見出し画像

いったい何を信じれば #ラトビア日記 11

2023年11月6日 書類進展

 いろんな人に助けてもらいながら、どうにかこうにか書類周りの手続きが進展しそう。

 9月、予期していなかった書類の準備を指示されて以降、課題が手につかないくらい動揺した。

 考えたくないけど手を打たないとせっかく進み始めた道が頓挫する。

 日本から必要なものを取り寄せたりラトビア国内の機関に問い合わせたり、なんとか解決策を探し、渡航してから2ヶ月以上かかったけど、どうにか一歩進めそう。

 ラトビアは、シェンゲン協定のビザなし滞在90日を超えても、日本人はあと90日滞在できる(2023年11月現在)。

 この制度がなければ渡航後90日後には強制帰国せねばならず、しかもわたしの理解が正しければ、帰国後90日間は日本にいなければ、ヨーロッパにビザなしで滞在できる90日間が再び有効にならない。

 我ながら、ギリギリを生きすぎていて笑える。

 ラトビアに来てしばらくは、このルールを何度も確認したり郵便物が届かないことを案じたりしては「間に合わなかったらどうしよう」と不安に押しつぶされそうだった。

 でもどうにかならないときはどうにかならないし、どうにかなるときはどうにかなるのだ。べつに命が脅かされるわけではない。どうにかならなければおとなしく日本に帰ればいい。

 と、今でこそ開き直れるが、開き直れるまでは時間がかかった。

 いまだって、何もかも解決したわけではない。まだ手続きの途中。

 でも「これだけインターナショナルの学生がいるんだし、なんとかなるしょ」と、当初よりはだいぶ気が楽。

 ぜんぶ終わったら、祝杯をあげたい気分。下戸だけど。

2023年11月7日 巨匠に挑む

 朝から書類を出しに郵便局へ。さまざまなことがオンラインで手続きできるのだからウェブ上で提出できればいいのに、居住許可関連の書類はなぜ郵送なのか。

 ラトビアに来て以降の最優先&最重要ミッションだったから、とりあえず一安心。このあと、移民局からメール連絡が来たら、最終フェーズ。

 早くなんとかしたいと思いつつ、わたしができることはこれ以上なにもないので、おとなしく課題をやる。

 今回は、一本ずつのテキストのボリュームがすごい。

 しかも、そのうち2本は、ソシュールとレヴィ=ストロース。

 英語でレヴィ=ストロースを読むと、ものすごく対立構造推しに読めてしまうのは、わたしの英語力が足りないせいだろうか。(※後述あり)

 実際は「世界中の文化において、普遍的な構造などないが一定のエリアや分類においては規則的な慣習や文化構造があり、そのベースを以て異文化を分析してみよう」みたいな主張。

 だから必ずしも対立はしておらず、参照とか対向している姿勢なのだけれど、今回の課題はその中でも親族に関わる構造(日本名だと『親族の基本構造』という著書)のテキストだったからか、あんまり愉快ではなかった。

 課題の該当箇所だったところは「多くの文化圏において、なぜ近親相姦はタブーなのか」というパラグラフ。

 「遺伝子的な問題があるから」とか「性的に不浄だから」とか、さまざまな意見があるがレヴィ=ストロースはそれらを否定しまくる。

 彼の主張は「女性を交換する行為が親族という構造を成り立たせるから」。男性は、必ず誰か別の男性の妹か姉、もしくは娘をもらい受けなければならない構造だから、という主張。

 「そういう論説もあるのだな」と思ったが、わたしはあんまり好きではなかった。

 もう一人の巨匠・ソシュールは言語学者。どちらかというとソシュールのテキストの方が楽しく読めた。

 言語と言っても、発話される言葉、紙に書かれた言葉、手話、ボディランゲージなどなど、言語的役割を担うものはたくさんある。

 それらがなぜ言語たらしめられているのかということを、分析して言語化した人。有名なフレーズだと「シニフィアンシニフィエ」という定義を確立した人だ。ちなみに日本には「シニフィアンシニフィエ」という有名なパン屋がある。

 「ねこ」という言葉が、どうぶつのねこを意味するとき、「ね」「こ」という一つずつの音には意味がなく、「ねこ」という音の連なりと、ねこそのもののビジュアルや、ねこというどうぶつに対する概念が紐づいて、初めて「ねこ」という音の連なりに意味が与えられる、という学説を唱えた。

 シニフィアンは、「ね」「こ」などの音を指し、シニフィエは意味や概念を指す。

 社会学的な話も興味深いが、言語学のほうが情報として呑み込みやすいのはなぜだろう。学部のときもそうだった。

 明日は、これらボリューム満点のテキストをまとめて、グループ発表。前回より貢献できるよう、がんばろう。

(※)対立構造に読めてしまうのは、わたしの英語のニュアンスの解釈もあるのだろうが、そもそもわたしのなかで「何においても二項対立は存在せず、グラデーションである」という価値観がプリセットされているからだと、授業中のディスカッションで自覚した。わたしがレヴィ=ストロースの意見に違和感を覚えるという、その感覚がそもそも重要なのであって、どちらがいいとか悪いとか、矛盾しているとかしていないとか誰にも判断はできないのだ。このメタ的な視点は、うっかりすると本当にすぐ見失う。さまざまな偏見や思い込みまみれになっていることを、生々しく突きつけられる。それから、大前提として文化人類学が西欧発祥の学問だという背景も大きい。かつて、アジアは“観察される側”だった。西欧の人々による観察のモチベーションには「“未開”なものへの興味」「“野蛮”なものへの畏怖」も多かれ少なかれ含まれていて、アジアは“未開”だったし、“野蛮”だった。日本の中でも、観察する側とされる側の構造が生まれた。もちろんこの姿勢に反論している学者はたくさんいるが、そういう意味では、文化人類学という学問の「観察する側・される側」という構造が、どんな国、どんな時代においても普遍だという点については、レヴィ=ストロースの言う通りなのかもしれない。

2023年11月8日 熱意の行き場

 ラトビアに来て間も無く購入した、ラトビア在住の作家さんのマグカップ。

 気に入って、毎日使っているのだが、うっかり手を滑らせて持ち手のところが割れてしまった。

 授業後、ボンドを買ってくっつけたが、なんとなく頼りない……。金継ぎしたい。

 「今度日本に帰ったとき購入するリスト」に、金継ぎセットを追加だな。

 授業のプレゼンは、先週よりは貢献できたかなという感じ。

 ディスカッションをリードするのは他のクラスメイトが上手だから、甘えっぱなしだが、自分の考えを伝えたり質問したりで、あっという間に90分過ぎた。

 ただ、出席する学生の少なさよ。

 いっそ全員車座になって話したほうがいいんじゃないかというほどの出席率の低さ。

 まあ、人数が少ないほうがわたしは好きだから、ぜんぜん構わないのだけれど。

 顔を見る学生は、9月に比べて半分くらいに減った。

 彼・彼女らは、授業に来ないで何しているんだろう。純粋に気になる。

 仕事と並行している学生も多いから、日中は仕事をしている人もいるのだろうが、他の学生はどうなのだろう。アルバイト? インターン?

 まれに、のっぴきならない事情で一時帰国してしばらく教室に来ない子もいるが、オンラインでも出席できる仕組みだから、授業に出ようと思えば出られる。

 わたしが専攻している文化人類学は、必須のコマ数で言えば、月曜と火曜日は授業がないし、おそらく少ないほうだと思う。

 誰が出席・欠席しようと本人の意思なのだから、ぜんぜん気にならない。

 けれど、勉強に前向きだったり、わたしたちが勉強しているトピックスに対して熱意を持っていたりする人たちと、もっとコミュニケーションを取りたいな、という気持ちはある。

 グループプレゼンテーションは、今まで(風邪で欠席した回を含め)4回ほど実施した。セメスター終了までに再来週1回、12月に1回の、計2回残されている。

 同じグループの中には、真剣に勉強している学生もいるから、彼・彼女たちともっと事前にディスカッションしようと持ちかけてみようかな。

2023年11月9日 大進展とラトビア語のテスト

 居住許可取得に向け、胃がひっくり返りそうなストレスを感じていた頃のわたしに伝えたい。

 「やっと、移民局から連絡が来たよ」と!!!

 約1ヶ月後、必要な書類を持って移民局に来るよう指示があった。対面で書類の原本たちを確認し、問題がなければ晴れてID(居住許可)がもらえる、はず!

 書類を郵送して3日後の今日、突然メールが来た。「書類郵送後、◯日以内に連絡が来る」という情報は、そういえば皆無だった。

 しかし「日本人はシェンゲン協定で決められた90日が終わった後、さらに90日ビザなしで滞在可能」のくだりも手続きの書面に書いてあって、安心した。

 ワンクッション置く感覚がないから「本当にこの書類だけでいいのか?」「何か一筆メモか何か入れたほうがいいのでは??」などと考えたりもしたが、指示されたものだけをバシンと封筒に入れて送ったら、なんとかなったっぽい。

 あーーーーよかった。まだ手続き終わってないけど。

 午後は、ラトビア語初級の教科書を買った。

 でも、授業は2ヶ月しかない。終わったら誰かにゆずろうかな……。

 教科書も、ラトビア語しか書かれていなかった。

 言語を学ぶための教科書って、そういうものなのか?

 日本語を学び始めたばかりの人に向けたウェブの教材はいくつか見たことがあるけど、だいたいどれも英語と日本語の併記だったぞ。

 とはいえ常にどの言語においても英語が必須なわけではないし、初級の教科書ですらラトビア語だけなの、強気で良いと思う。プライドを感じる。

 明日はラトビア語の簡単なテスト。これ↓を発表する。

 Mani sauc Misaki. Es esmu no Japānas. Man ir trīsdesmit divi gadi. Es studēju antropoloģiju. Mans hobijs ir pārgājieni. (みさきといいます、日本人です。32歳で文化人類学を勉強しています。趣味はハイキングです。)

 「げ、年齢も言うのか」と少し居心地の悪い気分になった。

 でも、なんのなんの。日本から来た30代、胸張っていきたい。

2023年11月10日 カオスな授業

 ラトビア語のスピーキングテストは、無事、忘れることなく話せました。

 しかし、そのあと始まった授業がカオス。

 英語で言うbe動詞の時制の説明を受けたが、ラトビア語だから、そもそもテキストのどこを話しているのか分からない。

 突然「みさき、(ラトビア語で何か聞いている)〜?」と先生に問いかけられるも、何を聞かれているか分からないから「?!?!」と焦る。

 そして、後ろに座っている、ラトビア語が分かるのになぜか初級クラスにいるウクライナ人の学生がヒントを教えてくれ、おそるおそる答える……ということが、何度かあった。

 もちろん英語で「これはどういう意味ですか?」「この場合はどうなりますか?」などと確認することもある。

 が、先生がとにかくラトビア語しか話さない。英語が苦手なのかもしれないし、比較的雰囲気はやさしい先生なのだけど、ちょっとスパルタすぎて困ってしまう。

 周りの学生に聞いて、何とか乗り越えたけれど、まだ授業は2回目。

 しかし、再来週には前倒しでラトビア語の小テストがあるらしい。前倒しされるのは、先生が12月には旅行に行くかららしい。自由。

 ただ、ほかの学生は飲み込みが早くて「置いていかないで〜」という気持ち。

 「もともと自分たちの母国語にも性別があったり、活用の仕方が似ていたりするからだ。日本語の方がよっぽどむずかしいよ」と言っていたが、スピーキングに関してはラトビア語のほうが難解な気がする。

 宿題が出たので復習しつつ、次回までに、なんとか分からないところをクリアにしたい。

帰り道に寄った公園で開催されていたマーケット
週末の記念日に向けラトビアグッズがたくさん
オーガニックのはちみつも(一番大きい瓶を購入した)

2023年11月11日 森と独立記念日

 今日は、Ķemeri National Parkへ。インターナショナル学生向けのFacebookページで発見した、ハイキングイベントに参加した。

 合流したのはラトビア人3人と、アフガニスタン人、そしてわたし。後から知ったことだが、このラトビア人3人の若者たちは全員クリスチャンで、もともとハイキングのイベントの主催グループ自体、クリスチャンの若者たちの団体らしかった。

 そんなことは知らず「ハイキングに行きたい」という気持ちだけで参加。到着した国立公園は湿地帯で、小さな池や沼があちこちに散らばっている。

 木道も整備されているが幅が狭く、落ち葉もたくさんで滑らないか恐る恐る。足元に気を取られ、あまり景色を楽しむ余裕がなかったが、深めの水たまりの中に根を下ろし、木が生えているようすは日本では見たことがない風景で、根元の写真ばかり撮った。

 以前住んでいた北海道下川町にはダム湖があって、もともと住宅や畑、林があったところに貯水したため湖面の一部では、木々のあたまがのぞいていた。いまはもうその木々は朽ちてしまっただろうけれど、その湖面の風景を思い出した。

 沼地の木々は、季節がら青々としているわけではなかったが朽ちているわけでもなく、湿度が高すぎないのか、どういう仕組みで腐らないのか気になった。

 合流してすぐ電車での移動中、それぞれが勉強してきたことの話をしていると、地理学や物理学、宗教学を専攻してきた学生たちで、宗教や信仰の話で盛り上がった。

 わたしは、彼らの話に共感できることもあったが、なんとなく考えがまとまらないので、ほとんど黙って話を聞くことに徹した。

 もちろん日本の信仰のことも聞かれ、一つの解釈として河合隼雄さんの中空構造の話をしてみたが、あんまりピンときていないようだった。一神教の観点からするとナンセンスなのかもしれない。

 ハイキングのあとは、リガの中央広場へ。

 この日は、ラトビアが、おそらく一年で一番盛り上がると言っても過言ではない祭日。Lāčplēsis Day(ラーチュプレシスデイ)という。

 1919年、ラトビアの独立のためにロシア軍と戦ったラトビア軍への慰霊の意味を込めた記念日。

 正式な独立記念日は11月18日で来週の土曜日だが、今日から18日までの一週間は、ラトビアの人々にとっては誇り高き期間なのだという。

 街中のトラムもラトビアカラーにラッピングされ、中央広場を目指して松明を掲げた人々たちが、列をなして行進していた。誰でも自由に参加できる行列だった。

 街中の人たちが広場や兵士を追悼する記念碑の近くにキャンドルを置き、赤と白の花をたむけ、松明の灯りを思い思いの場所に置いて、あちこちで、誰が合図するわけでもなく歌いはじめる。

 若者もおじいちゃんもおばあちゃんも、ベビーカーのあかちゃんも、ラトビア国旗のピンバッジやバンダナを身につけ、歌ったり記念写真を撮ったりしていた。

 日本では考えられない風景のなか、ラトビアの人々に混じって、ずっと歌を聴いていた。

 終始雨が降っていたけど、誰もそんなこと気にしていないように見えた。

 話しかけられたラトビア人に、習ったばかりのラトビア語であいさつをしたら、めちゃくちゃ喜ばれた。あんなにこぼれる笑顔を見せたラトビア人を、初めて見た。

 海外にいる日本人なら、きっと誰しも自分のアイデンティティと日本という国のつながりや関係性を考え直したことがあると思う。

 わたしも、日本の文化や歴史を、すべてではなくても誇りに思っている。でも、その感覚を、こんなに大勢と明確に誰かと分かち合うことは、ほとんどしたことがない。

 歌手でもアーティストでもない(と思われる)おとなたちが、誰ともなく自然に歌い始め、それに合わせてまったく面識のない周りにいたラトビア人も歌に参加して、その輪の中で小さな子どもたちが、キャンドルを見つめたり、走り回ったりしている。

 こんな光景の中で育ったら、ラトビアという国への愛着や誇りが自然と芽生えそうだ。

 日本は、どうだろうか? 子どもたちに誇れるなにかを、残し、伝えていけているだろうか。

 赤と白の灯りを見つめながら、あちこちでランダムに始まる合唱の中で、考えずにはいられなかった。

2023年11月12日 円安……

 昨日の、ハイキングとイベントの疲れがあったのか、久しぶりに朝ゆっくり起きた。

 部屋を掃除し、作り置きもいくつか作る。

 家にいても課題ばかりして、ゆっくり家事をする時間を取っていないことに気づいた。

 大家さんから光熱費の請求が届き、暖房費が高くてびっくり。

 高いだろうとは思っていたけれど、やっぱり高い。

 ルームシェアでも、すでに暖房費だけで7,000円ほど。

 何度もnoteで円安のことについて書いているし、あんまりお金のことであれこれ言いたくないけれど、でもやっぱり円が安い! ほんとうに大変。なんとかしてくれ日本経済界。

 昨日のラトビアの記念日での、皆々が胸を張っている自信と希望に満ちた感じと、安い円、そして最近ニュースでよく見る大阪万博の「後には引けない」情けない言い訳たちのコントラストで、軽くめまいがした。

 ラトビアでアルバイトか有給のインターンをしたいけれど、環境が整うのはまだ先になりそうだから、日本の仕事も探したほうがいいな……生きるのってたいへんだ。

 今週は、久々にプレゼンテーションが一個もない。

 いまのうちに読みためておきたい文献がたくさんあるから、明日は大学の図書館へ行こう。

今週の雑記: 黙っていられない

 イスラエルとパレスチナの、いまの状況について、考えずにはいられないし、黙っていられない。

 気を抜くと、人間でいることが、つらくなる瞬間がある。

 日本に暮らして、フルタイムの仕事をしていたら、ここまで考えることはなかったかもしれない。

ここから先は

1,156字

¥ 100

期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

読んでいただき、本当にありがとうございます。サポートいただいた分は創作活動に大切に使わせていただきます。