中指は心の中で立てよう #ラトビア日記 33週目
2024年4月8日 焦りの種類が変わってきた
学部時代の専攻は、日本文学。
とはいえ、文学作品や作家の研究より、比較文化学に興味があったため、結局「インドに行ってきた作家が分析する、インドと日本の文化観の違い」をテーマに卒論を書いた。
学部在学中に、国語の教師や学芸員、日本語教師の資格を取ることもできたが、興味がなかった。
心から興味があったり必要性を感じたりしない限り、まったく頭が働かない。頑固とも言える。
当時、極度の学歴コンプレックスをこじらせ、資格を取ったり勉強したりすることで、そのコンプレックスを解消する発想にならず、学外活動に精を出していた。
「自分には学歴以外の価値があることを証明したい」と頑なだった。そして“価値”は、常に周囲からの評価に依っていた。自分の満足度は、他者からの評価でしか満たせない。だから常に自分をジャッジし、相手をジャッジし、ジャッジされることでしか自分も相手も信頼できず、ヒリヒリした自意識を爆弾みたいに抱えていた。
ただ「あのときもっと勉強しておけば」と後悔したことは一度もない。そのおかげで知り合えた人たち、つかんだ運、広がった世界がある。
当時の焦燥感は、今はもうほとんどない。時折、ゾンビのように湧き上がってきそうになることもあるが、いまのところ完全に封印が解かれることはない。
ただその代わり、種類の違う焦燥感に、支配されそうになることがある。
この焦りは、いくつかの要素に分解できる。
例えば年齢。からだの状態。家族の健康……などなどあるが、最近強く感じるのは、戦争と経済のことだ。
長引く円安と物価高、重なる日本の政策の綻び、きな臭さを増す海外諸国の関係性、アジアも他人事ではいられない動きが、嫌でも耳に入ってくる。
ニュースや日常会話を通じて入ってくる情報により、単純に「なんとかしないとヤバいのでは」という気持ちが強まってくる。
ヤバい未来に、何を以て立ち向かう?
そう思って、手元を見る。携えた武器は、今までの自分を支えてきてくれた。しかし、これからは、どうだろう。
わたしがいま、肩まで浸かっている文化人類学という学問は、命を救う医療も、食糧不足を補う農業のやり方も、ひとときの安らぎを与える楽器の演奏方法も、教えてくれない。
点在する専門領域を、行ったり来たりして、市井の言葉に翻訳する方法と、姿勢を学ぶ。
そういう宙ぶらりんの立場だからこそ、できることを、ずっと考えている。
同時に、宙ぶらりんの立場にも、さまざまな名前と資格が与えられていることを知った。
ヤバい未来が、いつまでもファンタジーであるために、今になって資格取得や勉強に意識が向き始めた。国際的に動ける、宙ぶらりんの人になりたいな。
2024年4月9日 陽気
暑い。
公園には芝生でおしゃべりしている人、ハンモックを持参して木陰で昼寝している人、タンクトップや半袖の人もいる。
ヨーロッパの人たちの多くが、なぜ南を目指し、海や公園で寝転がったり肌を焼いたりするのか、謎で仕方なかったのだけれど、あの暗く寒い、必ずしも華やかとは言い難かったリガの冬を超えたら、そりゃ踊りたくもなるし、歌いたくもなるし、なるべく全身で日光浴したいよな、と、理解できた。
2024年4月10日 日本の文房具が恋しい
春学期に入って、勉強の仕方を変えた。
テキストはPDFで読み、メモやテキストのまとめ、エッセイの構成やメモは全部ノートに手書き。
この整理の仕方が、わたしの思考の巡りには、合っていたみたい。
授業で新しく出てきた視点や解釈を、ノートに書き足す。手書きのメモは、全部英語。文法めちゃくちゃでも、自分がわかれば、それでいい。
ノートはこれ。5年くらい前に見つけて、仕事でもずっと使っている。めちゃくちゃ使いやすい。
薄いグレーのグリッド線が、思考の邪魔にならなくてちょうどいい。
ページ数が多くて分厚いのに、ガッツリ開く。右利きで、左のページにメモをとっているときに、右側のページの膨らみや不安定さを感じなくて楽。
B5サイズなら、片手でも持てる。勉強の時は関係ないが、取材の時などはとても便利。
まあまあ筆圧が強めでも、あまり気にならないくらいの裏移り。濃いインクのマーカーやボールペンは、ちょっと滲むみたいだけれど、わたしの今の使い方では問題なし。
いま使っているノートの表紙は明るい鶯色みたいなグリーンなのだけど、このタイプは、なくなっちゃったのかな……。
一回り大きいB4サイズのノートも持っているが、それは仕事で使っていたため、荷物を減らすためにも日本に置いてきた。ちなみにB4サイズは表紙のカラーが黒しかなく、ちょっとオフィス文房具感が強すぎるので、できれば明るい色のバリエーションを増やしてほしい。
秋学期は、Wordにメモをとったり、事前に読んでいたテキストのPDFに書き込んだりしていたが、結局あまり見返さないし、グループディスカッションや議論の時に参照しようと思っても該当する文章を探すのに苦労して、メモの意味がなかった。
テキストも印刷して読んでいたが、莫大な量があるため、PDFで読むのに慣れた方がいいなと思い、思い切って印刷をやめた。
ただ、タブレットは欲しいなと思う。持っていたiPad、手放さなければよかったな……。
ものを書くのはPCがいいけれど、長い文章を集中してPCで読むのは、少し疲れてしまう。
一時帰国のときにやりたいことはいろいろあるが、文房具を買いに行くのが本当に楽しみ!
ラトビアで売っている文房具も、ドイツやスウェーデンの支配下にあった影響からか、質がいい。けれど、円安も加速するばかりで、選択肢も圧倒的に日本の方が豊富(そして安い!)。
手書きの機会も増えたから、帰国時には、足りない文房具を買い足したい。
2024年4月11日 日記の宿題
毎日、細々とでも日記をつけ、毎週更新していると、なぜ小学生の宿題に日記があったのか、なんとなく今なら分かる気がする。
わたしは誰かに悩みを打ち明けたり、相談したりすることがほとんどない。というか、悩んでいる最中に相談するという発想にならない。意地を張っているわけでも、無理をしているわけでもない。
ただ、そのかわり、考えていることを文字に起こす。誰にも見せない日記だったり、こうした公開される場に書きつけたり。
とりとめもなくても、考えていることを言葉にする、感じたことを文字に残す、という行為は、日記を書くことで鍛えられたのかもしれないと思う。
あと、あまりにも毎日天気のことについて書いているが、ジャポニカ学習帳の日記帳にも、そういえば天気を書く欄があるな、と思い出した。
わざわざ残しておくべき情報として、やっぱり天気は大事なのだね。
2024年4月12日 あなたとわたしの平和のために
頑固で、納得いかないことがあると、カチンと来ることがあるのだけれど、カチンときてもすぐ中指たてず、立てたとしても心の中だけで、できるだけ穏やかに、周りをいい気分にさせて「自分で納得した」気にさせる技を身に付けたい。
性悪が暴露されているが、別にいい。
イライラしたくないし、争いたくない。
争いたくないから、穏やかさで戦う。
逆撫でしない。論破しない。抑圧しない。無視しない。
包括して、でも自分の気持ちも我慢しない。
かなり高度なテクニックだ。というか、テクニックだけでどうにかなるやり方でもない。生きる姿勢というか、覚悟みたいなものかもしれない。
「わたしの話を聞いて」という主張を、誰でも簡単にできる世の中だから、平和のために“言わない品性”を身につけたい(noteを書いているからすでに矛盾しているけれど)。
誰でも主張できるから、何が本当か分からない。
我々は混沌の中を生きている。
ちゃんと生きて、闘う。核爆弾ではなく、沈黙で。虐殺ではなく、包摂で。
いろんなことを考えて、答えがなく、絶望がつのり、それでもこの世とさよならすることもせず、静かに黙って森の中で暮らす……みたいな人って結構いるのかな。
いろんなことを押し殺し、あきらめ、また怒り、でもまた押し込め……みたいなことを繰り返して生きていくのを「丸くなる」と言うの?
声を上げ続ける人の胆力が本当にすごいと思うとどうじに、わたしはどう振る舞えるのか、考え続けてばかり。なかなか行動に移せない。
2024年4月13日 遠足
知り合いづてで紹介していただいた方のところへ、リサーチのための取材へ。
知り合いが一人もいない状態から始まったラトビア暮らしだけれど、行動すれば少しずつ状況は変わっていくんだな、と実感している。
いろんな話をしていただき、あちこち見せてもらえて、とても助かった。初めましての人に対して、前向きに協力してくれる方が居るの、本当にありがたいな。
あともう一人、リサーチの取材をする予定。そろそろ修士論文のことも考え始めないとなあ。
と、思いつつも、居住許可を取るころからずっと考えていたアルバイトも、勉強に時間が取られてまったく手をつけられていないが、そろそろ何かやりたい。
とはいえ、ラトビアでアルバイトをするには、ほぼ確実にラトビア語が必要。
大学でも、「もしかしたら来年度もう一コマ、ラトビア語が必修になるかも」と聞いた。英語でも働けるところ、ないかなあ。
2024年4月14日 ぜんぜん違う
北海道で何年か暮らしていたから「ラトビアの気候も問題ないだろう」と思っていた。
が、ぜんぜんそんなことはなかった。
冬は、北海道よりがぜん暗い。街の雰囲気も相まってか、自然に触れる機会が少なかったからか、全体的に気持ちもテンションが上がりにくい。
そして今。4月中旬に差し掛かり、現在の日の入り時刻は20時を超えた。
夜9時前でも夕方のような空。
とつぜん、3月の終わり頃から、日が長くなるのだ。
このダイナミックさは、北海道にはなかった。
あまりにも急で、晴れの日はそれなりに浮かれるが、日の長さの急展開っぷりには少しついていけない。
なんというか、天気が躁鬱、というか。気温はまだそこまで上がりきらないが、一日の長さが急に伸びて、これは気持ちが振り回されるな、と思った。
同時に、夏を待ち侘びる人たちの気持ちも、北海道にいたときよりも、理解できた気がする。
今週の雑記: 境界線を守ることと逃げること
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