プロがアマチュアを纏う

前回の「いんよう!」のPodcastを聞いてからずっと考え込んでいる。

プロとアマチュア。
一般的にその違いは、特定の働きによってお金を稼げるか?という認識だと思う。

しかし、今回はその話ではない。
そもそもアマチュアの語源は「愛する人」、プロフェッショナルの語源は「公言、宣言」なのだそうだ。
ここから転じて、プロフェッショナルは「出来ることと出来ないことを公言する」というあり方で、アマチュアは「愛する対象のために自分の領分を線引きせずに取り組む」とも言えるのではないか?という視点から展開する話である。

例として治験の話が出てくる。
治療法として確立していない治験というのは、そもそも研究と治療の区別がしづらい。
治療は医師のプロの領域だが、研究はアマチュア性が混ざるのではないか?
そういう問題提起からPodcastは進んでいく。

ヤンデル先生が言う「プロがアマチュアを纏うことがある」という言い回しが面白い。
例として訪問看護士が挙げられているが、対人の仕事の場合はほぼ当てはまる話のような気がする。
アマチュアのフリをするのではなく、アマチュアを「纏う」という言い方。
自分の仕事の効果を最大限引き出すために、相手にとって一番心地よく、心を開きやすいふるまいをする。
それがアマチュア的なふるまいであることは多々あるだろう。
しかし「フリをする」と「纏う」は、一見似ているが全く違う行為だ。

「フリをする」は、相手に耳障りの良い言葉と態度を自分の利益の為に行うことだ。
最優先は自分の利益であり、そのためにプロとして本来引かなければならない境界線を無責任に踏み越える。
出来ないこと、可能性が低いこと、明らかな嘘も、利益のためなら「大丈夫!必ず出来ます!」と言うだろう。
その態度は責任を負う必要がないアマチュアと似て、相手に対する覚悟がない。
トンデモ医療や情報商材屋、マルチやオカルト(スピ系)はこれに当たるだろう。

一方でアマチュアを「纏う」は語源通りで、相手への愛を表すものだ。
どうしたら相手がより良くなるか。
それを本気で考えると、出来るだけ相手が心を開きやすい対応をせざるを得ない。
だから訪問看護士は近所のおばちゃんのような「おじいちゃん、最近どう?」みたいな話し方になるし、医療行為ではないけど肩を揉んだりすることもあるだろう。
ただ「纏う」の場合、最優先は相手の利益である。
ただし、プロの本分を越えることはない。
だから、出来ないことは出来ないと言うし、嘘も基本的にはつかない。
自分が相手にどこまで責任を負えるかをわきまえながら接する。
(経験が未熟だと、この線引きをうまく出来なくて失敗することがよくある)

例えばこんな感じだ。
心を病んでつらい状態にある人に「何か私に出来ることはありますか?」と言った場合。
もし相手が「じゃあ一晩中そばにいて」とか「電話に常に出て」と言われたらどうするのか?
断れば相手からは「裏切られた」と思われるだろう。
相手の要求に応え続けたとしたら、相手は自分への依存を強めるだけで回復せず、自分も疲弊して続けられなくなるだろう。
こんな時、アマチュアを纏ったプロなら「○時までは時間があるから、その間に出来ることはある?」みたいな言い方をする。
自分の出来る範囲を線引きしつつ、相手に寄り添いたい気持ちもしっかり表すことができるだろう。
(ちなみに、このケースで「フリをする」の場合、要求出来る範囲が契約書に小さい文字でコッソリ書かれていたりする。それを盾にあっさりと断られるだろう)

私も、アマチュアを纏ったプロになりたいなと思う。
そのためにはたくさんの学びと失敗が必要だ。
失敗して傷つくこともあるだろうけど、それを乗り越える胆力が欲しい。
今はそう思う。

ちなみに、稀にアマチュアを纏うのではなく、プロとアマチュアが溶け合ってしまうケースもある。
長くなったので、これはまた次回。


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山内三咲
豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。