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どこでどうやって生きるか(8日目)

 どうしよう。

 もうすぐ、この旅も終わってしまう。

 なんのトラブルも違和感もなく、数日異国にいるけれど、こんなに自然に滞在できるなんて、どうして想像できただろう。

 コロナ禍で外出規制がされていたあの約2年は、ドラマか映画の中の出来事だったのだろうか。

 わたしはとかく「暮らし」とか「日常」とかにこだわりがちだから、今日も今日とて友人に着いて行く。

 出勤場所は、大学。専門は、建築。

 学内では、学生たちがPCを片手にレポートを書いたり、何かを作ったりしていた。

 建築学科の学生が、こんなにたくさんいるなんて、プラハがまるごと世界遺産に登録されている地の利ゆえだろうか。

 なんだかプラハの未来は明るいな、などと、まったくわからないチェコ語のプレゼンを覗かせてもらいながら、勝手に関心した。

 実際、滞在時間や滞在スタイルの問題だろうけれど、ロンドン、ベルリンと来て、プラハが一番活気があるように感じた。

 ロンドンは、まあ分かっちゃいたけど都会だし、ベルリンも世界有数の都市の一つ。

 10年前に来たとき、プラハは、もっとこじんまりとした印象だった。

 けれど、10年経って、世話をしてくれている友人も、わたしも、社会人になった。

 お互い行動範囲が広がったり、話す内容の広がりが出たりしたから、より解像度が上がって、10年前はあまり分からなかった勢いや瑞々しさみたいなものを、感じることができるのかもしれない。

 こうして再会できるのって、やっぱりよい。

 旅は一期一会というけれど、一瞬の出会いだけで終わりたくないこともある。

 とはいえ、細く長くつながりつづけるのは、一人だけの思いだけではどうにもならない。

 わたしからも、そして友人たちからも、ときどき「げんき?」と連絡を送り合うから、なんとなく相手を思い出せる。

 おとなになっても、そういう人が日本以外にも居てくれることに、なんとなく、勇気が湧いてくる。

 世界は、自分が見えている範囲だけではないと、手触りを得られる。

 チェコの友人は、滞在中は毎日、仕事帰りにわたしをピックアップしてくれているのだけれど(本当にありがたい)、車の中でいつもお父さんとお母さんに電話している。

 通話時間は、5分だったり10分だったり。

 チェコ語だから何を話しているのかまったく分からないけれど、今日あった出来事とか仕事のこととかを報告しあっているのだという。

 チェコの友人の場合は、彼自身の仕事のことも関係しているのだが、ほぼ毎週末、両親が暮らす田舎へ帰り、滞在して一緒に過ごすのだという。

 彼には姉夫婦がいるけれど、姉夫婦はチェコの南にほうにいて、両親が住んでいるところはプラハにいる彼の方が近い。

 だから、両親のことも気にかけてなるべく多く顔を見せたいのだと言っていた。

 家族を大切にする人は多い。

 わたしも、旅の最中、必ず家族にLINEを送っている。

 なんのためらいも義務感もなく、共有している。

 「考えなければならないことがたくさんある」と、再会してすぐお茶したときに話していた友人は、それでもどこか、幸せそうに見える。

 幸せというか、自分の今の状況に納得し、ある程度満足しているように見える。

 悩みもあるだろうし、実際いろいろ悩んでいるみたい。

 それでも毎日を重ねることに納得している人は、潔いし、話していて気持ちがいいし、正直少し焦った。

 焦るということは、自分の納得感のレベルが低いということだ。

 こんなにいろんな生き方や、風土や、暮らしがあるのに、命は有限なのに、どうして低い納得感のまま、何かを我慢したり言い聞かせたりしながら過ごさなければならないのか意味が分からない。

 もう少し、家族と会う頻度を増やす?

 北海道での暮らしや大好きな友人たち、購入した家はどうする?

 今の仕事は?

 胸に秘めている、いくつかの、切実な目標は?

 チェコ語の親子の会話を聞きながら、わたしならどうするかを、車窓を眺めつつ考えた。

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