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エピラ(15)嘘と本当の見分け方

前回のあらすじ

とある北の国と南の国の物語。ニカは足を負傷した父を救助した、自称医者の男を訪ねた。23集落と22集落の出入り口で再会し、北の国に行かないと父の足は治らないと告げられる。

登場人物

ニカ: 南の国の第23集落に住む、12歳の女の子。
シマテ: ニカの父親。クル豆農家。第18集落で事故に遭い、左足を失う。
モカレ: ニカの母親。クル豆農家。
モアレ: モカレの母親で、ニカの祖母。足が悪く車椅子生活。
クレス:第23集落に住む、エピラの自称医者
シーラ: 第23集落の図書館の司書

用語紹介

エピラ:南国で生まれ育ちながら北国へ移住した人、北国へ移住したが南国へ出戻りした人を指す。

 窓の外では、まだ大粒の雨が視界をかすめるほど降り続いている。

 ゴロゴロと、分厚い雲ではこらえきれなくて、稲光も落ちてきそうだ。

 雨音が拍手に聞こえていたのは束の間。両足が指先しか届かないテーブルと椅子にすわって、よく知らない男に見つめられていると、ニカは、家に帰るのを妨げるために雨が強まっている気がしてきた。

 「それって……」

 北国に行かないと、父さんは死ぬということ?

 でも、北と南の行き来は、本来禁止されている。

 エピラと、限られた一部の人間しか、南の国の外へは出られない。けれどそれすら、卑しいことだと、ニカたちは小さいころに、大人たちから教えられる。

 だから多くのエピラは、なるべく自分の身元を隠して暮らしている。北の国へ行ったと知られるだけで、さまざまな容疑をかけられるからだ。

 クレスは大きくため息をついて、うなだれた。肉詰めソーセージのようなごろごろした指は、テーブルの上に力なく置かれている。

 「クレスが、エピラだっていう証拠を見せてよ」

 ニカは、鈍色の髪の毛で表情が見えないクレスの頭のてっぺんに向かって叫んだ。

 「お医者さんだっていう話も、エピラだっていう話も、父さんの足が北の国に行かないと治らないって話も……ぜんぶ本当か嘘か、分からないよ」

 男は、じっとうつむいたままだ。けれどニカは、窓を叩きつける雨の音に負けないように喉に込み上げてくる熱を吐き出すように大きな声を出した。

 「父さんが死んじゃうなんて、嘘に決まってる!」

 ピカッと外が光って、遅れてお腹の底に響くドーン、ゴロゴロ、ドーン、という音が繰り返された。壁にかけてある白い木々の絵や、台所の木べらやナイフがかすかに揺れた。

 自分の喉から雷が落ちたようで、ニカの喉は焼け焦げた。かすかに肩が上下する。

 こんなに大きな声が、出るなんて。

 ニカはクレスの脳天を睨みつけた。いつの間にか椅子から立ち上がり、ミントティーのマグカップはひっくり返ってテーブルから床をつたって涙のように滴っていた。

 クレスは黙っていたが、ふたたび小さくため息をついて、テーブルについていた両手をはなし、ニカのほうを見つめた。エメラルドグリーンの瞳が、先ほど見た時よりわずかに、霞んでいるように見えたが、それは彼の太くて長いまつ毛のせいだろうと、ニカは思った。

 「お前さんは、賢いだろう」

 ごまかそうとしているのかと思ったけど、そうは聞き取れない口調だった。なにかをあきらめたような、もしくは初めからなにも期待していないような、言葉の意味より声の音色に、ニカは引っかかった。

 「賢くない」

 「賢いさ。私のメモを読み取ったんだから」

 「読むことなんて、誰だってできる」

 「そうかな。父さんや母さんは、どうだい」

 「父さんたちはできないけど……シーラなら、できる」

 「シーラ?」

 「集落の図書館にいつもいる人。細くて長い髪の」

 「ああ。あの図書館は良い。置いてある本が、どれも平等な視点で選ばれている」

 ニカは、そのままクレスがはぐらかそうとしているのかと、威嚇のつもりでテーブルの上を叩いた。

 「医者なの? エピラなの? 何者?」

 クレスは、ニカの震える手元を見て、視線を外すと奥の部屋へゆっくり歩いて姿を消した。先ほど、地図を引っ張り出してきた部屋と、同じところへ引っ込んでしまったのだ。

 ニカはますますイライラして、テーブルを蹴った。けれど、雨の音と遠くでまた鳴り響いた雷の遅れてきた轟音でかき消された。

 ここで起きていることも、父さんの怪我も、あの男がエピラかどうかも、誰もお構いなしで見放された気がした。

 むしゃくしゃしてきて、ニカが部屋の中をうろうろ歩き回っていると、隣の部屋からクレスが戻ってきた。

 「これを見てごらん」

 クレスのゴロゴロした指の、ゴツゴツしたこぶしがニカの前に突き出された。

 ゆっくりと指がほどかれるのを、息を呑んで見つめた。

 すると、中には幾重にも茶色い硬い葉っぱのようなものがジャバラ状に重なり合って円を描いている丸いものが、ころんと出てきた。

 「なにこれ」

 「木の実だ」

 「木の実? なんの木の実?」

 「ダチェルの木。北の国の植物だ」

 クレスは、ニカの手を取り、木の実を手渡した。クレスなら片手で包み込めるが、ニカは両手でないと受け取れない大きさだ。

 「ダチェルなんて聞いたことがない。それに、この木の実が、まだクレスが本当のことを言っている証拠にはならない」

 「そうだな」

 クレスは、落ち着いたままそう答え、今度はポケットから小さな紙切れを差し出した。

 「なに?」

 「ここに書いてあるとおり、木の実を煮出して粥を作るんだ。ダチェルの実は、まだもう少しあるから、持って帰るといい」

 「どうして?」

 「ダチェルの実は、たくさん出血するような大怪我をした時に効く。血を作るはたらきを、活発にする効果があるんだ」

 「どういうこと? それであなたが、医者でエピラだとでも?」

 「とはいえ、万能薬ではない。貧血をおさえるだけで、怪我の根本的な治療にはならない。北の国の、専門的な医療を学んだ医者に診てもらうんだ。時間はない。きっと、お前さんが思っている以上に」

 ニカの質問には答えず、けれど木の実を握りしめたニカの両手を、クレスは強く握りしめた。

 「私の言っていることが嘘か本当かを知ろうとしても、今のお前さんには届かない。自分の目で、確かめるんだ」

 クレスはそう言って、ニカの両手に、紙切れを置いた。夜、父親を背負って突然現れた時と同じように、不恰好で、けれど絵柄も加えてなるべく丁寧に説明しようと試みた文字たちが、しわくちゃになった紙の上に走り書きされていた。

(つづく)

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