日本が有事の時どうするか #ラトビア日記19週目
2024年1月1日 なんて幕開けだろう
起きたら、地震発生の通知。
大津波警報の通知も。
目が覚めても、しばらく動けない。
ずっとSNSのタイムラインをスクロールしてしまう。
過剰に気にし過ぎないほうがいいと思いつつ、画面を見る手を止められない。
「来年は少しでも平穏と平和を」と願った数時間後に起きた自然災害。
なんという幕開け、2024年。
日本から遠く離れたところにいるから、何もできない。募金くらいしか。
情報も、本当に信頼できる人やメディアでないと、こわくてシェアできない。不安ばかりが煽られる。
どこかで地震が起きると、他のエリアでも揺れると聞く。
実家にいる家族とオンラインで電話をしたあと、わたしの実家の近くでもまた何か起きるのではと何故か想像力をフルに働かせてしまい、一気に怖くなった。
でも、ひとりでいなくて、よかった。
年末年始は、日本からラトビアに来て、それぞれのフィールドでがんばっている友人たちと一緒だったから。
地震の通知があるたび、それぞれ無言でスマホの画面を見つつ、お茶を飲んだりお菓子を食べたり、関係ない話をして笑い合える時間が過ごせて、よかった。
ひとりだったら、落ちるところまで気分が落ち込んでしまっていたかもしれない。
2024年1月2日 自分のことを考えてもいい
昨日に引き続き、まだ日本のメディアアプリから、地震の通知が届く。
さらに羽田空港での事故のニュースが飛び込んできた。
いったい、どうなっているんだ。
しかも新千歳空港から着陸した飛行機だったという。
なぜこんなに立て続けに、悲惨なことが起きるんだろう。
昨日から、気を抜くと、なにかに引きずり落とされそうになる。落ちたら、なかなか戻って来れない深い穴の中に。
しかし、リガはほんのり晴れ。気温はマイナス10度以下と、ここ数日でいちばんの冷え込み。
冬の晴れ間は貴重だから、外に出てお茶をしに。こころなしか、外出している人が多い気がした。
おいしいコーヒーを飲んで、また他愛もないことをおしゃべりして、ずいぶん元気になった。
やっと「新年だし新しくやりたいこととか、ちゃんと考えよう」という気持ちになれた。
前も書いたけれど、自分の未来のことに集中できるのは、とても恵まれていることなのだ。
ふたたび、その事実を痛感しないわけにはいかなかった。
帰宅後、学期末のエッセイのスケジュールと、月末に突如舞い込んできた旅の予定、そして次のセメスターとそのあとのことを、少しずつ考え始めた。
ラトビアに来る前、いくつか勉強してみたいことや、行ってみたい街や国をピックアップしていたのだけれど、それらに関連する情報を再度収集しなおしてみた。
すると「あれ、こんな学校あったんだ」「こんな街があったんだ」という発見があり、「やってみたい」の具体性がほんの少し高まった気がする。
まだ地震は予断を許さず、これからも何が起きるか分からない。
家族や友人と離れて海外に暮らすということは、こういうことなのだ、と思い知った。
それぞれが、それぞれの人生を歩むという決断は、ポジティブな側面では背中を押してくれる。
けれど、未曾有のできごとが起きたとき、あたふたしたところで何もできない無力感と、大事な人たちが傷つけられるのではないかという不安感に襲われる。
物理的な解決策を持てず、感情だけが激しくゆさぶられながら、どうすることもできない状態をじっと耐え忍ぶしかない。
その状況に耐えられるかが、海外で暮らし続けるかどうかの大きな岐路なのかもしれないと思った。
自立したつもりでも、支えられている自覚はあるから、どうしたらいいのか、まだ答えはない。
2024年1月3日 旅に出る!
ファイナルエッセイ(学期末に提出する小論文みたいなもの)の提出が終わったら、旅に出ることにした。
ドイツと、デンマークはコペンハーゲン、スウェーデンのベクショーとストックホルム。
ドイツは、ドイツ人の友人のところへ行く。
コペンハーゲンは、ずっと行ってみたかったから、遊びに。
スウェーデンは、来年度に向けた、さまざまな下心を携えて。
ヨーロッパ圏内で旅ができるのも、居住許可が取れたから。
ラトビアに3ヶ月以上滞在したら、日本のパスポートだけではヨーロッパ圏内でも旅行できない。シェンゲン協定の、ややこしいルールがあるから。
が、しかし! もう旅の自由を手に入れた。
ということで、せっかくだし行ったことのない街へ。
これを自分へのご褒美に、エッセイ執筆がんばろう……!
2024年1月4日 ラトビアの文化
大学から「授業調査に回答してください」というリマインダーが届いた。
回答しないと春学期の授業登録ができないらしい。
散々noteで書いていた、ラトビア語講座の授業について「ラトビア語をラトビア語で教えられても、まったくの初心者は理解できません。例えばわたしの母語は日本語ですが、日本語はラテン語と構造が違い、ラトビアのアルファベットも見慣れないため、一つ一つの文法やトピックについて、ていねいな解説と説明を求めます」みたいなことを書いた。
ラトビアの人たちは、ラトビア語を独立のシンボルとして、とても大切にしている。
わたしも、その気持ちや言語を尊重したいし、言語を勉強するおもしろさも知っているつもり。
でも、誰に教えてもらうかによって、その言語に対する印象が変わってしまう。
「もっと勉強したい」と思えるか、嫌悪感しか残らないかは、先生の影響も大きいのではないかと思う。
せっかく勉強するのに、きらいになるなんて、もったいない。
改善されますように。
年明けから、リガ市内は寒い。
昨日からずっと、マイナス10度以下まで冷え込む。
以前住んでいた北海道下川町では、本当に冷え込むとマイナス30度くらいまで下がっていた。
だからラトビアのほうが、気温自体は寒くないはずなのに、体が感じる冷え込み度合いは、ラトビアの方が強い。
ラトビアで一番高い山は標高約300メートル。ひらべったい。
山がないと、雨水を蓄える蔵がないわけで、地面が全体的に乾いているのかもしれないと思った。素人の憶測なので何の科学的根拠もありませんが。
北海道もまあまあ乾燥していたが、ヨーロッパはやはりもっと乾燥しているのだろう。
でも、だからボディクリームやボディオイルなども選びがいがある。種類もたくさんあるし。
この前行ったパブリックサウナでも、若い女性もおばあちゃんも、みんなクリームを使っていた。
おそらく乾燥が原因で背中やお腹がかゆく、ゆううつになっていたけれど、ラトビアで買ったレモングラスのボディクリームをお見舞いしてみる。効果がありますように。
2024年1月5日 ゲリラピアノ
今日も今日とて、課題。
前髪を切りすぎて、芸人の「もう中学生」みたいになってしまった。
もう30代なんだけど。
午後から、近くのカフェに行って勉強。
家の窓際の断熱が甘くて、冷気が流れ込み、寒いから集中できないのだ。
ヨーロッパの家は断熱最強だと思っていたが、やっぱり建物そのものが古いと、どんなに窓を新しくしていても、寒いものなのだな。
カフェにはアップライトのピアノがある。
今まで何度かそのカフェに行ったことがあったが、弾いている人は見たことがなかった。
けれど、今日は夕方ごろに若い男の子がやって来て、演奏を始めた。
その音楽につられてなのか、今までガラガラだったカフェがお客さんでいっぱいに。
わたしも、何千文字の重たいエッセイを書くのは諦めて、彼のピアノを聴きながら、軽い提出物をいくつか終わらせた。
ゲリラ的に芸術に触れられる機会が好き。冬は、ほぼ公園や街路が使えないから、ちょっとお得な気がして、うれしかった。
わたしの帰り際、熱心に演奏に耳を傾けていたマダムの一人が彼に話しかけていて「カフェにオファーされて弾いているのかな? ギャラは出るのかな?」など考えてしまった。
2024年1月6日 地味day
氷点下20度。ラトビアに来て、一番の冷え込み。
放射冷却で、冷え込むと晴れる。
以前行ったカフェに、ふたたび。
晴れたから、どこまででも歩いていけそうな気分になる。
今日は店員さん以外、誰とも口をきかなかったな……。いよいよ引きこもりが加速する。
2024年1月7日 英語脳の作り方
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