自分を大切になんてできない
脱衣所の電球をはずした。
私には、明るすぎたから。
暖色系の光かと思って取り付けたら、歯医者が口の中をのぞき込む、あの照明に似たまぶしさだった。ウェブサイトで、使用例の写真をよく見たつもりだったけれど、購入ボタンを押すときに間違えたのかもしれない。
白いクロスの壁が白熱灯の明かりを反射して、自分の身体が点検されているようだった。
30代になると、身体の曲線がぼやけてくる。じゃあ20代はどうだったのかと問われても、忘れてしまったけれど。
あったかなかったか定かではないくびれを取り戻すように、腰回りをマッサージしながら、シャワーで汗を洗い流し、湯船に浸かる。
手元を濡らさないように、昨日、半分まで一気に読んだ小説の、しおりが挟まったページを開く。
5人の男女の、10代から20代までの人間関係の移ろいを、それぞれの視点から描くオムニバス形式の恋愛小説だ。
出版されて間もない小説だったが、週末に通っている本屋の、店頭と、文芸コーナーの一番手前に平積みされていた。
読み進めながら、私は誰に感情移入しているのだろうと俯瞰する。
私が10代のときは、こんなドラマティックな駆け引きとは皆無の世界に生きていた。自分が関わらない世界は、存在しないのも同じだ。五感の及ぶ範囲が、10代の私にとって世界のすべてだったから。
けれど、自分でその範囲を自由自在に操られるようになってからも、やっぱり変わりばえしなかったような気がする。今も。
半身浴のまま読み進めていると、物語は急展開した。
別の男と結婚した女のもとに、音信不通になっていたかつての恋人からの手紙が届く。訳があって届かなかった手紙は、恋人同士だったところで時が止まっている。かつての恋人は、今どこで何をしているか分からない。女が手紙を読む描写は出てこないが、女の娘が手紙の存在に気づき、こっそり盗み読むシーンが出てくる。
私はいったい、誰に感情移入しているのだろう。
手紙をこっそり開く、女の娘だろうか。
かつての恋人を忘れられない女だろうか。
もしくは、意図せず音信不通になってしまった、恋人だろうか。
小説は最後、届かなかった手紙の一文で終わる。甘美な言葉の並びは、思いやりとせつなさではち切れそうだった。
事実は小説より奇なりというけれど、小説よりドラマティックなことが、どうやったら起きるのか教えてほしい。
下腹あたりが、キュッとすぼまる感覚がする。同時に、じわっと子宮の中に湿ったなにかが広がる感覚も。思わず、太腿の間を見る。よかった、生理が来たかと思った。そういえば、最後に生理が来たのは、いつだっけ。
忘れてしまった。
くびれていたかどうかも。
最後の生理がいつだったのかも。
10代と20代の、ドラマティックだったはずの、なにもかも。
忘れさせているのは、私だ。覚えておきたかったことすら、分からなくなってしまった。
ぼやけた身体の輪郭は、私自身をどんどんおぼろげにする。まるで初めから、この世界にいなかったみたいに。たとえ五感の届く範囲の世界だけで生きてきたとして、その手触りを忘れないでおく強さがあったら、初めから、まぶしすぎる電球なんて、選ばなかったのに。
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