いざ作業を始めると一冊本を書き下ろすのとあまり変わらない作業量になってしまいました(笑)。
 なにせ、連載中は思いつくままに原稿を書いていたので、単に発表順に並べても「本」になりません。論理的にも物語としても全体に一貫したストーリーを持たせるために、担当編集と相談しつつあーでもない、こーでもないと並べ直しているうちに、単行本化のために新たに取材して描き下ろした章だけでなく、「はじめに」の章と「おわりに」の章はほぼ描き下ろし+全体に文章の見直しを繰り返しました。
 結果として、親から私へ、私から学生へ「稼ぎ方」を伝えていくストーリーでありつつ、「ライフスタイル企業家」という新たな概念が切り開く「生き方」の魅力を伝える書籍に仕上がったと思います。


なんで「一般書」で発売したのか?

 実は本書について、連載開始時から何人かの先生方に、「なぜ学術書として書かなかったのか?/出版しないのか?」と言われ続けています。
 2019年頃から、次の研究テーマとして「ライフスタイル企業家」を選び、故木村隆之先生と水面下でプロジェクトを勧めていた2021年頃までは、「学術書で出版を目指そう」と考えつつ、「それでこの研究は成立するのか?」と悩み続けていました。というのも、ライフスタイル企業家は、過去のに私が取り組んできた社内企業家、移民企業家、制度的企業家、社会企業家かなり性質の違う研究領域だからです。
 良くも悪くも、私が過去に取り組んできた「企業家研究」は、研究領域として成立していました。だから研究領域が抱えている理論的課題は明確に共有されており、その解決は実践的貢献につながるものでした。それ故に、これまでの研究は「純粋に学術として理論的課題に取り組むこと」が「実践的(政策的)課題の解決」につながるものであり、論文や書籍も「学術」の流通経路に乗せるだけで十分であると考えていました。
 ところがライフスタイル企業家という概念は、「こういう起業スタイルを普及させ、社会を変えていこうぜ!」という社会への介入を意図して構築された戦略的な概念であり、一種の社会運動として企画されたものです。
 だとすれば、単に学術の世界で「ライフスタイル企業家」という概念が認められていくだけでは全く持って不十分で、もっと多くの人にこの概念を普及させる流通チャネルを持たない限り、研究としては成立しない。だからこそ、この研究はまず「商業出版」として送り出すべきである、と考えるようになりました。

私達の声は、どこまで届いているのか?

 私が『婚活戦略』以後、特に考え込むようになったのは学術という頑健ではあるものの、脆弱さを秘めた流通経路の問題です。
 例えば人生をかけて書いた博士論文を書籍化する場合、経営学だと初刷1000部程度だと思います(実は、この刷数は結構恵まれているのですが)。
 そこから関係する先生に献本して、自分の授業で教科書指定して学生に買ってもらって、3から5年位で在庫が掃けるというのが一般的でしょう。日経図書文化賞とか取れたら少し状況は変わってくると思いますが、学術関係者と自分の学生以外を除いて、どれくらい「届いた」のでしょうか。実際、『制度的企業家』や『ソーシャルイノベーションを理論化する』が、学術関係者と学生以外にどれくらいの読者に届いたのか、ということを考えると結構寒いことになります。
 もちろん、「学術書」の価値はアカデミズムの世界で評価されるものですし、そういう評価のもとで積み重なった学術著の山の中から、「古典」として読みつがれる名著が生まれることは深く理解しています。研究者として、「たとえ今、ここの時代のほとんどの読者に読まれない」ものであっても学術書や論文を書き、山に積み上げる努力を怠ってはならない、と常に自戒しています。
 他方で、私達が文献を漁り、調査でデータを収集し、論文や本を書くのは「少しでも社会を良くしたい」という動機があると思います(だったら、こんなめんどくさくて金にならない行為はしません)。だとしたら、学者が書いた本が内輪(学術界)だけで消費され、ほとんどの人に届いていないという状況を、「俺達は真に価値のあることをしているんだ!」と満足してはならないと考えるようになりました。
 各方面に敵を作ることを覚悟で言い切ってしまうと、さして流通せず、消費されていない「本」に、価値なんて発生していないよ=社会を良くする力なんて無いかもよ、という危機感を学者は持たねばならない時期に来ていると考えるようになりました。

学術と商業のはざまで

 私が敬愛するみうらじゅん先生の名言に、「ない仕事を作る」というものがあります。それこそ、「ゆるキャラ」という言葉は定義としても論理矛盾があるし(キャラは立ってないと成立しないのに、ゆるいのはありえない)、概念としても存在しない。しかし、ゆるキャラは「ある!」と言い続け、面白おかしく紹介し、概念を流通させていくことで「ゆるキャラ」は一大産業にまで成長する「現象」になってしまった。
 私はライフスタイル企業家に限らず、研究者が語るあらゆる概念/理論も同じだと考えています。研究者が研究活動を通じて「現象」を出現させないと、研究という社会的行為は成立しない。らから、「ライフスタイル企業家=そこそこ起業」という現象を発生させるために、最初の発表媒体として「商業」を選びました。当然のことながら、学術としても論文・書籍を発表していく準備を勧めていますが、「ライフスタイル企業家」という現象を成立させるために、今回は(も?)手段を選ぶつもりは全くありません。

 一昨年から立て続けに出版した『マッチングアプリ本』、『婚活との付き合い方』、『アナーキー経営学』、そしてこれから出る『なぜあの人は好きなことだけやって年収1000万円なのか? 異端の経営学者と学ぶ「そこそこ起業」』は、商業市場という異なるロジックと評価基準、スピード感で本を作り、読者による激しく厳しい「消費」に耐えながら、学者として「研究」を成立させうるのか、というフィールドワークの側面も持っています。
 最初は「原稿書いてお金(印税)もらえて、それがフィールドワークになるなら最高やん」くらいの軽い気持ちで踏み込んだのですが、いざ取り組んでみると体力的にも精神的にも結構キツイ(笑)。
 とはいえ大学を取り巻く経営環境を考えたら、「学術もパッケージング次第で魅力的なコンテンツになりうる」ことを証明し、学術と商業をつなぐ経路を少しでも太く、多様なものにすることは経営学という学問の持続可能性を広げるためにも重要な活動だと考えています。
 そのためにも、そろそろ一発、岩尾先生レベルの大ヒットとまでは言いませんが、商業市場でも「ヒット」と胸を張れるくらいには当てなきゃならない。『アナーキー経営学』のときにも言った気がしますが、ヒットが狙えるだけの強度と内容を『なぜあの人は好きなことだけやって年収1000万円なのか? 異端の経営学者と学ぶ「そこそこ起業」』に持たせたという自信はあります(ので期待していただければと思います)。

 この夏は、論文や学会報告の準備を進めつつ、次の本の入稿原稿を書きつつ、更にその次の本のためのデータ整理をしながら、新刊の営業活動に勤しむという、ちょっと正気を疑うスケジュールになっています。
 たぶん「学術と商業のはざまで研究を成立させる」というプロジェクトが明確に失敗するまで止まれませんし、成功したらそれはそれで異常なスケジュールを自分の意志で止めることはできなくなると思います。
 これから数年間、私が取り組むドタバタがどうなるか、お付き合いいただければ幸いです。

 
 
 

 
 


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