見出し画像

「賢さ」とは何か?を考えてみた

こんにちは。かきもとみさです。

つい先日、他愛ないの無い雑談の中で、「あなたにとって、賢さとは何ですか?」と聞かれたことがあったのですが、そのときはうまく答えられませんでした。

けれど、これがあとで「たしかに、賢さって何だろう・・・?」とよくよく自分の中で考えるきっかけになりました。

皆さんの中では、「賢さとは何か」と聞かれたら、どんな答えが思いつきますか?

今日は私の中での「賢さ」を書いてみたいと思います。

「賢さ」は、周囲からネガティブな影響を受けない芯の強さ

私がたどり着いた答えはこれでした。

私の周りでも「賢いな」と思える友人が何名か思いつきます。

パッと思いつくのは、UCバークレーでプチ留学をした際に出会った海外の友人たちや、高校時代の同級生の友人たちです。

彼ら・彼女らは、国籍は違えど、輝かしい学歴・職歴だけでなく、言葉や価値観のひとつひとつどれをとっても、友人として誇らしいと思えるほど素晴らしい人間観を持っており、「賢い」とすごく思います。

その友人たちをイメージして思いついたのがこの「周囲から影響を受けない強さ」という要素でした。

彼らは、自分の思考レベルや立派な価値観があり、まずそのマインドセットが尊敬に値します。でも、もっと素晴らしいところは、それが「ちょっとやそっとじゃブレない」ということです。

人間は環境に影響を受ける生き物です。とくに幼少の頃からの環境というのは、生まれた時点で本人が選べるものではないですから、ある程度の立派な環境に生まれ育ったことは「幸運だった」としか言いようがない部分があることは否定できません。

ですが、その彼らが大人になっても賢くあり続けるのは、自分自身の手で自分の世界を広げていくときに出会う、汚い世界や心が貧しい世界、不愉快な出来事や人物から発せられるネガティブな要素を自分自身の価値観とは混ぜ合わせないで一線を引けることなのではないかなと思います。

その自分が持つ「軸」とは重ならない価値観や人物、世界観や出来事に出会ったところで、自分自身の中には変に吸収せず、自分に対する悪影響を及ぼさない強さ。これが「賢さ」なのではないかなと思います。

同じ環境で生まれ育ったとしても、この強さを持ち合わせていないと、お金を手にして汚い世界に転落してしまったり、傲慢な人間になってしまったり、志の低い人間になる可能性があったりします。

ですが、本当に賢い人というのは、その影響を受けずに「自分は自分」と毅然とした態度であり続け、尊敬できる人物やプラスだと思う良い影響だけを受けて自分の中に取り込んでいく意思の強さとマインドセットが確立しているのではないかなと思います。

大事なのは「自分の在りたい姿」

それができるのは、恐らく「自分はこういう人間でありたい」「自分はこういう価値観・世界観の人間なんだ」ということがしっかりわかっているからだと思います。

ここが欠けると、自分をすぐに見失ったり、自信をなくしてしますため、何か極端な価値観に影響を受けてしまったりすることが大いにあり得るでしょう。

自分が思い描く理想の自分の姿が明確であれば、そこに自分の価値観があり、それに沿った言葉を発し、行動に現れます。

価値観については正解がありませんが、自分の在りたい自分を目指すということが賢さに繋がるのではないかと考えています。

決して、勉強ができるとか、良い大学を卒業しているとか、そういう経歴だけで賢さは測れないものです。とくに大人になってビジネスのする時代の方が人生においてはるかに長いですから、学歴なんてどうでも良い話ですよね。

賢さとは強さ。これが私のたどり着いた答えでした。

皆さんはどう思いますか?ぜひ考えてみてくださいね。

👉よろしければこちらからフォローをお願いします!
👉会社の売却・買収を検討している方は弊社サイトからご連絡お待ちしております。お気軽にご相談ください♪

🏋️‍♀️「女性のチャレンジを応援したい」ということで発信活動を始めました。私がこれまでチャレンジしてきたことや、人生に対するマインドなんかもたくさん発信していきます♪

Youtube「女子のためのビジネススキル爆上げチャンネル」始めました♪
Twitterやっています♪
Standfmやってます♪
日経xwomanアンバサダーやってます♪








いいなと思ったら応援しよう!