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lisashouda
“個性”を脱いだら自由になれる、かもしれない
NHKの人気番組「100de名著」の、2020年12月7日の回でフランスの社会学者・ピエール・ブルデュー著『ディスタンクシオン』がとりあげられた。
その放送に対する、以下のツイートが、なんとなく頭から離れなかった。
100分de名著。プルデュー『ディスタンクシオン』。「自分がたまたま好きになったと思っている趣味は、階級や学歴や経済格差により定められている」という話。芸術作品との“稲妻の一撃”による出会いを否定し、文化的慣習行動による必然の出会いしかないと定義。これだ、こういう話が聞きたかったんだ!
— はまりー (@travis02130213) December 8, 2020
「趣味とは文化資本の産物。文化資本とは親の遺産。音楽を日常的に聴く環境下に居なければラジオからたまたま流れてきた曲に感動することはできない」。すごい、すごい。SNSに氾濫する「好きという感情がいちばん尊い」論に対する叛逆だ、これは。
— はまりー (@travis02130213) December 8, 2020
同時に、6年前(!)に自分が、舌足らずに書き散らかしたnoteを思い出した。
「個性は、突然変異的に生じる唯一無二な要素ではなく、ある程度お決まりの型や傾向の中から見出すもの」と言いたかった……ように記憶している。
「趣味と社会構造との密接な関係を明らかにし、趣味や嗜好という非常に個人的な領域が、いかに社会によって規定されているかを明示した(NHK 100分 de 名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)より)」という、ブルデューの話と、わたしのnoteがどう関連するのかを交えて、最近考えていることを、つらつら書きながら、整理したい。
学校を休んで観に行った『奇跡の人』
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