ファッションは生き方が表れる

※この記事は2017年6月に別サイトに掲載した記事を加筆修正したものです。

「人は見た目」とよく言うけれど、ファッションは人の生き方が表れると思う。
ファッションに興味がない人は「見た目」を軽く見る人がいるけど、それは間違いだ。
どうしてファッションに生き方が表れるか?
私なりに整理してみたい。

--装うという覚悟

「場に合った服装」
「浮かないこと」
「TPO」

日本人は特に、服装といえばこういうことを気にしている人が多い。
目立たぬこと、溶け込むこと。
でも、ほんの少しだけ、人よりオシャレに見られたい。

センス良くできた場合、それは「粋」になるけれど、これはなかなか難しい。
大抵の人は諦めて、結局目立たなければいいという方向性になりがちだ。

サラリーマンの、グレーのスーツ。
就活生の、黒いスーツ。
カラーフォーマルも何となくみんな形が似ている。
男子大学生は、まるで制服のように「チノパン×デニムシャツ」がたくさん。
流行りの服は、原宿や渋谷で3人に1人はすれ違う。

みんな、右に倣え。
似たような服。
個性なんかない。

でも、時折ハッとする人がいる。
個性的な服を、さも当たり前のように着こなす人。
あるいは、奇をてらっているわけではないのに、どこか垢抜けた雰囲気の人。

ずば抜けた美男美女とは限らない。
けれど、たくさんの人の中にいても、決して埋もれないオーラに振り返る。

そんな人たちは、他と何が違うのか?



一番違うこと、それは「覚悟」だ。
人とは違う自分を、装うことで表現するという、覚悟。

本来、ファッションは好きなものを着ればいい。
自信を持って「これが好きだ!」と着ていれば、それで十分。
でも、それが怖い。


似合わないと思われたら?
ダサいと思われたら?
野暮ったくみえてない?


自分で自分がわからない。
だから、当たり障りのない服を選ぼうとする。
みんなが着る流行なら乗ってみるけど、それが自分らしいかどうかはよくわからない。
でも、悪目立ちするなら無難な方がいい。


洋服へのスタンスは、そのままその人の価値観だ。
だから、こんなふうに言い換えることができる。


自分で自分がわからない。
だから、当たり障りない行動をする。
みんながやるならやってもいいけど、それが自分らしいかはよくわからない。
でも、悪目立ちするなら無難でいよう・・・。

こういう振る舞いが癖になると、本当に自分がやりたいこと・求めていることがわからなくなる。
「こんなのは自分じゃない」
そう思いながらもどうしたらいいかわからずに、自分をどんどん嫌いになってしまうだろう。


--勘違いという罠

「そんなことはない、自分はちゃんと覚悟できている」
そういう人も、もちろんいる。


「華やかに見せたいから、たくさんの装身具をつける」
「安く見られたくないから、ブランド物を持つ」
「若く見られたいから、露出を多めにする」


これらは、服装によって何かしらの利益や印象アップを狙おうとするパターン。

自分 < イメージ

このギャップを埋めるために、ファッションを利用しようという狙い。
でも、これはちょっと危ない。
ファッションをツールとして使いこなせなければ、とんでもない勘違いになる。

たくさんアクセサリーをつけすぎて、かえってチープな印象に見える。
ブランド物が持つ存在感に負けてしまい、添えものや借りてきたように見える。
露出した肌と実年齢どおりの雰囲気に大きなギャップが生じ、ただの若作りに見える。

・・・こうなってしまった人を見ると、切なくなる。
ファッションは、そう簡単に使いこなせるツールじゃない。
覚悟が足りない人には諸刃の剣になりかねないのだ。

--「着たい服」と「好きな服」のギャップ

じゃあどんな装いなら自分らしく見えるのか?
雑誌で見るファッションに明らかな好みはあるのに、どうしても自分に似合わない時はどうしたらいいのか?

まず「似合う色」は、肌や瞳の色によってある程度決まるので、これはもう、受け入れるしかない。
ただ、例えば「ピンク」といっても、青みがかったピンクやオレンジが強いピンク、赤みが強いものなど色々あって、そういう微妙なトーンを考慮すれば、ある程度は似合う色に近いところまで選択肢は広がる。
好きな色が似合わないと思っているなら、似た色にも恐ろしくバリエーションがあるので、そこは諦めなくていい。

「似合う形」は顔の形や胸や肩など骨格の影響が大きいので、ある程度自分の身体の作りに合ったデザインをチョイスした方がシックリくる。
どんなに好きでもタートルネックが似合わない人もいる。
諦めることも時には必要だ。

問題は「似合うテイスト」。

「フェミニンが似合うのに、自分ではしっくりこない」
「ボーイッシュに憧れるけど、中途半端できまらない」
「トラッドが似合うけど、真面目に見えるのがイヤ」

似合うけど、好きじゃないテイスト。
シックリこないけど、チャレンジしてみたい雰囲気。

これこそ、生き方がファッションに表れる部分。

例えば、フェミニンが似合うのにしっくりこない場合、女性らしさに居心地の悪さを感じていることが多い。

否定というほどではなくても、
「男性に負けないように、強くあらねばならない」
「女性性が強い誰かのせいで、嫌な思いをしたことがある」
など、どこかで女性的なものに対抗するような意識が隠れていたりする。

だからと言って、それがダメな訳じゃない。
それもまた個性で、生き方の一つ。
「似合うけど、着ない」というのも自分らしさの表れだ。

では、「シックリこないけど、チャレンジしてみたい」という場合は?

今の自分には無い雰囲気。
今の自分の体型では、似合わないスタイル。
でも好きだし、着てみたい・・・!

これは努力次第で似合うようになれる。
なりたい自分は作れる。
ただ、そのためにはちょっと頑張らないといけない。

例えば「クールでボーイッシュなスタイル」になりたいのなら。

まず髪をバッサリ切り、
身体を絞る。(ふくよかさは、女性っぽくみえやすい)
言動は歯切れよく、
意志は強く。(思考は表情に表れる)
これを全て出来れば、大分似合うようになっているはず。


でも、これはかなり大変なこと。
それでも似合うようになりたければ、変える覚悟を持って臨むこと。
そうすれば必ず、なりたい自分になることはできる。


--たかが服、ではない

ファッションは、生き方そのもの。
これは大げさじゃない。

どんな服を着たいのか。
どんな色を、どんなテイストで着たいのか?

それを見つめなおすだけで、「なりたい自分」が見えてくる。
それがわかれば、あとは変える覚悟を持って行動すること。
どんな行動を起こせば良いのかわからなければ、一回はプロの手を借りるのもいい。

それでもファッションに興味が持てないなら、それもまた生き方だ。
そんな人は、例えばスティーブ・ジョブスのように服を制服化して沢山同じものを買えばいい。
それは「私は服を選ぶことに時間を割きたくない」という強いメッセージとして伝わるだろう。
これはこれで装いの覚悟だと思う。

でも、もしもそこまで吹っ切れていないなら。
ただ何となくで服を選んできたのなら。

一度でいい、プロの手を借りてほしい。
自分の感覚にピッタリ合った服は、新しい世界を見せてくれるはず。
自分が自分らしく、装うだけでリラックスできる。
そんな感覚を味わってほしいのです。


あなたは、どんな服を着たいですか?

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山内三咲
豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。