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自分で自分の機嫌を取り続けるのにも限界があるから

 「ごきげんでいること」というあり方は、劣等感オバケのわたしにとっては、青天の霹靂だった。

 「自分のために利他的であれ」という姿勢を知って膝を打ったときと似ている。

 自分の心地よい状態を自ら率先してつくることを許されたような、利己的であることを肯定されたような気がした。

 だから「きげんがいい状態」を維持することに、なんの反論もない。

 むしろ積極的に「きげんよくいよう」と、前向きでいられる。

 自分の中の、“ごきげんキャラ”をだいじにすると、劣等感オバケも身を潜めて、一石二鳥。このまま成仏してほしい。

 “ごきげんキャラ”をだいじにする方法は、さまざまだ。

 たとえば、ホットココアを淹れたり(インスタントではなくて小鍋で純ココアをペースト状にするやつ)、森に入ったり、お気に入りの場所でずっと読みたかった本を読んだり、犬を愛でたり、旅に出たり。

 ほかにも、いろいろある。きげんよくいられる方法が複数あるのは、ありがたいことだ。

 ただ、これらの方法を選べるうちは、“ごきげん自給率”が高い状態だということを、うっかり忘れがち。

 “ごきげん自給率”が、低くなることも、ある。

 低くなるとどうなるかというと、何を食べても味がしなくなったり、ふとんから出られなくなったり、勝手に涙が出てきたりする。

 もうこうなると、自給だけではまかなえない。

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