無意識な人種差別とどう向き合うか|ラトビア日記 #8
2023年10年14日 あんまりやる気が起きない日
朝、少し早起きして外出。中古のプリンターを引き取りに行く。Canonのコピー機、40ユーロ。黒カートリッジ3つ付き。
ウェブサイトで探して、何人かに同時進行で連絡してみたが、一番レスが早かった方に決定。
▲ラトビア版ジモティのようなサイト
指定されたエリアにバスで向かう。初めて行く場所だったから、毎度のことながら道に迷う。
しかし、プリンターの売り手の方が外に出てきてくれて、無事合流。不動産をいくつか持っていると言う、同い年くらいの女性だった。
朝から雨が降ったり止んだりで、ちょうどコピー機を引き取るタイミングに雨足が強まり、彼女が車に乗せて家まで送ってくれた。ありがたい。
彼女の持っているフラットや建物にも、留学生が何人か住んでいるらしく「差し支えなければ、あなたのフラットの家賃を教えて」と聞かれた。
わたしが住んでいるエリアは市街地の中心部に近く、家賃は250ユーロ。キッチンはせまいけど、安くてものすごく助かっている。
ちなみに住居を見つけたのはHousing anywhereというサイト。コピー機を売ってくれた女性に「リガでの住宅の選択肢は少なかったから、載せたら問い合わせが来るかも」と伝え、そのURLを教えてあげた。
帰宅後、コピー機の挙動を確認して少し課題をしたら、お昼寝。そのまま今日はほとんど何もしないでゴロゴロした。
たまにはそういう日があってもいいよねと自分に言い聞かせる。明日は早起きしよう……。
2023年10年15日 宿題は人間観察
今朝は昨日の意気込み通り、ちゃんと早起きした。えらい。
そして、気になっていたカフェへ。インスタグラムをフォローしてもらい、たいしてフォロワーも多くないのになぜだろうと思ったが、30分くらい歩いて向かってみた。
パソコンで仕事や勉強をしてる人たちがいたり、犬連れでお茶しているお兄さんがいたり、おばあちゃんが一人でコーヒーを飲みに来ていたり、居心地がよい感じ。
最近、ずっと課題を読んだりパソコンで原稿を書いたりしているからか、肩こりと首こりが悪化している気がする。頭も痛い。ストレッチをちゃんとしないとダメだな。からだ、だいじ。
帰りしな、課題のレポートのためスーパーに寄る。
誰かお客さんを一人(ないしは一組)見つけて、その観察レポを提出せよ、という課題。
話しかけたり質問したりはせず、対象を観察するとどういう心理的な変化や視点の気づきが得られるのかを言語化する課題(と、わたしは解釈した)。
以前のnoteでも書いたが、わたしは仕事終わりや学校帰りの夜のスーパーの雰囲気が好き。そして、そこに集まるお客さんを見るのが好き。
けれど夜に行くと無駄使いしてしまうので、不本意ながら日曜夕方に時間を設定して、どんなお客さんが来ているか3人選んで観察した。
気になるとどうしてもジロジロ見ちゃうから、距離感がむずかしい。
気づいたら10月も後半に突入しようとしている。そろそろフィールドワークの準備もしなければならない。ひえ〜。
そういえば、10月後半だというのにハロウィンの気配が微塵もない。東京とか、その他の日本の街のほうが、ハロウィンを盛り上げている気がする。
コペンハーゲンが本店の雑貨屋さん「フライングタイガー」がリガ市内には何店舗かあり、ハロウィングッズを販売している。が、「フライングタイガー」以外にハロウィンアイテムを販売しているお店は、ほぼ見ない。
クリスマスグッズを並べているショップもあったが、多くはない。歴史をさかのぼると、もともとキリスト教の国ではないという背景が、こういうところに現れているのかもしれない。
帰宅後、ぬか床を引っ越しさせ、きゅうりを漬ける。
スーパーの観察レポートを、今から書きます。
2023年10月16日 大学院という手段
午前中、大事な書類を預けている事務所へ行く。天気がいいからバスの停留所を、目的の場所から2つくらい手前で降り、歩いて大学の図書館へ。
初めて行く、自宅から最寄りの図書館。
机と椅子が窓際にくっついて、セントラルヒーティングが足元についていて、快適そう。しかも見たことない中庭まで発見。紅葉していてきれい。
とはいえ、この紅葉の風景と気温が、まだなんか合わない。もうすこしあたたかいのかと思えば、実際の気温は5度だったりする。風が少し出てきて冷たい。
図書館で課題をして、家に帰ってごはんを食べ、夕方からの授業に出て、いま帰宅。このあとまた課題の続き。
ほんとうに毎日毎日、課題をやっていることしか日記に書いていない。でも、大学院生ってつまりそういうことなのだね。事件も起きない。華やかさもない。
刺激的な日も好きだけど、こういう淡々とした日々も好き。むしろ、日常をありがとう、という気持ち。
暮らすってつまり、そういうことなのかな。
当初の海外渡航の目的は「暮らす」を体験することだった。
大学院の勉強に励むことが、第一目的ではなかった。
でも、わたしは「暮らす」体験を得るために「大学院生」という肩書きを自分に課すことを選んだ。
たとえばフリーランスビザなどで、ラトビアでなんの肩書きも責任も義務もなく、渡航することだってできた。ラトビアじゃなくても「海外で暮らす」を体験することはできる。
いまは、勉強が楽しい。課題は大変だけど、新しく学ぶことがたくさんあって、純粋に楽しい。勉強が楽しいということも含めて、わたしにとってのラトビアの日常になりつつある。
思っていたより、大学院という手段を選んでよかった。課題は大変だけど。
やっぱり、過度に期待をしないほうがうまくいくのだなと実感している。一度も訪れたことがなかったラトビアを選んだのも、先入観を持たずに過ごせている要因なのもしれない。
2023年10月17日 ふんばる
やばい……今日、誰とも口きいてないない。発声していない。
午前中、新しい大学の校舎と図書館へ。どちらもサイエンス系の学部だから、授業で使うことはないけどどんな感じなのか気になったから、行ってみた。
めちゃくちゃきれい。できたばかりだから。ガラスの個室なんかもある。白衣を着ている学生もいた。
この建物の他に、もう一つ別の施設も建設中だった。
近くに林もあって、いいかんじ。
そろそろ森か山に行かないと、心が枯れそう。毎日そこそこ楽しくても、身体を思い切り動かしたいし、自然の中に身を置きたい。
今月乗り切れば、まあまあ余裕ができる。今月いっぱい、週一でプレゼンがあるから、読み物の量がはんぱない。そのプレゼンは明日。けど同じグループの子たちから、資料に関する返信が来ない。だいじょうぶか? 先週も直前にWhatsAppがすごい勢いで流れてたから、締切ギリギリに本気出す感じなのかだろうか。大学院は働きながら勉強している人たちもいるから、余裕がないのは分かるけど。
PCの電源を忘れたため、午後に引き上げ、後半戦を自宅でがんばるために、ちょっと高いお茶を買う。
シナモンの香りがよい。ただ、冷えたらすごく甘くて、ちょっとがっかり。甘みの強いお茶は、あまり好きではない……。
午後も夜までがんばりました。
夜23時を過ぎた。まだ資料の返信こないけど、明日のプレゼン大丈夫なんだろうか。みんなギリギリを生きがちだな。
2023年10月18日 おつかれ
ずっと家。読み物。森に行きたい。
プレゼンも、ギリギリに返信や加筆・修正があって、無事終わる。
ただ、予期していない質問に、すぐ返せず歯がゆい……。メモを英語にしてみたけど量が多くて、質問に適切な答えをすぐに探し出せない。
メモの書き方を工夫しなければ。
なんだかクタクタ。身体を動かしたい。
2023年10月19日 気軽に大学を辞める
早く出かけてカフェで課題をやろうかと思ったが、結局授業ギリギリまで家にいる。家でも集中できるのはいいことだけど、本当に引きこもりになってしまうな。今日はせっかくいい天気だったのに。
ちなみにラトビアの気温は日中でも、もう10度まで上がらない。紅葉も盛りを過ぎて、だんだん葉が散っている。
昨日のプレゼンが終わり、グループチャットに突然の連絡。
ふたりの学生が「なんか思ってたのと違うから辞める」とのこと。まじか。
そんなカジュアルに大学を辞めるんだ。お金もったいなくない?と思ったけど、彼女たちの人生なので「good luck」と送った。
入学金よりも、「なんか違うな」と感じながら過ごす時間のほうが、もったいないのかもしれない。あまり踏み込んだことは聞かなかったから分からないが、誰でも、どんな道を選んでもいいんだよなと改めて思った。
夕方から夜までは、ずっと授業。
22時近くに帰宅して、このnoteを書いている。
仕事の残りをやるためにPCを開いたら、提出したエッセイのフィードバックが返ってきた。
体調が悪くて朦朧としながら書いたエッセイ以外は、まあまあがんばった方ではなかろうか。
読んでいる論文や書籍が腹落ちして、ディスカッションになっても、読んだ内容がしっかり引き出しに入っていつでも取り出せる状態にできるようにがんばろう。
2023年10月20日 お買い物day
今日も朝から課題。課題、課題、課題。毎週やること増えていくな。おかしいな。文章を読みすぎて首が痛い。
午後は、古着販売のポップアップイベントへ。ヨーロッパのいろいろな都市を巡回しているらしい。
リガ中のおしゃれなひとたちが集まっていて、たのしかった。ふだん、なるべく節約生活を心がけているが、古着はやっぱり見ているだけでもワクワクする。
買い物も楽しいけど、やっぱりそろそろ森に行きたい。
しかも秋が深まって、このままだと葉っぱがぜんぶ散って冬になってしまう。
ラトビアには山はほとんどないし土地勘がまったくないから、せめて公園とか森に近い環境に行けないか、Googleマップでリサーチ。
明日、早起きして市街地から少し離れた公園に行ってみようと思う。
考えごと
誰でも人種差別をする
今週、大学のプレゼンの題材は、人種だった。
人種という言葉を、日本語の会話で使うことはほとんどない。けれど、ヨーロッパで「人種」つまり「race」という言葉を使うことは、ものすごくセンシティブなのだということを、恥ずかしながら、初めて知った。
ラトビアに来てから、アジア人の見た目の人が少ないなー、なんて思っていたし「ラトビアは、もっと身長が高くて色白の、典型的なロシア人みたいな人が多いのかと思っていた」などと口にした事がある。
でもこの発言自体、実はとてもレイシズム(人種差別主義)に染まった発言だったのかもしれないと気づいて、ショックを受けている。
「“差別する気はなくても差別している”という前提を忘れるな」と、言い聞かせていたつもりなのに、その自覚よりももっと深いところで、無意識にレイシズムに侵されている部分があったと、生々しく自覚したから。
文化人類学を基礎から学んでいる最中だから、「知っていたつもりだったこと」の多さに焦る。
今週はアメリカの文化人類学者のフランツ・ボアズの書籍が課題だったのだけれど、彼の主張によると、人種の違いは文化的違いとイコールではなく、文化的違いは環境によって生まれるのであり人種が変化に影響はもたらさないという(※勉強中だから、正確な解釈ではないかもしれない)。
髪の色、肌の色、身長、顔のパーツなどが、文化的なアイデンティティを決定づけないという主張。「日本人っぽい見た目」とか「ラトビア人っぽい見た目」という概念自体、誤りで、存在しないという主張だと解釈した。
じゃあ「日本人っぽさって何?」という質問に対しては、外見ではなく文化的な背景が日本人っぽさを作り上げるのであり、何を「日本人っぽい」と感じるかも、人によって違うという回答になるのだと思う。
よくInstagramのリールで、アイデンティティに関する質問をする街頭インタビューの動画が流れてくる。日本に長く住んでいる人で、見た目がいわゆるアジア風ではない人に対して「どこ出身ですか」「両親の出身はどこですか」「どんな言語を話せますか」というような動画。
質問をしている人も、答えている人も、不愉快な雰囲気はない。おそらく、お互いの同意のもと、それぞれ気になることを聞いたり回答したりしているからだと思う。
でも、これが多くの人に求められるコンテンツになる根底には、どこかでレイシズムの片鱗が横たわっているのではないかと感じるようになってしまった。
もともと見た目で人格や国籍を判断するのはやめようと思っていたが、よりその配慮に敏感になった。知らなかったことや気づかなかったことに気づくと、発言するのが怖くなる。安易に同意も反対もできない。自分の意見を述べるまでに無知が過ぎることを思い知ったから。
ますます無口になるな……。納得できるまで反芻を続けるが、正直、あまり気持ちがいいリフレクションではない。むしろ気分が悪い。自分に対しても、差別的な発言に対しても。でも、これが“勉強する”ことなのだと思う。
イスラエル、パレスチナ、ラトビア、日本、それぞれのこと
ヨーロッパの大学で文化人類学を学んでいるからなのか、ラトビア大学だからなのか、それとも文化人類学の基礎テーマなのか。
理由は分からないが、授業で国境について扱う機会も多い。
「Transformation of Borders」という必修科目があり、先週はいくつかのテーマに関して、少人数のグループに分かれてディスカッションした。
テーマの中には「海に囲まれたエリアの国境はどのように考えられているか」という質問があり、わたししか海に囲まれた地域出身がいなかったので、日本の事例を話した。排他的経済水域がときどき近隣の国の漁船によって侵犯されていること、北朝鮮が領空を無視して日本に向けてミサイルを撃ちまくっていること。けれどそれらに対する具体的な政策や防衛策は、国民にはあまり理解されていないこと……など。
けれど、このテーマで真っ先に思い浮かべるのは、イスラエルとパレスチナ。授業では、あまりにも生々しすぎるのか、たまたまなのか、誰もはっきりとは触れなかった。
ラトビアは、旧ソ連の支配下だったこともあり、ロシアのウクライナ侵攻に関してはウクライナ支持をあらゆる手段で顕示している。
約1週間前に、ハマスがイスラエルを攻撃したことで、イスラエルは戦争状態だと明言。イスラエルもパレスチナのガザ地区でも、たくさんの市民が亡くなった。
アメリカやフランス、イギリス、ドイツはすぐに、イスラエル支持を表明した。
ラトビアは?
ウクライナに対する反応に比べると、明確な意思表示は控えめのような気がする。
リガ市街地にある自由記念碑広場で、イスラエルに向けたキャンドル点灯が行われたことはニュースで読んだ。
わたしは去年、パレスチナ・アマルという日本人の方が運営するオンラインショップで、ガザ地区の女性たちが作るマジダル織り刺繍のトートバッグを購入した。
届くのを待っている間に「糸の供給が間に合わず、購入したときの写真とは違うバッグならすぐお届けできます、申し訳ありません」というメールが来た。写真どおりのバッグを作ることもできるが「糸がいつ女性たちのもとに届くか分かりません。写真と同じ色とデザインをご希望の場合はご連絡ください」という説明もあった。
わたしは特に申し出ず、その数週間後にバッグは無事到着した。今回のラトビア移住にも持ってきて、使っている。
なぜ「パレスチナ・アマル」を知ったのか、きっかけは忘れてしまった。けれど、イスラエルとパレスチナへは、なぜか想いを馳せることがある。トートバッグを購入したのも、ガザでの出来事が、どうしても遠い国の紛争とは思えなかったから。
ガザ地区へはさすがに行ったことはないが、イスラエルとエルサレム、そしてパレスチナ自治区に含まれるベツレヘムを訪れたことがある。2014年2月のことだ。
イスラエルへは、ドイツ人の友人といっしょに旅をした。だからなおさら、忘れられない。
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