エピラ(20)知らないふりはできない
前回のあらすじ
とある北の国と南の国の物語。自称医者の男・クレスを訪ねたニカは、父・シマテの足は北の国に行かないと治らないと告げられる。帰路、迷子になったニカは不思議な灰色の建物を見つけ、爆発に巻き込まれた。シマテとモカレによって救出された後、断片的な記憶だけ戻ったニカは、シマテにダチェルの粥を食べさせようと試みる。
登場人物
ニカ : 南の国の第23集落に住む、12歳の女の子。
シマテ: ニカの父親。クル豆農家。第18集落で事故に遭い、左足を失う。
モカレ: ニカの母親。クル豆農家。
モアレ: モカレの母親で、ニカの祖母。足が悪く車椅子生活。
クレス:第23集落に住む、エピラの自称医者
シーラ: 第23集落の図書館の司書
用語紹介
エピラ :南国で生まれ育ちながら北国へ移住した人、北国へ移住したが南国へ出戻りした人を指す。
ダチェル:止血効果のある茶色いひだ状の木の実
粉々になったダチェルの実をかき集め、ニカは、クレスに教えられたとおりの粥を作った。
そして、足を引きずりながら畑作業をするシマテに、むりやり食べさせた。
と言っても、全身打撲の影響で、まだうまく身体の節々が動かせないニカではなく、その説得のほとんどは、モカレによるものだった。
*
川向こうで倒れているニカを見つけたとき、シマテは血の気が引いて、動けなくなった。
一方モカレは、誰よりも早く駿馬のごとく、ニカに駆け寄った。
──おれが足を怪我して帰ってきたとき、母さんは何も言わなかった。そんなことは、分かっていた。おれが小さいころから、母さんはいつも卑しいものを見るように、おれを見下ろしていた。
自分の腹を痛めて産んだ子に、親が不快感を示すのは、シマテにとっては当たり前だった。だから、モカレとの間にニカが産まれたとき、シマテはどうやってニカを見つめればよいか、分からなかったのだ。
なぜなら、シマテにとって、ニカは卑しい生き物ではなかったから。
子どもは、不可思議で、突拍子もなくて、わずらわしいこともある。
けれどニカの目を見ると、自分の怯えた心を見抜かれている気がした。
──怯えている? ニカに対して?
シマテは腐った豆を掘り起こしながら、自分に問うた。
──ニカに対して怯えているのではない。
では、何に?
──なかったことにしたい、自分の過去を、見透かされているような。
力任せに何度も同じところばかり掘り込んだせいで、畑の畝の一ヶ所だけ、深く黒々した土が、もこもこと積み上がった。
その後ろ姿に、モカレが声をかけた。
「これ、ニカが食べろって」
モカレの右手には、木の器に、畑の土より少しだけ明るい茶色の粥がシマテの3口分ほど入っていた。
「なんだこれは」
「あんたの足に効くからって」
「イモではないな」
「ダチェルの実って言ったかな」
──ダチェル。
その音が、耳から脳の奥を突き刺すように、響いた。
畑作業の時とは違う、じっとりとした汗が、一気にシマテの脇の下やおでこの生え際から吹き出した。
「ニカは、この実を探しに行って、怪我をしたのかもしれない」
「……どこで見つけた」
「分からない。何も言わないんだ、あの子。ただこれをあんたに食べさせろとしか」
シマテは、ニカの深いエメラルドグリーンの瞳を思い出した。
そして、その瞳の奥には、もう一人の、男の、顔。
──あの男。
いつか、うちに来た、体格のいい、短髪の。
あいつも、ニカと、同じ目をしていた。
あの国の──
北の、国の──。
無言のまま、目を見開いて粥を凝視しているシマテに、モカレは何度も名前を呼びかけた。しびれを切らして肩を叩くと、シマテの無骨な巨体は、まるで天敵に襲われた小動物のようにビクン、と大きくはねた。
「どうしたんだい、汗がすごいじゃないか」
モカレは、とつぜん憔悴したシマテを見つめ、家に入るよう促した。そして
「これ、食べてやんな。まだ動けない身体のニカが、ベッドから這い出る勢いで頼み込んでるんだ。娘のために粥の一口くらい、安いものだろう」
となだめるように言い、片足を引きずるシマテの腕を、自分の左肩に回した。
シマテは、ダチェルの実がなんなのか、知っていた。
なぜ知っているのか、自分でも分からなかった。
そして、なぜあの男のこと──川の近くで倒れたとき、家まで送り届けたあの男──を思い出すのかも、分からなかった。
シマテ自身も忘れたいと遠ざけていた記憶の断片が、指先で、チョン、と刺激されると全てが溢れ出てシマテを呑み込んでしまいそうだった。
認めたくない。
けれど、認めなければならない。
なぜなら、ニカは、知ってしまった。
おれの足が、北の国に行かないと治らないこと。
ダチェルの実は、止血効果があること。
あの男だ。
ニカに、ダチェルの実を渡したのは。
それならば、ニカは、いつか嫌でも知るだろう。
おれが、エピラであること。
そして。
ニカ自身には、ポフネ──北国の住人の血が、流れていること。
(つづく)
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