祖母のはなし①
2022年7月上旬、祖母が余命宣告された。
7月中か、頑張っても8月にはその時が来る。
あまりにも急な出来事に心が追いつかなかった。
祖母は現在80歳。
認知症専門のケア施設に入居していた祖母がたびたび腹痛を訴えるようになり、施設のスタッフさんがICUでの検査を勧めてくれたらしい。
検査結果は、癌だった。
数年前に見つかって一度治療したものが再発していた。
すでにあちこちに転移していて、端的に言えば手の施しようがない状態だと聞いている。
これからの選択肢は二つ。
抗がん剤を使って治療をするか、苦しみを和らげながらその人らしい生活をおくる緩和ケアをするか。
すでに末期で弱った祖母には抗がん剤治療に耐えうる体力はないだろうと判断し、後者の『緩和ケア』の選択肢が選ばれた。
祖母の面倒をずっと見てくれていた叔母と、長女である私の母にとって大きな決断だったことと思う。
認知症の祖母が自分の状態を理解できるかは分からないけれど、とにかく痛い思いをせず残りの時間を過ごしてもらいたい。
その想いに反対する家族は誰もいなかった。
数年前まで浴びるようにビールや焼酎を飲み、煙草を吸い続け、「仕事に行ってくる」と言って毎日パチンコに通い詰めていた祖母。
世間一般の「おばあちゃん」のイメージと比べると、なかなかファンキーな祖母だと思う。
ゲームセンターやテレビゲームも好きで、常に最新のゲーム機が置いてある祖母の家は幼い頃の私にとって最高の遊び場だった。
老眼で見えにくいと文句を垂れながら、「テイルズシリーズが面白い」「ゼルダの新作は出ないのか」と話す祖母は本当にただのゲームオタクで、私がFFやキングダムハーツ、ソニックシリーズなどを好きになったのも確実に祖母の影響だ。
お下がりでもらったゲームの攻略本には、宝箱の位置やストーリーを進めるための暗号などが鉛筆で書き込まれていたのをよく覚えている。
そんな祖母がゲームのやりすぎで腱鞘炎になり、視力も徐々に落ちて、いつしかゲームを触らなくなった。
認知症になってからは好きだったゲームの話もしなくなり、寂しい思いをしていた。
それでも、数年に一度遊びに行った際に一緒にSNOWで写真を撮ると「わたし美人やなあ」と自画自賛する祖母。
祖父と大喧嘩をして、家出すると息巻いていた祖母。
「結婚しなければ、英語を勉強して働きたかった」と言っていた祖母。
祖母の若い頃は生き方の選択肢などないようなもので、見合い結婚が当たり前の時代だった。
なんだかんだ楽しそうに過ごしていた祖母はきっと、結婚を後悔しているわけではないと思う。
しかし、選択肢がある今の時代を羨む祖母に「自由に生きたらいい」と言われたことはきっと忘れない。
せっかく自分で選んだ道を歩けるのだから、やりたいことを諦めずに一度だけの人生を生きたい。
祖母との会話を思い出し、そんなことを思う日だった。
落ち着いたら続きを書きます。