笑われても、切られても、ただ好きだったからプロになれた。
こんばんは。今日はnoteへの記念すべき第一回めの投稿です。
私は子供の頃歌手に憧れていました。子供の頃女の子なら誰でもよくある事ですね。
小学生のある日の音楽の授業で大声で気持ちよく歌っていたら前の席の子が振り返って私の顔を見て笑うんです。顔をくちゃくちゃにして笑。
その時、私は自分が歌が下手なのだと初めて知りました。
それでも歌が好きで良く学校から帰ってきたらラジオの電話リクエストなんかをしていたんです。
そしたら、パーソナリティーとたまたま繋がって、ラジオ番組中にインタビューされました。
将来何になりたいの?突然聞かれてとっさに出た答えが
「桜田淳子さんのような歌手になりたいです!」
自分でもまさかそんなふうになれるとは思ってもなく驚きましたが、
後日、歩いていると一台の車が私の横で止まり、スーッと窓が開くと隣のおじさんでした。
そしてたまたまラジオを聴いていたようで「何、みさは歌手になりたいんだって?」そう言われ笑って(ウケて)いる姿を見てとても恥ずかしく、消えいりたい気分になり思わずラジオで言ってしまったことを後悔しました。
そんな私は中学生になり、必修科目でフォークダンス部笑に入ります。
フォークダンス部の上級生の西田先輩という女子は背が高くて可愛くて優しくてとっても素敵な先輩です。
私はほのかな憧れを抱いていました。
その西田先輩は合唱部に入っていて、私を誘ってくれたのです。
嬉しくなって合唱部に入部。
アルトを担当し、ハーモニーの楽しさを知ることになりました。
その中学はNHK合唱コンクールで入賞した実績があり、
中学2年生の頃コンクールに向けて練習が始まります。
私はなんとか補欠でメンバーに入ることができ、
朝練や放課後、熱心な練習に参加しました。
そして事件は起こりました。
忘れもしないある朝、コンクールも近くなっていましたが、なんとなくあくびをしてしまいました。
その瞬間、指導の先生も気が立っていたのでしょう。
「吉川、降りろ!」
と怒鳴り、私はコンクールメンバーから外されてしまいました。
私にとって、まるで悪夢のような出来事でした。
夢なら覚めてほしい。
そう思いましたがそれが現実でした。
今考えると、先生に「すいませんでした、緊張感が足りませんでした。今度から気をつけて一生懸命頑張ります」と言えばメンバーになれたのかもしれませんがその時は思いつきませんでした。
それをきっかけに合唱部にも行かなくなりました。
やがて高校生になりカラオケブームが起こります。
友達の家でホームカラオケや短大になると飲みに行った時に歌うと友達が喜んでくれる。
学園祭では小泉今日子になり、どうやら合唱部での厳しい練習が功をなしたのでしょう。
それからますます練習して、いつしか振りをつけて歌うとススキノの飲み屋ではみんな盛り上がってくれる。
なんだか少し自信がついてきましたがまさかその時は歌手になれるとは思ってませんでした。
短大で服飾美術を専攻して生地屋に就職します。
その生地屋は北海道で一番大きく、たとえ結婚しなくても一生働けるような環境でした。仕事も少しずつ任されてやりがいはあったのですが、
何か違う。自分の一生がこのまま終わってはいけないような気がするのです。
それで、仕事を辞めて東京に遊びに行く振りをして音楽事務所のオーデションを受けたら合格。
実家には勘当され音楽の道を歩みだすという波乱の音楽人生が始まりました。
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