日本神話と比較神話学 第十七回 毛皮の男たちの宗教 アメノクマヒト、ミトラ一代記、狗賓と河童
はじめに
メラネシア・ポリネシアといった環太平洋圏の無文字社会には「異性に閉ざされた社会」である男性結社が広くみられた。日本の民族学者の岡正雄によると「これには未成年者や女子を参加せしめず、加入には厳重な入社式を施行し、時あって異様の服装を纏い怪音を出してその出現を報じ、村々を横行して強奪威圧を敢えてし、あるいは祝詞を述べ、その他種々の行動を試みる」。(『岡正雄論文集 異人その他 他十二篇』大林太良編)
ユーラシア大陸にもこの環太平洋圏の男性結社に相当する集団またはその痕跡が確認される。代表的なものは古代ローマ帝国で隆盛したミトラ教であろう。このローマ皇帝にも崇拝者を出した異教は、インド・イランの多神教に見られる契約の神・ミトラへの崇拝を引き継いだものだったとされる。このミトラ教の信仰と儀礼の中核にあったモチーフが英雄神による牡牛殺しであった。
この神話的な牡牛殺しのモチーフはインド・ヨーロッパ語族の南下以前にさかのぼるものだったとされる。
小論では以下、この男性英雄による家畜殺し(および家畜盗み)という神話的なモチーフを手掛かりに、各地域の伝承・儀礼・神話の考証を通じて、男性結社のイデオロギーの確認を行う。
水怪と水辺の馬
日本の人類学者の石田英一郎は著書『河童駒引考』において、ほぼ日本全土に見られる「水辺にすむ妖怪・河童が水辺の馬を水中に引きずり込む」という伝説に類似した伝承がユーラシア大陸の各地に散見されることに注目し、家畜を水神の生贄に捧げるという儀礼・信仰を推定した。
石田が挙げた類例をいかにいくつか引用する。
河童が水辺に放たれた馬を水中に引き込むという河童駒引伝説。(日本)
龍が住む水辺で水を飲ませた雌馬は竜の種を受け駿馬を授かるという馬蹄石伝説。(日本・中国)
龍が白馬となって名僧の天竺への旅の伴になるという伝奇小説『西遊記』の一節。(中国)
河伯(河の神)の使者が白馬に乗って現れるという神異経の伝説(中国)
『千夜一夜物語』で主人公シンドバッドに語られる、新月に雌馬を海岸につないで隠れていると、海中より種馬(海馬)が現れ雌馬に名馬を孕ませるという伝承。(西アジア)
馬に化け子どもを水中に引き込む水精ネッキの伝承。(フィンランド)同様の水怪にスコットランドのケルピー、スラブの雌馬の怪ルサルカなど。
馬に乗る花の枝を持つポセイドンの画像。(地中海)
他に、水怪は金属の刃物を嫌う、水馬の伝承は夏至に関わるなどの傾向も指摘されている。
インド・ヨーロッパ語族の文化の研究者ブルース・リンカーンは「三つ頭の悪魔(蛇)によって盗まれ、洞窟に隠された牛を『三番目』と呼ばれる英雄が取り戻した」という神話がユーラシア大陸に拡散する以前の原印欧語族にあったと推定している。この復元神話は印欧語族の部族の戦士たちが他部族から牛の群れを略奪していたことを反映しているとされる。ローマ人には次のような家畜盗みの神話が伝わっている。
一方でギリシア神話では次のような天馬ペガサス(中国の竜馬に相当する神馬)の誕生譚が語られている。
また日本神話では「海・山・平野という三方向に向けて口から食べ物となる動物や植物を吐き出す女神ウケモチがいた。この女神は月の神によって切り殺されたが、その頭部から牛や馬が生まれた」とされている。
三つ頭の巨人カクスも、蛇髪の三姉妹ゴルゴンも、三方に幸を吐き出す女神ウケモチも、本来は同一の存在であり、「三頭の女神の死体の頭部から家畜が生じた。英雄がその牛馬を人間社会に連れ帰った」という家畜の起源神話が本来の神話であったと推定される。
ゴルゴンは西の果てにあるヘスペリデスの園あるいはオケアノス(外洋)の近くに住んでおり、また末の妹メデューサはポセイドンの愛人であったという伝説が残っているように、ゴルゴンたち(三頭の女神)は海の向こうに住む女神であったと思われる。ユーラシア大陸に広がる「水辺で孕んだ馬が名馬になる」という伝承は「英雄神が海の向こうの女神の楽園から人間世界に家畜を連れてきた」という神話を再現する儀礼が変形したものだったのではないだろうか。また「水怪が水辺の馬を水中に引きずり込む」というのは男性結社が英雄神に倣ってこの駒引き儀礼をおこなう姿の記憶が伝承化されたものだろう。
毛皮の戦士と冬至の家畜殺害
スラヴ人の間には古代人狼伝説があった。ネウロイ(現在のベラルーシ)の人狼についてはギリシアの歴史学者ヘロドトスの報告がある。
スラヴ研究者伊東一郎によると、人狼は人間が呪術師や魔女(女性呪術師)によって狼の毛皮を待って変身させられるともいう。(あるいは呪術師自身が変身する)
スラヴ地方ではキリスト教流入後も狼への信仰が残っており、東スラヴの聖ゲオルグ、南スラヴの聖ムラータ、聖サヴァらが狼の守護聖人とされ「狼の牧者」と呼ばれた。彼ら「狼の牧者」たちは自分たちの祭日に狼の群れに特定の家畜を襲うことを許したという。
このような毛皮による人狼(獣人)への変身は、本来、戦士集団の変身儀礼だったと思われる。ゲルマン人の間では戦神オーディンの加護を受けた戦士たちはベルセルクと呼ばれ毛皮をまとい忘我の状態に陥って戦闘を行ったという。彼らはオーディンがヴァルハラの宮殿に招く、戦死者たちの兵士集団とも同一視された。
怪物への異装を行った若者たち(若者組・青年結社・男性結社)が冬至の日に荒々しくふるまうというのは世界的にみられる風習で、日本でも秋田県のナマハゲが例として挙げられる。伊東一郎は戦士結社の風習の残存と人狼の観念を結び付けている。
一方、上記で論じた石田英一郎が注目した「水怪が家畜を水中に引き込む」というユーラシア大陸に広く散見される伝説だが、日本でも夏至前の祇園祭には河童が害をなすので川に入らないという伝承や七夕に川で牛を洗うという風習が残るように夏至と関連が深い。
先に、家畜を水辺につれる風習(家畜盗み)は男性結社の風習の残存と推定した。一方で当時には人狼(男性結社)による家畜殺害の儀礼があったと考えられる。
世界的にみられる、夏至の「家畜盗み」と冬至の「家畜殺害」の伝承は男性結社による儀礼の残存ではないだろうか。
ミトラの秘儀
古代ローマの宗教結社・ミトラ教は現在では残存せず、また信者以外には儀礼などを公開しない秘密主義的な信仰(密儀宗教)であったため、教義・信仰内容(神話)を直接的に伝える文書などは残っていない。ただし、同時代の証言や遺跡・遺構などから研究者が神話・儀礼などを推定的に復元している。
信者は軍人や下級官吏が多く、大烏・花嫁・兵士・獅子・ペルシア人・太陽の使者・父という七つの階級から構成されていたらしい。例外を除き、信者はほぼ男性だった。
以下はミトラ教の創造神話(ミトラ一代記)である。
ミトラは洞窟の中の岩から生まれた。生まれたばかりのミトラは裸で松明を持ちフリギュア帽をかぶっていたとされる。
次にミトラは太陽神に会い、彼に冠を授け、握手をし友好を結ぶ。
その後、ミトラは荒れ狂う原初の牡牛を捕まえる。(ミトラには「牛を盗む神」(ブクロボス・テオス)という奇妙なあだ名が与えられた)
ミトラは顔を背けながらも牡牛を殺害する。この生贄の儀式により荒廃した大地に緑が戻り、人間にとって有益な動植物が生じる。(「牡牛を殺すミトラ」)
その後も悪神の犯した干ばつを癒すため岩に矢を打ち泉を湧かし、大洪水や大火事から人間を守った。
地上での使命を終えたミトラは人びとと聖餐(神聖な食事会)を終えると太陽神の戦車に乗って天に上った。途中、海につかまりそうになりながらも逃れ、ミトラは天上へと帰っていった。
注目すべきなのは英雄神ミトラの重要な事績に「家畜の捕獲」と「家畜の殺害」が含まれていることである。残されたミトラ教の画像からも「捕獲」と「殺害」は対となっていたようである。
上記画像は男性結社の儀礼の残存と推定される「夏至の家畜盗み」と「冬至の家畜殺害」には強い関連がうかがえる。
ミトラ教の神話(ミトラ一代記)には男性結社の風習と共通する要素がみられるが、この神話に男性結社の風習が反映されているというよりも、ミトラ神話の原型となる神話をもととして、男性結社の儀礼が生じたのではないかと考えられる。
世界神話には天上の神の子どもとして「文明の創始者」と「祭祀の創始者」が現れる。「文明の創始者」は家畜や農耕を人間世界にもたらし、人間世界を繁栄させるが、家畜を食べることを人々に広めたことで神々と対立し、その傲慢さによって死後、地下世界に追いやられる。(メソポタミアの王ギルガメシュ、イランの聖王ジャムシード、インドの魔王マハー・バリ、ギリシアのリュカオン、タンタロス、日本神話のアメノクマヒト、アメノワカヒコなど。特にギリシアのリュカオンはゼウス神に対する不敬のために三十人の息子たちとともに狼に変えられたという伝承など男性結社〔毛皮の戦士集団〕との関連がうかがえる。またギルガメシュも毛皮をまとった英雄である)
以上のような神話をもとにミトラ神話が生まれたのではないかと考えられる。(イランの聖王ジャムシードはミトラとかかわりが深い)
男性結社は「文明の創始者」を伝説的な祖とする集団だったのだろう。彼らは文明的ではあるが、反文化的である。(文化人類学の知見によると人間の文化の核心は禁止である)神話を再現する荒々しい彼らの活動は「群れをなす妖怪たち」として伝承に残った。それは「祭祀の創始者」を祖とする公共的な宗教・信仰に対する、暗く暴力的で、時に反社会的ですらある、男たちの秘儀的宗教だったのだろう。
日本の人狼
日本の水怪・河童の伝承は「夏至の家畜盗み」の儀礼の残存であると考えられる。一方で、「冬至の家畜殺害」の儀礼に対応する伝承は存在するだろうか。
正月に猿回しの連れた猿を馬小屋につれていく厩猿〔うまやさる〕の風習は近世まで見られたものである。中国・明代の小説『西遊記』では主人公の猿神・斉天大聖(孫行者)が天界で与えられた役目が馬の世話係(弻馬温〔ひっぱおん〕)だったように猿と馬のかかわりは深く、猿は馬の医者と考えられていた。これはインドにも見られるらしい。
この猿回しの厩猿の風習が「冬至の家畜殺害」に対応するものだったのではないだろうか。猿が正月に馬小屋を訪れて馬に予祝(祝福)を与えるというのは、毛皮を着た男たちが冬至に家畜のもとを訪れて殺害するというのが本来の形だったのではないだろうか。殺害の儀礼がやがて、殺害を模倣する儀礼となり、さらに毛皮の男たちが飼い猿へと変化していった風習が広まったのではないか。
スラヴの人狼伝承が「冬至の家畜殺害」儀礼に対応する。
日本の天狗という妖怪も、本来は人狼の類ではなかったかと推察される。天狗は行者姿で長い鼻と赤い顔の男の妖怪で、人をさらうともいう。(天狗さらい。いわゆる神隠し。近世では天狗にさらわれ異界に連れていかれた『天狗小僧寅吉』という少年のルポルタージュ『仙境異聞』が残っている。)中世では長い鼻ではなく鳥のようなくちばしをしていると考えられていた。しかし、さらに古代にさかのぼると狼(山犬)の顔をしていたのではないかと思われる。天狗は、地方によっては「木の葉天狗」「狗賓〔ぐひん〕様」などといって、狼の姿をしていると考えられている。「天狗」という言葉は日本書紀に見られ「流星」に似たものらしく描かれるが、中国古代の奇怪な地理書『山海経』に記載される怪物であり、中国の民話では「天狗食日」といい太陽を食べて日蝕を起こす犬の怪物と考えられていた。中世以降の日本では天狗は鳥などの姿であったが、「狗」とつくように、本来は狼の妖怪であり、山伏などの人里を離れ山に棲む男性集団(男性結社)の姿が里の人間から妖怪とみなされた人狼(毛皮の男たち)の類であったのだろう。出羽三山を開山し、修験道の開祖と見なされる崇峻天皇の皇子・蜂子皇子〔はちこのみこ〕は狼の顔をしていたともされる。
河童が金属の刃物を嫌うとされているのはユーラシア大陸の水怪に散見される特徴と共通している。一方で毛皮の男性結社と見なされるであろう秋田のナマハゲは刃物で子供を脅す真似をする。アフリカなどの戦士結社には割礼の風習がみられる。ユダヤ・アラブなどに見られる割礼の風習も本来は戦士結社の者だったのではないだろうか。男性結社の姿が投影されている怪物が刃物を恐れ、あるいは刃物で脅すのは性器の一部を切除する割礼の習慣が男性結社にあったことを示しているのではないか。
また河童も天狗も相撲を好むとされているが、これも彼らに男性結社の姿が投影されていることが起因しているのだろう。
参考文献
工事中。