必要なのに届かない

スイスは安楽死が合法で、外国人の安楽死を認める唯一の国である。
したがって、日本人で安楽死を望むなら、スイスに行くしかない。
安楽死のリアルについてはNHKがドキュメンタリーを放送したことで多少一般人にも知られることとなったが、それでも多くの人は相変わらずボンヤリとしたイメージしかないのが実態だろう。

ある人と安楽死の話題になった。
その人はNHKの番組も見ていないし、尊厳死や延命治療の細かい段階について知らなかった。
これが普通の、一般的な感覚だと思う。
その上で、死にたいほどつらいなら、死を選ぶ自由はあった方がいいという意見だった。
これもまた、一般的な意見とほぼ合致するだろう。

でも、安楽死のリアルを少しでも知りはじめると、ほとんどの人は迷いはじめる。
現在安楽死は日本では出来ない。
どうしても希望するなら、外国人の安楽死が唯一認められているスイスに渡るしかない。

ただ、スイスでも安楽死は簡単ではない。
安楽死を請け負う団体のうち、外国人の受け入れ可能なのはごくわずかである。
そのため、希望者として登録しても、実際の安楽死まではかなり長く待たなければならない。
費用も200万弱かかる。
しかも、安楽死の前に担当医師との面談が必要で、英語がドイツ語で本人が話さなければならない。
手続きだけでもかなり煩雑である。
その上安楽死をしたいという意志を家族に了解してもらわなければ、そもそも渡航が難しい。
ハードルは高く、この現実を知るだけでも安楽死のイメージはかなり変わるだろう。

さらに、実際スイスで安楽死した人/しようとした人を取材した記事などを読むと、日本人はそもそもの考え方が安楽死に合わないケースが多いような気がする。

「個人と家族は全くの別物」という考え方が浸透している欧米と違い、日本人は家族の思いを無視するのは感覚的に難しい。
最終的にお互いを尊重するチョイスをしたとしても、そこに至るまでに十分な対話のプロセスが必要だ。
対話を続ければ安楽死に関する情報を調べるはずなので、関連する尊厳死や緩和ケア、延命治療の詳しい内容も知ることになるだろう。
そうすると、おそらくは安楽死以外の落とし所を見つけられるケースがほとんどだと思う。

死に関することは、関心を持たない限り情報を集めないし、話題にすることもないだろう。
ただ、関心を持った時は既に必要に迫られていて、検討する時間がほとんどないというケースが多々見られる。
時間がないと納得のいく結論が出せないので、後々後悔に苛まれる。
大切な人の看取りに後悔している人が多いのは、そんな理由も多い。

これを防ぐには、出来るだけ早く死に関する情報を知ることしかない。
とはいえ、今関わりがないと思っている人に死の話題を振ることは困難だ。

そういう人にも出来るだけ関心を持って欲しくて、デスカフェを毎月開催している。

とはいえ、なかなか声は届かない。
どうしたものかなとずっと悩んでいるけど、未だに良い方法は見つからないのだ。

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山内三咲
豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。