アートは意味がわからない
私はアート鑑賞が割と好きだ。
日常では使わないようなアタマを刺激されて、色々な感情が湧き上がってくるあの感覚は、他のインプットで代替えしにくい。
アート作品に限らずアート的要素がある雑貨や映画、文学でもいい。
インプット後に言語化しづらい感情になることもあるけど、その感覚も面白い。
綺麗、楽しい、面白い。
怖い、気持ち悪い、好きじゃない。
ポジティブもネガティブも一気にやってくる。
五感が揺さぶられる感覚は、何かとても豊かな感じがする。
一方で、アートの良さが全くわからないという人もいる。
作品を見ても意味がわからない、楽しみ方がわからないというのだ。
意味がわからない?
そんなの私だってほとんどわからない。
わかるのは好きとか嫌いとか、なんか引っかかるとか、感情だけ。
意味がわかるのは、大抵ずっと後になってからだ。
そもそも、そういう人はあらゆる事の意味がわかっているのだろうか?
日々起こる出来事は、意味がわからないことばかりだ。
それとも、わかることだけを身の周りに置いているのだろうか?
「何かのためにこれをする」みたいな発想は、あまり豊かじゃないなと思う。
もちろん生きるためには必要だし、日々の生活はほとんどそういう行動で回っている。
でも、だからこそ「何のためになるかわからないこと」に豊かさを感じる。
実学は重要だけど、今すぐ何のためになるかわからない哲学や文学の意義はそういうところだと思う。
こういう言い方をすると、アートは「余裕がある人の道楽」と思う人もいるかもしれない。
そういう側面もゼロではないけど、全く役に立たないか?と言われるとそんなこともないと思う。
アートが育む感情の豊かさは、自分を知る手がかりになったり、他の人の視点を知るキッカケになる。
だからこそ学校教育にも美術や音楽があり、国語で文学を取り上げるのだろう。
でも、アートの効能を期待して鑑賞するのは本末転倒だ。
「これは何かの役に立つ」と思いながら見ると、感情にバイアスがかかってしまう。
それでは意味がない。
でも、結局いくらこういうことを主張しても、「わからないから好きじゃない」という人に届くことはないだろう。
「わからなくても良い、どう感じたかが大事」って、生きるのにとても大切なことだと私は思うのだけど。