今が幸せだから非日常を求めるのさ

時の移り変わりを感じながら日々を生きてる人ってそうそういないと思うんだけど、確実に時は流れてるんだなって感じた夜。

私は学生の頃、小田急線沿いの片田舎に住んでてね。
駅から徒歩10分以上は歩いたなあ。
だからなのか、家賃が激安でさ。
とはいえ、激安相当の物件でもあって、トイレは和式だし、風呂はバランス釜だし、畳だし、全体的にものすっごい古かったのよ。
あの時点で築40年は経ってたんじゃないかなー。
もちろボロアパートね(笑)。

だけど、水道光熱費がたびたび止まるような、平成の女子学生とは思えないド貧乏だった私は、お風呂もトイレもついてて、しかも風呂トイレ別で(和式だから当たり前)、日当たり良いし(目の前が広大な畑)、2階だし「最高じゃん!」と思って喜んで越したわけ。
友達に言わせると「火サスの犯人役が住むアパートだよね(笑)」らしいし、当時の彼氏からは「たこつぼ長屋だな」って言われてた(笑)。
まあ、そんなボロアパートだけど、引っ越すのも面倒で、大学を卒業しても2年間はそこで暮らしてた。

そのアパートの近くに大家が住んでて、これがいまだに記憶に強く残る強烈な夫婦でさ。
特にお婆さんがすごかったのよ(笑)。
敷地内だろーが外だろーが、気に入らないとすごい剣幕で旦那さんを怒鳴るわけ。
今なら家庭内モラハラだね。
そう、あのお婆さんはモラハラの権化のような人だった。
ま、私はそういうことも楽しみながら暮らしていたけどね。

あのボロアパートを出た理由はいくつかあるけれど、都心の会社に通うのがいよいよしんどくなったから。
あと、社会人になってそれなりの給料を貰えるようになったから、「男を呼んでも恥ずかしくない部屋に移るか」と思ったことも大きい。
だけど、嫌いじゃなかったんだよね、あのボロアパート。
私の青春って感じよ。

先日、子どものイベントで近くまで行くことがあり、なんか懐かしくなって思いつきであのアパートを訪ねてみた。
そしたらさ、すっかり景色が変わっていてね。
まーびっくりよ。
大家が住んでいた大きな屋敷は跡形もなくなっていたし、思い出のボロアパートも近代的なマンションに建て替えられてた。
大家の屋敷がなくなったことで、「あぁ、あの老夫婦は亡くなったんだな」ってわかった。
確か、すごく優秀な娘さんが都外にいたから、きっと彼女夫婦が土地を売ったんだろうね。
そして、たんまりした金が懐に入ったんだろうねえ。

大家の夫婦は畑仕事が好きで、日々、せっせと野菜を植えてたのよ。
それが生き甲斐とも言ってた。
ボロアパートだけど、周りの草刈りは丁寧にしてくれていたし、私はそんな老夫婦が好きだったんだな。
それに、東京って土地を持ってる人が生きていくのに有利だと思ってるから、「なんで売っちゃったかなー」とは感じたけれど、まあ、よそ様のことだから仕方ない。

東京って目まぐるしく街の装いが変わるじゃない?
毎日どこかで必ず工事が行われてるからね。
いったい全体、あんなに工事ばかりして東京は何を目指しているんだか?と人知れず考えたりしますよ(笑)。

東京とは思えない、のんびりしたあの雰囲気が結構好きだった。
毎週末になるとケンカする老夫婦も面白かったし、駅近くにある郵便局のATMでデートの前にお金をおろしていた記憶も懐かしい。
良いところといえば日当たりの良さだけという、あの部屋のベランダから眺める景色(大家の屋敷と畑しか見えなかったけど)は今でも写真みたいにおぼえてる。

そんなことを思いながら帰路に着いたんだけど、変わっていく景色はどこかせつないね。
そういう年齢に私がなったってことかもしれないけど。

私達は明日も明後日も日々は変わらないって思ってる。
だから非日常なことを希求する。
今日と同じ日が来週も来ると思うから「つまんないなあ」なんてボヤく。
でも、変わらないことなんてないし、非日常を求めるってことはそれだけ毎日が充たされているのだと思う。
代わり映えしない毎日が来ることのほうが奇跡的だよ。

大家さん、時々、畑で採れたじゃがいもやとうもろこしをくれたんだよね。
お墓の中で今でも仲良くケンカしているのかしら?

変わっていくことが当たり前の世の中で、変わらないものってなんだろう?とふと思った夜でした。

いいなと思ったら応援しよう!