台風渦中での日々のこと
※9/18(日)に鹿児島県に上陸した台風14号の影響で、約3日間、停電と断水に見舞われた際に残しておいたスマホメモの日記です。
20220919
昨日は、洗濯機の中に放り込まれたようだった。
雨粒が弾丸のように雨戸を叩きつけ、風は怒り狂っていた。
誰にでもなく「ごめんなさい」と思いながらベッドのシーツにつかまって、動いているはずもないのにぐわんぐわん揺れた船の中にいるようで、振り落とされそうだった。
その揺れに呼応するように、血管が激しく収縮する感覚を覚え、頭痛がした。
結局、台風の暴風域が去っても、電気と水は戻ってきていない。
不動産屋に問い合わせたら、水を電気稼働のポンプで汲み上げているから停電したら水も止まるのだそうだ。
「まだそちらの地域は停電しているんですか?」という悪意のないマウントに無用な苛立ちが募り、そのあと電話の向こうで不動産屋がなにを話していたのか覚えていない。
何度か、こういう災害には遭ったことがある。
それに、登山や森歩きに興味が湧いてから、水や電気が易々と手に入らない環境で楽しくサバイブするグッズをいそいそとポチっていたから、それらが山ではなく自宅で大いに役に立つ。
自然相手の遊びは、やっぱり身も心も助けてくれる。自分を助けてくれるものには、底なしの敬意と愛着がわく。ありがたや。
停電に合わせて、スマホの回線も不安定になった。
もともと引っ越してきた当初から通信環境が劣悪だった。鉄筋コンクリートの住宅で圏外。
令和の今時分にいったいどういうことなのか謎だが、光回線を引っ張ってきてからは快適だった。
しかし、停電となればもちろんWi-Fiは使えない。
ソフトバンクの回線も、不安定なのか復旧したのか、そもそも圏外になるから分からない。
通信環境の悪さが余計に不安を煽る。
情報の時差を生むし、安否確認はできない。
停電が直ったかどうか、自宅のスイッチを入れたり消したりして確認し「まだか」とため息をつく。
車があるのは幸いして、ラジオにもなるし電源も拾える。自宅から離れたスーパーや電波の届く場所へも移動できる。
なにせ、隣町やそのまた隣町のコンビニやスーパーではキャッシュレス決済ができ、電波も通じ、電気や水は問題なく使える(ように見える)。こんなときでも郵便や新聞は届くし、佐川急便のお兄さんは荷物を届けてくれる。
自分が住んでいる半径3メートルだけが、まだ水も電気も通らない。
陸の中のさらに隔離された、陸の孤島。
日常のハンドルを握るのは自分だから、毅然と、平気なふりをしてみる。
うん、まあまあ大丈夫。
でもまあ、できれば、しばらくはこういう災害とは縁遠くありたい。
そうもいかないだろうけれど。
なにせ日本は地震大国。気候変動の影響で生まれた意味不明なくらい大きな台風は、これからも風物詩が如く出現するに違いない。
災害ありきの、変動し続けるのが当たり前の生活にシフトしていかなければならないのかもしれない。
いつ、どう変わっても耐えられるように。緊急事態が通常であり、うろたえなくてすむように。
「変化に柔軟であれ」って、耳触りはいいけれど、けっこう冷徹な姿勢でもあるのよな。
頓着しない。執着しない。
身軽だけれど、熱はこもらない。
そもそも命を熱くほとばしって散らしたあとなど、誰も求めていないのだと無欲をひた走る。
あー、そこまで解脱できれば多少は生きるのが上手になるかしら、と夢想したのも束の間、停電だろうと断水だろうとお腹は減るしトイレにも行きたい。
海外に旅に出る前に、いろいろ準備もしたかったが、心ここに在らずで逃げるように寝てばかりいた三連休。
眠って、起きたら「少しは状況が改善しているかな」「タイムリープでもできるかな」って思ったけど、惰眠を貪って背中が痛くなり顔がパンパンに浮腫んだだけだった。
20220920
まあまあ大丈夫。
と、思ったのは強がりだった?
としても生きるための虚勢は見逃してやろう。よくやっている。
いっぽう、数十時間ぶりにお風呂に入って見た鏡の中の自分の目元にはくっきりとした隈。げんじつ。
うーん、やっぱり疲れていたのか、と思いながらそれを笑い合える同僚がいることに救われながら自宅近くの信号の電気が戻ってきたことを確認し、さらに一筋の希望の光を見る。
自分でハンドリングできる日常の振れ幅はそろそろ限界。
冷蔵庫からも、ほのかに怪しげな、におい。
早く電気、戻ってきてーーーと、いよいよ声に出す。
せめて日が暮れる前までに。って、あと数十分じゃないか。
お風呂もトイレも自由が効かない。
今晩は、同僚の家に避難させてもらう。
20220921
結局、この日の午後に電気と水道が戻ってきた。
先日電話をした隣町の不動産屋があまりにもあっけらかんとしていたので頼りにしていなかったが「電気、戻ったみたいです」と突然電話があった。
ブレーカーを上げたときの、ぶぉおん、という音は忘れられない。
なるべく室温が上がらないようにカーテンを閉めており、ぼんやり暗い部屋の中で「うわあああ」と叫んだ。
まだ光回線が届いておらず、ネットは回復していないが、そんなの笑って許そう。電気が! 蛇口から水が! やっと使えるようになったのだから。
もともと使えないところで工夫を凝らす楽しさは好きだが、もともと電気も水も使えていたところで、なんとか工夫したり耐えたりするのは、やはりこたえていたようで、そのあと階段の踊り場で転んだり、何百回とバックで入れているはずの自宅の駐車場で車体を擦ったり、意味の分からないメールをうっかり送信してしまったりした。
呼吸もどことなく浅いし、早く寝ようにも寝付けない。せっかく寝苦しい時期を超えたのに、台風が通り過ぎている最中に寝過ぎたのか目が冴えている。
寝ようとしつつもパタパタとスマホをたたいていると、知人からのメッセージが届いた。
人の心配をする余裕もなく、自分のことで精一杯だったな、となんだか情けなくなった。
緊急事態こそ、人柄の本質がこぼれ出るというが、自分の器のちっささが露見した気がして、なんだか一気に落ち込んだ。
その沈み込んだ気持ちで眠気が呼び起こされたのか、気づいたら朝。このnoteを書いている。
「まあまあ大丈夫」と言い聞かせ、なんとか心置きなく過ごせる状態まで辿り着いたとはいえ、お気楽っぷりに自分でもあきれるんだか感謝すべきなんだかよく分からないまま、今日は転ばないようにと階段の踊り場を駆け降りるのだった。
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