たくさんあるとわかりにくい
言葉には、人それぞれのイメージと定義がある。
同じ言葉でも、イメージと定義が違うまま会話を続けると、齟齬が生じて内容が全く伝わらないことがある。
昨日『世界は贈与でできている』の読書会で、この話題になった。
本の中で「逸脱的思考」と「求心的思考」という話が出てくるのだが、どうも「求心的思考」が何を指すのかピンと来ない。
文脈からは「一見不可解に見える現象の原因を推察すること」を指すように読めるのだが、どうも自信がない。
参加メンバーでああでもない、こうでもないと話して出た結論は、「求心的」という語感から私がイメージするものが著者と違うのでは…?ということだ。
きゅうしん‐てき〔キウシン‐〕【求心的】
[形動]思考などが内面に向かおうとする傾向。「求心的な態度」
(デジタル大辞林より)
多分著者がイメージする辞書的な意味はこれだろう。
原因を深く考察するようなイメージは、確かに内面的でもある。
しかし。
きゅう‐しん〔キウ‐〕【求心】
中心に近づこうとすること。⇔遠心。
(デジタル大辞林より)
私のイメージはどうもこちらである。
内面というよりは中心。
真ん中にギュッと集まってくる感じだ。
この時点で「求心的」と「求心」はイメージがズレている。
求心的
読み方:きゅうしんてき
名詞「求心」に、接尾辞「的」がついたもの。
(日本語活用系辞典)
そこにきて、こういう辞典もある。
こうなるともうわけがわからない。
『世界は贈与でできている』で語られている「求心的思考」については何となく理解できたものの、相変わらず「求心的思考」という言い方への違和感は抜けない。
一度言葉の定義が気になりはじめると、そこが気になって文脈を理解するどころではなくなってしまう。
これは、私のクセだ。
同じ言葉に定義やイメージがたくさんあると、相手が意図するのはどれのことなのかわかりにくくなるので困ってしまう。
その人が、その言葉を、どんな定義で使っているのか?
コミュニケーションにおいて誤解や不理解が起こる原因は、そもそも言葉の定義の違いが多いのではないか?
そんな話が読書会でも出ていた。
ビジネスにおいてもそうだ。
例えば「プロダクトデザイン」という言葉がプレゼンで出てきたとして、それが単に商品の見栄えのことなのか、お客様の使うシーンまで想定された意味なのか、あるいはそれが使われる環境まで考えた大きな視点のことなのか、それによって全く話が違ってくる。
文脈で判断できる場合もあるが、どれでも話が通じてしまう場合も起こり得る。
そうすると、話が終わる頃に双方が抱くイメージに大きな差が出てしまう。
これは後で重大な問題が起こりかねない。
相手がどんな言葉を使っているか?
その言葉にどんなイメージを持っているか?
使う言葉のチョイスも含め、過敏に気にしてしまうのは私の良くないクセだと思う。
(文学士であることや、校正まがいの仕事をしていたことがあるのも無関係ではないだろう)
でも、だから言葉は面白いとも言える。
その人の言葉を理解することは、その人自身の世界を理解する手がかりになると、私は信じている。
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