トラブルのない旅立ちなどない #交換留学日記 2
2024年8月26日 台風接近中
毎日報道されている、台風10号。
進路が予測しづらいとのことで、実家を発つ予定の8/31にも新幹線が計画運休をする可能性が出てきた。
飛行機に乗って仕舞えばこっちのものなのだけれど、そもそも空港に辿り着けない可能性がある。
というトラブルを見越して、早めに実家を出発することにした。
そして、フライト当日まで空港近くのホテルに泊まることに。
あと数日、ゆっくりとゴールデンレトリバーをもふもふできるかと思っていたから、なんだかソワソワする。
けれど、海外へ発つ前の助走のようなものだと思えば、成田空港付近の数日間のホテル暮らしも、悪くないかもしれない。
とはいえ、台風で外にも出られないかもしれないホテル暮らしとなると、どうやって過ごそうか。
台所も徒歩で行けるスーパーもなさそうだから、食事もほとんど外食やコンビニ飯になるのかな。
ホテルに引き篭もるための、買い物もしないとなあ。
2024年8月27日 出発前の一日
日本にはあと数日いるけれど、出国前に実家で過ごす、最後の一日。
スーツケースの最大許容量は35キロだから、ひたすら荷物を整理しては計量。
重さはギリギリおさまったが、物量は増えたためスーツケースが2個になった。
荷物の取捨選択は、生活で譲れないものの優先順位が見えておもしろい。
例えば今回は、百均で買った「レンジでお米が炊けるお皿(?)」を絶対に持っていきたかった。あと、レインコート。
どちらもラトビアには持参していなかったが今回は絶対に落とせなかったモノたち。
お米は鍋があれば炊けるけど、オランダで暮らすシェアハウスは人数が増えるため、今までより自由にキッチンを使えない可能性が高い。
さらに、小麦よりお米の方が体質に合っているため(パンや麺類は大好き)なるべくお米を美味しく食べたい。半年暮らすためだけに炊飯器を買うのも控えたかったから、百均アイテムに期待。
レインコートは、オランダの気候的に必須だと推測。もともと雨が多い地域みたいだし、自転車を使うようにもなるだろうから、濡れるのを気にせず外出できるようにしたかった。
そんなこんなで、スタメンを決めて計量完了。ホテル暮らしでうっかりモノを増やさないようにしないと。
荷物の整理が終わったら、体調を崩して入院している祖母に会いに行く。
入院して間もないときは、支えてもらわないと歩けないほど弱々しく、記憶力も落ちていたが、今日会ったら一人で歩き、ハキハキと話していた。
93歳、生命力がすごい。
夜は、台風の影響か天気が不安定。雷がこわいゴールデンレトリバーのルアナは、恐怖のあまりガリガリと音を立てて壁やモノにあたる。
母曰く、雷の音をかき消したいのだろう、とのこと。
夜中にガリガリ音はまあまあ響くため、電気を消しても落ち着かずに部屋をウロウロするルアナを落ち着けるために、ヒーリング音楽をかけたり撫で回したりしているうちに夜が明けた。
雷がこわいいぬの反応に対策を講じる飼い主は、少なくないみたい。毛布をかぶせたり、タオルをたすきがけさせたりしている例を見つけた。
今のところ、ルアナにはどれも効果がない。
目が覚めたら、お腹を見せてひっくり返って寝ていた。このあられもない姿を見るのも、一旦今日でおしまいだ。
2024年8月28日 成田空港へ
出発を早め、朝に実家を出た。
空港近くのホテルに数日滞在する。新幹線と成田エクスプレスを乗り継ぎ、成田空港へ。
来るたびに思うけど、ずいぶん年季が入った空港だ。天井が低いからか、全体的にちょっと暗い印象があって、よく言えば、老舗感ある。
ホテルの部屋について荷物を整理し直して、これからどうやって過ごすかを考えた。
授業に向けて読むテキストがあるし、仕事もあるが空港の周りに広がるのは平地と、空港関連の施設と従業員さんが暮らしているらしいアパートなどだけ。
成田空港を散策でもするか?
2024年8月29日 初めての成田散策
朝、早めに出発して成田山新勝寺へ。
成田山という山の名前しか知らずに、観光気分で訪れた。
が、朝早く(といっても9時ごろ)訪れたため観光客もまばらだったせいか、地元の方々が開店の準備をしたり立ち話をしたりしている表参道を歩き、最後に新勝寺に辿り着いた瞬間に「ここは新勝寺を心臓に発展してきた街なのだ」と、ありありと想像できた。
同時に 「宗教を布教する行為そのものが、まちづくりだった時代もあるのだよな」と思った。
京都に行けば、そのダイナミクスを感じることはできるのだけれど、エリアとして広すぎるのと、貴族や武士の出入りも多い上に、すでに歴史を消費行動に促せるよう魅せることに長けすぎて、よそ者のわたしには、暮らしと宗教の相互作用や密着度を感じる機会が、なかなかないのだ。
たまたま、御護摩祈祷の時間に到着し、太鼓とお経の声に引き寄せられて本殿に入ることができた。
御護摩の火を囲んでお経が唱えられ、居合わせた人々が手を合わせていて、わたしも目を瞑って手を合わせた。
煩悩だらけのわたしでも、目を閉じるとお経がお腹の底に響いて、この後の旅もうまくいきそうな気がした。
2024年8月30日 曇天
ホテル暮らしの最終日。明日のチェックアウトと渡航に向け、足りないものを再度確認。
荷物の許容量がどうしても心配で、気休め程度の物量だが、いくつか実家に送ることにした。
台風の影響で、成田も一日曇天。
ホテルの近くでは、ゴーッ、ゴーッと時折飛行機の離着陸の音がする。
その度に、雷かと思って窓の外を見る。
実家のルアナ(ゴールデンレトリバー)は、ちゃんと眠れているだろうか。彼女が寝ないと、家族も気が気ではなくて眠れないのだ。
2024年8月31日 一年前の今日は
いいのか悪いのか、台風がまったく近づいてこないため、飛行機は予定通り飛びそうだ。
ホテルを出て、成田空港で仕事をし渡航まで時間を過ごす。
同じアングルで、出発の写真を撮って「そう言えば一年前の今日は何をしていたんだっけ」とnoteをさかのぼってみた。
当時は期待感より不安が何倍も優っていた。
ギリギリまで届かない入学許可証や、渡航してから動き出さなければならなかった居住許可が、そのストレスの原因だった。
今回はオランダからの入学許可も、ビザの許可も、メールで届いている。
なんという安心感……!
荷物の重さだけ心配していればいいなんて、平和すぎる。
もし超過していたら全然ペナルティ分払いますよと腹を括っていたが、ギリギリ35キロのボーダーをクリアし、ベルトコンベアに乗って運ばれていった。
このままアムステルダムの空港で、スーツケース×2と再会できることを祈る。
後は、オンラインでおさえたユトレヒトの家が実在すれば(過去のnoteを参照されたし)、とりあえず不安要素はなくなる。
ただ、何かが解決すると、また新たな問題が浮上してくるものだ。
飛行機が無事にアムスに着くことを祈りながら、空港内のセブンイレブンで見つけた干し梅を食べた。
2024年9月1月 オランダ到着
まったく意識していなかったけど、今日から9月なのか。自覚したところで特に何かが変わるわけではないけれど。
飛行機の席が、なんと少しアップグレードされていた。
預け入れ手荷物の許容量に合わせて、プレミアムエコノミーなるチケットを買っていたが、シートまでリッチになるのには気づかなかった。
うれしい誤算。過去の自分からの激励だと思って、この贅沢を噛み締めようではないか!
……と思っていたけど離陸直後、ぐわんぐわん上下左右に揺れ、電車ですら数分で乗り物酔いすることもあるわたしには地獄の時間だった。
こういうときは目を閉じ、心を無にする。そしていつのまにか寝てました状態まで持っていくに限る。
酔い止めを搭乗前に買っておいて正解だった。自分えらい。
座席の幅が広いだけで、こんなに快適なのね。
もし次にエミレーツを使うことがあったら、またプレミアムエコノミーにしたい。
ドバイでの乗り継ぎを経て、アムステルダムのスキポール空港へ。
電車に乗り、最寄りの駅まで向かう。
車窓からの景色は森が多い。
そして調べていたよりずっと暑い……。
無事、家に到着! 騙されたりもしたけれど、めでたしめでたし。
わたしが住む地域は、大学からは少し離れているけど、閑静な住宅街で、暮らしやすそう。
到着したら向かいの家が庭でプール遊びしていたのがわたしの部屋から丸見えだった。
部屋にいた、ルームメイトの先輩の女の子が、荷物の運び入れを手伝ってくれ、Wi-Fiのパスワードを教えてくれた。聞いたことがない国の出身の子だった。
近隣を散歩しようかと思ったけど、疲れ果ててシャワーを浴びたらすぐ寝てしまいそうだ。
明日からオリエンテーションも始まる。今日は早く寝よう。
おまけ: 部屋紹介
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