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渇いたり潤ったり #ラトビア日記 28週目


2024年3月4日 春の陽気

 今週の天気予報によると、毎日晴れ。

 先月までの曇天が、嘘のよう。

 このまま晴れの日が続くといいな。

 久々に国立図書館へ。

 以前は、窓際の席に座ると寒くて足先が冷えてしまっていたが、気温が上がってきたからか、快適に過ごせた。

 午後から行くとまあまあ混んでいて、春学期の始まりを感じた。


2024年3月5日 免疫あげたい

 また喉があやしい。

 なんで?

 しっかり寝て、食べ、基本は歩いて移動している。

 寝るときは乾燥をやわらげるためにマスクをしているし、起きたら必ず鼻うがいをする。

 できる限りの予防をしているつもりなのに、なぜかラトビアに来てから2ヶ月に1回くらいのペースで体調を崩している。

 3日くらい前から、ルームメイトがイヤな感じの咳をし始めて気になってはいた。

 用心していたが、もしかしたらそこからやってきた風邪かもしれない。

 なんとなく喉と鼻に違和感あり、じゃっかん頭もぼーっとする。

 課題もたくさんあるし、調べたいこともあるのに……。

 様子を見て、明日の授業はオンライン受講にしよう。無理しない。

2024年3月6日 もはや発熱がルーティン

 見事に発熱。

 目の周りがじんわり熱くて、鼻がずるずる。

 喉は痛くないが、起きた途端にだるくて「あー熱あるわ」と自覚する。

 授業のことやレポートが気になるが、一旦あれこれ無視して横になる。

 「だいじょうぶ、いま焦って中途半端なレポートを出すより、あとで元気になってすっきりした頭で取り組めば、どうにでもなる」と言い聞かせながら。

 原稿の締め切りがないだけ、まだマシだ。ゆっくり休もう。

 ちなみに免疫力の低下は、ビタミンD不足かもとアドバイスいただいた。

 確かに、11月に飲み始めたはずのサプリメントが、まだかなり残っている(サプリは60日間用)。

 あんまりサプリのことを信用していなかったけれど、リガ市内のドラッグストアでもたくさん売られているし、やっぱり定期的に飲むべきだったのかもしれない。

 これからお日様がたくさん出てくるからあまり意味はないかもしれないが、せめてもの気休めにもなればと、再びビタミンDを飲み始めた。

 これで少しでも改善するとよいのだけれど。

2024年3月7日 前向きに、なにもしない

 熱は下がるも、身体がだるい。片頭痛のような痛みも、不定期にやってくる。

 わたしはもともと頭痛持ちではないが、過剰な心理的ストレスがかかると片頭痛が起きる。

 心の扉を完全に閉じて、おふとんにくるまる。

 こういうときは、起きたくなるまで寝ているに限る。

 ジブリの『魔女の宅急便』で出てくる、絵描きのウルスラの言葉を思い出す。

 「描いても気に入らなければ描くのをやめる。散歩したり昼寝したり、なにもしない。そうすると急に描きたくなる時がくる」という台詞。

 なにもかもにやる気が出ないときは、この言葉をおまもりに、世界を断つ。

 この日記も、結局日付が変わった8日に書いている。日記を書く元気が出てきたら、あとちょっと。

2024年3月8日 国際女性デー

 2日ぶりに外出。

 風邪でダウンしていた2日間は晴れていたのに、今日は曇り。その上はらはらと雪が舞っている。

 カフェで課題をやっていると、花束を持っている人や一輪挿しを手に歩いている人が、ちらちらと。

 何かのお祝いだっけ、とカレンダーを確認。

 「ああ、国際女性デーか!」と気づく。

 カフェを出て、街中を散歩すると、なおさら花を手にしている人の多さを実感。

 わたしが東京に住んでいたのは、もう10年近く前だけれど(時の早さよ)そのころはまだ、国際女性デーなるものの認知度はほぼ皆無だったような気がする。

 少なくとも、日常生活で実感することはなかった。

 ミモザの花を飾ったり、花屋さんで国際女性デーに則ったお花が並んだりするようになったのは、ここ最近ではないか。

 都心以外での認知度は、果たしてどれくらいなのか。

 北海道や鹿児島に住んでいる時は、ニュースで取り上げられることはあっても、花を買ったり贈ったり、という市民レベルの具体的なアクションにまで結びついている印象はなかった。

 わたしが目撃したのは本当にリガの中心部でしかないから、市内全体の雰囲気はわからないけれど、少なくともわたしが歩いたエリアでは、花を持っていない女性を見つける方がむずかしいくらい、みんな花を持っていた。

 スーパーで買い物をしていたら、お兄さんからバラと紅茶のディーバックをいくつかもらった。

 やっぱり、お花をもらうと、うれしいね。

2024年3月9日 音速で生きたい

 初めてラトビア国立美術館へ。

堂々とした出立

 住まいの近くにある施設やお店こそ、なかなか行かない。

結婚式場みたいな正面玄関

 常設展を見て回る。

 旧ソ連時代から独立までの変遷がわかるもの、旧ソ連のデザインも知れて、見応えある。

平和的独立を果たすきっかけになった「人間の鎖」の写真も
旧ソ連のファッションのスケッチ

 1987年に刊行が開始されたラトビア語の雑誌も。

 旧ソ連の統制によって発禁された文学作品なども積極的に載せたリベラル誌。表紙のデザインがいい感じ。
日本の神風特攻隊にインスパイアされた、ラトビアのアーティストによるインスタレーション
国立美術館の過去のアーカイブポスター。カードサイズやコピーでいいから売ってほしい

 展示されていた作品の中から、ラトビア出身の画家で、一人お気に入りのアーティストを見つけた。

 たまたま「わあ」と目に留まった絵が同じ画家の作品だった。

Vilhelms Purvītis "Pavasarī (Ziedonis)" (春に(花咲く頃))
Vilhelms Purvītis "Ziema"(冬)

 1枚目は、春が来たうれしさのあまり踊りながら描いたんかと思うほど、跳ねている風景画。鳥のさえずりとか、ひと気がある。

 2枚目は冬の合間のハッとする静謐さと「冬も捨てたもんじゃないよ」と悟らせられる風景画。水のせせらぎが聞こえた。

 あんまり気に入ったから、作家の名前や絵を覚えておきたくて、帰り際に絵葉書を買った。お土産コーナーも手軽なグッズが充実していたよ。

 そして、事前に教えてもらったラトビア大学合唱団のコンサートを観賞。

 展示室をつなぐ広い踊り場に集まり、突然始まる演奏会。

 彼らの演奏会が行われることを知っていた人も知らなくてたまたま立ち寄った人も、聞き入っていた。

 わたしは一曲目から涙腺が崩壊しそうになって、でもぐずぐず泣き出すのもなんとなく恥ずかしくて、涙を堪えるために記録写真を撮っている天パのお兄さんの後頭部を凝視したりしながら、それでもしっかり最後まで楽しんだ。

 30分くらいのコンパクトな演奏会だったけれど、アップテンポな曲から春を思わす曲、白い天井にそのまま声が溶けて消えていくようなやさしい曲などなど、たっぷり。

 音楽の文脈はおろか、曲の題名も作曲家も知らないけれど、どうしていつもラトビアで歌を聴くと泣きたくなるんだろうと思いながら拍手していた。

 パソコンに向かって、文字を追い、答えのないトピックについて毎日考えながら、課題をやったり、自分の将来を案じたりしているだけだと、どうしてもこういう、肉体の生々しさみたいなものから遠ざかってしまう。

 芸術やスポーツがすばらしいのは、いつだってその場限りの身体一個がぜんぶを物語る、刹那だからだ。

 その速さに触れると、わたしの一日もこれっきりだったと思い出せる。これっきりだという自覚から、げんきがわいてくるのだよ。

2024年3月10日 フォト散歩したら興味ある人?

 風邪が治って久々の快晴。街中を1時間近く散歩した。心なしか、観光客らしき人たちが増えた気がした。

氷が溶けて行動範囲が広がり、鴨も嬉しそう

 しばらく、芝生の上に座って川面の反射を眺めていた。

 もしわたしがVilhelms(ヴィルヘルムス)だったら、このひかりを、描きとめるだろうな。

 写真が好きな人とお散歩するのも楽しいだろうな。リガでそういう呼びかけをしたら、どれくらいの人が集まるんだろう。

 散歩から帰ってきて、友人とおしゃべりしている最中、言語の話になった。

 「英語は情報や意図を伝える手段としては便利だし機能するけど、スラングが自分の中から自然と生まれることはないかな」と言っていたのが印象に残った(彼女の母国語は英語ではない)。

 母国語以外が“話せる”の、“話せる”にも様々なレイヤーがある。

 スラングは、言葉と文化の結節点の一つとしてすごくおもしろいなと思った。

 おもしろい論文か書籍があるか、探してみようかな。やらなきゃいけないこと、山盛りだけど……。

今週の雑記: 「分かる人だけ分かればいい」がこじれると

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