装置が働かない
今年はクリスマスが近づいている感じがしない。
イルミネーションもかなり復活してるし、街の人出も徐々に戻ってきているようだ。
実際先週イルミネーションを見に行ったら、いつもより少ないながらも人は出歩いていた。
ツリーやライトアップ、控えめに流れるクリスマスソング、店頭に並ぶクリスマスの飾り付けグッズやお菓子…ムードを盛り上げる装置はまずまず揃っている。
でも、なぜかクリスマスのムードがない。
ムードというのは、ある程度装置で作られるものだと思っていた。
場を演出する装置の中に入れば自ずと気持ちが調整されて、場に適応したマインドになりやすい。
葬送儀礼などは、それがわかりやすいだろう。
でも、そんな大袈裟なものでなくても私たちは普通に装置の力を借りてきた…主に消費行動という場面で。
季節のイベントは、街や売場の装置の役割が大きかった。
正月にはじまり、バレンタイン、ひなまつり、お花見…あらゆる季節イベントの装置の中で、私達は買物をし、どこかに出かけて行った。
仕組まれた装置とわかっていても、それが楽しかった。
でも、今年のクリスマスは装置の力がうまく働いていないように見える。
いつも通りの飾り付けの中に入っても、なぜか買物をしようという気にならない。
キラキラしたライトアップが、今までのようなキラキラに見えない。
結局のところ、今年は装置をいくら作っても、作る方のマインドセットが不完全なのだろう。
装置は物理的な飾り付けだけではなく、装置に携わる人も含めてのものだ。
今年はお店で働く人も、商業施設の担当者も、クリスマスを盛り上げる気持ちになりきれていないのだろう。
振り切ってクリスマスをやるにはコロナの状況的に油断ならないし、あまりに浮かれたムードを出すと誰かに叩かれかねない。
装置というのは大事だけど、やはり人の気持ちの補助的役割なのだ。
イベントや儀式を良いものにするためには、装置だけどんなに凝ってもダメだということだ。
かと言って、気持ちがあっても装置がなければムードが作られない。
装置はあくまで、優れた増幅器なのだろう。
当たり前のことだけど、たまにこのバランスを見失う。
「ほんの気持ちです」も、それをモノに託すことで相手に伝わる。
気持ちだけでも、モノだけでもダメなのだ。