愛着とは
今日、SUSONOで松浦弥太郎さんとオンラインチャットでお話するイベントに参加しました。
テーマは「愛着のあるもの」。
メンバーがそれぞれ愛着のあるものと、その理由を披露する感じになるのかなと思いながら参加しましたが、話は思わぬ方向へ…。
弥太郎さんにとって「愛着のあるもの」とは、
松浦:少なくとも自分の人生の半分は一緒にいるものかなと。
離れがたいもの。無くなったら困るもの。
冒頭からググッとハードルが上がる。
参加メンバーが想定していたのは、弥太郎さんに言わせると「愛用品」。
愛着となると、そうとう語感が重い。
トークを通じて気づいたのは、愛着という言葉の持つ意味。
大辞林によれば、
慣れ親しんでいる人や物に心をひかれ、はなれがたく感ずること。
なるほど、確かに「愛用」とはかなりニュアンスが違う。
さらに、おそらく語源としてはこちら。
愛着(読み)アイジャク
仏語。欲望にとらわれて離れられないこと。愛執(あいしゅう)。
チャット中、「愛着の着は執着の着ですね」と咄嗟に発言したのですが、辞書的にもそれがほぼ正解だったとは。(ホッ)
長年離れがたく手放せないもの。
となると、当然傷んだり壊れたり、ボロボロになっていたりするのが普通です。
手入れをしながら、新しいものが買えるのにも関わらず、ずっと使い続けているようなモノ。
そんなモノには大抵思い出が詰まっています。
私は愛着のあるものとして、長年続けているタップダンスの稽古で履くタップシューズを挙げました。
緩んだネジ穴を楊枝で補修したり、破れたところに革を当ててもらったりして、かれこれ12年くらい履いています。
本番10日前くらいに底が折れて、急ぎの修理に出したこともありました。
他のシューズも持っていますが、一番足に馴染んでいて、稽古の苦楽をともにしてきました。
舞台の稽古のつらさや悔しさ、ごく稀に喜び。
そんな思い出を一緒に過ごしてきたシューズ。
これはまさに「愛着のあるもの」の一つです。
大事にしすぎてしまいこんでるものや、誰かから譲られたものは、弥太郎さんの言う「愛着品」ではなく、「宝物」なんだとか。
ということは、愛着品は自分がそれを使って何をしてきたか、何を大切に生きてきたかを象徴するモノと言えそうです。
松浦:今すぐ思いつかなくていいと思います。でも、そういうのをいつも考えるってすてきなことですし豊かなことですね。ぼんやりとなんだろう?って。
松浦:自分を知る。自分を見つめる。自分を探すってことですね。そのために考える。
自分を知ること、見つめること。
それは豊かなことで、一生かけても良い宿題かもしれません。
みなさんの愛着品は何ですか?