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知れば知るほど知らないことが増えていく #ラトビア日記 38週目


2024年5月13日 ギリギリを攻めがち

 先週の金曜日に連絡が来た移民局へ。

 居住許可の更新(というか登録?)の相談をしに。

 対応してくれたのは比較的若い女性。

 まだ有効期間が半年以上残っているのにIDを更新するのは、ほぼ前列ないみたい。

 必要な書類はほぼ揃っているが、追加で「なぜ有効期限前に新たな居住許可が必要なのか説明した文書を作って提出して」と言われた。

 書類を送るのは、いま相談に来ている建物なのに、書類をそのまま手渡しできないのは、なんて融通がきないんだろうと思ったが、役所仕事が段取りの例外を嫌うのはラトビアも日本も一緒なのだなと思い(良い悪いではなく)おとなしく窓口を後にし、近くの公園ですぐ書類を作って、速攻郵送した。

 ただ……6月の一時帰国までにIDを受け取れるのかな?

 お金を払えば、優先的に書類をチェックしてもらえる。

 でも、このまえオランダの物件探しで詐欺に遭って20万円くらい飛んでいったから、なるべく出費は抑えたい……。

 とはいえ、IDがなければオランダに行けないし(行けるけど長期滞在できない)背に腹は変えられないかな。

 ほんと、呼吸をしているだけで、お金かかるなーーー。

2024年5月14日 自分を値踏みするなんて

 オランダ物件詐欺(未遂)事件が、良くも悪くも、こちらでの仕事探しを後押ししている。

 CV(履歴書のようなもの)を作り直しながら、自分のやってきたことが、どんなふうに相手に見えているのか改めて考えた。

 誰と出会うかは、キャリアだけでなく人生に無限のインパクトを与えてくれるなと思う。

 わたしのキャリアの大部分は、周りに押し上げてもらったと思っている。

 ただ、その出会いを経て何を得て、自分がどのように周りに貢献できるかを、相手の求める形で言語化できないと、次へいけない。

 自分が言いたいことではなく、相手が求めていることを伝えられないと、意味がない……と言うと語気が強いかもしれないが、間違いではないと思う。

 さらに、自分が得意だと思っていることと、周りから認められた技術が、違う場合もある。

 自分の価値を、相手の判断に委ねるなんて、不本意だし、本来値踏みされるべきではないはずなのに、どうして仕事となると、自分を資本みたいに扱わなければいけないんだろう。

 働くことも、過去の仕事も今の仕事も好きだけど、売り込むのは、どうも苦手だ。

2024年5月15日 \(^^)/

 カフェで課題をやっていたら、移民局の窓口で対応してくれた女性から、電話。

 「言い忘れていたけど、大学からの書類がないと手続きを進められないから、用意して」とのこと。

 え?

 それ、早く言ってくれ………この前窓口に行ったときに教えてくれよ……。

 いや、でも彼女も「こんなに早く新しい許可が必要になる前例を知らない」と戸惑っていたから、仕方ない。

 急いで大学へ連絡。すると

 「ユトレヒト大学からの受入証明書はもらった? それがあれば書類を作れる」とのこと。

 いや、まだもらっていない……というか5月末にならないともらえないって案内に書いてあった……。

 詰んだ\(^^)/

 いや、まだ詰んでない。まだ諦めない。

 ユトレヒト大学へ連絡。

 「今すぐ受入証明書が必要なんや! 忙しいとこ悪いけど送ってくれえええええ」とメール。

 数時間後「明日には準備して送る」と返信。

 ほら、詰んでなかった!

 と、胸を撫で下ろす。手続き周りが落ち着かないと、課題にも集中できないから。

 しかし、フィールドワークに関する学期末論文が、文字下限8,500文字と聞いて、白目むいた。

 こっちが詰んでいる\(^^)/。

 授業が終わって少し気が抜けていた。明日から書き始めなきゃ。

2024年5月16日 あんまり集中できない

 居住許可のことが気になって、上の空になってしまいがち。

 ラトビアに来たばかりの9月の、地に足がつかない不気味さに似ている。

 焦ったところで、できることがない状況も、9月のときと同じ。

 でも天気がいいから、ふさぎ込まずに済む。

 最近、リガにも観光客が増えてきた。まるで違う国のような賑わい。

 やっぱり夏が近づくと人の動きが加速する。

 街路樹や公園の植木も、パッと点火したみたいに緑が萌えている。

 「萌えている」という言葉が「燃えている」と同じ音を持つのが納得。

 あまりにも眩しすぎて、クラクラする。そのせいなのか、毎日帰宅したらすぐ眠たくなってしまう。

 冬の暗さとの抑揚が極端だなあ。

2024年5月17日 Engreへ遠足

 お誘いをいただき、ラトビアの西側にあるEngre(読み方はおそらくエングレ)というエリアへお出かけ。

 沼地が広がり池や湖が点在して、秋にハイキングに出かけたKemeriに似ていた。

野生の馬や牛が草を食んでいた
沼といえど、水の透明度は高い
緑がきらきら
馬たちは人慣れしているみたいですぐ近づいてきた。あまりにも躊躇いなく接近してくるため、パニックになる
ごはんをもらえないと分かるとそそくさと退散
お鼻がピンク色の子牛たちもいた

 エングレの日本語の情報は、ほぼ皆無。英語もなかなか見あたらない。

 現地へ行く途中は平屋の煉瓦造りの家がポツポツ建っていて、10年以上前にモロッコへ行くために南下した時に見た、スペインの田舎町のようだった。

 地元の人たちもほとんどいなかったビーチ
バルト海は塩分濃度が低いと教えてもらった。確かになめたら全然しょっぱくなかった
遠浅の海。このお父さんはだいぶ遠くまで歩いていたが、それでも膝くらいまでの深さしかなかった
ビーチの近くにあったカフェとベーカリー。お土産物も購入できる。価格はリガより少し安い

 課題ばかりやっていると、なかなかリガ市街地から出ない。

 それどころか、行動範囲が限定され、同じ場所にしかなかなか行かなくなる。

 マンネリ化する退屈さもあるけれど、暮らすってつまり、そういうことだとも思う。

2024年5月18日 言語きらきら

 夜は、誘ってもらったコンサートへ。

 日本語の曲をラトビア大学の合唱団が歌うとのこと。

 歌を聞きながら、言語は本当に文化の結晶みたいだなと感じた。

 ラトビアで生まれ育った人たちで結成された合唱団。

 彼・彼女たちが日本語の歌を歌うのを聞きながら、扱い方がわからないものを手渡されて自分なりにコネコネ練っている感じがした。 

 日本語の歌は、やわらかくてわたげのように聞こえた。

 ラトビア語の歌は、団員の声がグッと重くなって、足の裏に力が入っている感じがした。

 母語で歌うと声の体重が増すのか、ラトビア語がそういう発話なのかは分からないけれど。

クオクレというラトビアの伝統楽器の演奏とコラボ

 伝統楽器のクオクレは、和楽器だと琴に近い。

 無学なわたしの認識では、琴は音と音の間も込みで奏でる楽器。

 けれど、クオクレはもっとメロディが継ぎ目なく細く流れていく感じ。音は、ハープに少し似ていた。

 演奏していたのは、10代の学生だったらしい。

 若者が、伝統楽器を演奏しているなんて、ラトビアビギナーのわたしも、なんだかうれしくなった。

2024年5月19日 肌荒れ

 昨日の夜、帰ってきたら疲れてそのまま寝てしまった。

 日没がどんどん遅くなり、今では21時過ぎでも明るい。朝も6時は明るすぎるくらい。

 だから無意識に、身体が起きている時間も延長されているのかもしれない。

 いつの間にか寝てしまったせいで、朝起きたらニキビが……。顔の肌荒れが最近目立つ。ほぼ100%、ストレスのせいだと思う。

 課題を書きに街中へ。

 すっかり暑い。春を飛ばして夏の陽気。

 今日は、リガ市内でマラソン大会が行われていた。

ベビーカーを押しながら走っている人もいた
給水で使われた、ものすごい量のプラカップが沿道に捨てられていたのが気になっちゃった

 公園や市内のベンチは、どこも人でいっぱい。芝生の上でごろ寝したりお茶会したり。

 日焼けが気になるので、日焼け止めとパックを買う。

 数年前から、ヨーロッパのドラッグストアでもフェイスパックが売られるようになったみたい。

 フェイスパックは韓国語や日本語が書かれていることが多い。

 顔にパックを乗せて保湿するという行為には、どういう文化的背景があるんだろう、と考えながらパックを選んだ。

今週の雑記: 無知を怖がっていたら何も言えない

 昔から、政治的な話に興味がなかったわけじゃない。

 けれど、自分の言葉で意見を述べられない限り、政治に関する記事をシェアしたり感想を述べたりするのが憚られた。

 無知を晒したくなかったから。

 けれど、いまラトビアというバルト三国の一つに暮らし、ロシアと国境を接したこの国で、ウクライナ支持と連帯を表明し続け、ピンズやワッペンなどで国旗をファッションに取り入れ、愛国心やウクライナ支持を主張する若者たちも少なからず存在する環境で、何も感じない方がおかしい。少なくとも、わたしにとっては。

 自分の体験や感覚の鮮度が上がってくると、主張する言葉の純度も上がる。

 同時に「思ったことは言ってもいい。言わなくちゃ」という気持ちになってくる。

 それは良くも悪くも、日本にいると忘れてしまう当事者性が、国を離れて浮き彫りになってくるから。

 政治のこと、平和のこと、主張しなくてもいいなら、主張せずにのびやかに暮らしたい。

 毎日の天気や読みたい本のこと、庭の手入れや次に何を編み物で作るかとか、そんなことだけ考えていたい。

 けれどそれらが、どれだけ得難いものなのか、知ってしまえば、戻れない。

 今でも、知らないことだらけだ。

 ラトビアの歴史や政治、ウクライナの歴史、ロシアの歴史、世界で起きている紛争、叡智を産み育んできた人間の歴史、学習しない人間の、浅はかな歴史。

 けれど、知れば知るほど、知らないことばかりが増えていく。

 身体は一つで、時間は有限。

 だから、すべてを知ることなんてできない。

 死ぬまで無知の域を出ることはできない。

 でも、無知だから、無知のまま、口をつぐんでいたら、見ないふりをしていたら、安寧の暮らしが奪われてしまうから。

 無知でも口が達者な人たちに、飲み込まれてしまうから。

 正義を履き違えてはいけないが、それも、対話しないと分からない。

 今は、分からないことが分からないままで許される状態で生きていけるほど、残念ながら平和ではない。

 いや、むしろ、もともと世界は初めからそうなのかもしれない。わたしが気付いたのが、最近だというだけなのかもしれない。

おまけ: 近影

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