社会人になって海外へ飛び出す意味 #ラトビア日記 44週目
2024年6月24日 遠足、のちHUNTER×HUNTER
友人と、おやつを買ってMežaparkという公園へ遠足へ。
いつか行きたいなと思っていて、けれどなんとなく機会を逃して行けなかった公園。トラムで一本で行ける。
彼女は子どもの頃、何度も来た思い出の公園らしい。
いろんな話をして、公園の近くのカフェでお茶して帰宅。20,000歩近く歩いた。
帰ってきてからはパッキングの続き。荷造りをしていると不安で荷物を出し入れしていた渡航前を思い出した。
最近改めて、見始めた「HUNTER×HUNTER」にハマり、アニメを見ながらパッキング。
ハマりすぎて漫画を買い揃えたい。「ONE PIECE」も追いかけているけど、「HUNTER×HUNTER」は、ラスボスを主人公が倒さないのがいい。
心理戦の描写が多く、負のパワーによって念の力が強化されがちなところや、ホリスティックなシーンは不気味なほどファンシーなのも、サイコじみていて最高(褒め言葉)。
全編英語で見ているから時々設定が分からなくなることがあるけど、同じ単語が何度も出てきて復習になり、結構勉強できる。アニメで日本語を勉強する人が多い理由が分かる。
「セーラームーン」も大好きだから、ご夫婦の漫画セットが欲しい。
おみやげは、スーツケースの隙間に挟まる程度のものしか買えず。次に渡航するときはもう一個スーツケース持ち込みたいな……。
2024年6月25日 リガ生活最終日
リガ生活、第一章最終日。
掃除をし、パッキングをし、ほぼ終わり。早めに寝て、明日早起きして続きをやる。
次、リガに来るのは、おそらく2月。
青々とした緑が揺れる、気持ちいい夏のリガは、しばらくお預け。
まだあんまり、第一章が終わったという感覚がない。
むしろ、次のユトレヒトでのセメスターの準備をしなくちゃという気持ちでいっぱい。
「授業が終わってからしばらく、長文のテキストを読んでないから、毎日一編でも読まなきゃな」とか「オランダは雨が多いみたいだから雨具を買い替えなきゃな」とか。
新しい環境を前にすると、いつもそう。
こころがはやって、いまの状況とうまく向き合えないし、咀嚼できない。
物理的な距離が生まれて、はじめて思い出すことも多い。
帰国したら、わたしは何を最初に思うのかな。
「うどん食べたい」かな(学生時代のバックパッカー旅から帰国したときはそうだった)。
今日はとりあえず、早く寝ます。
2024年6月26日 帰国します
結局、よく眠れずに2時に起きる。
部屋の片付けをし、最後の最後、キーケースに玄関の鍵が入らず焦り散らす。結果、Bolt(Uberみたいな配車アプリ)の運転手さんを待たせ、ものすごく嫌な顔をされる。
リガの空港に着いて、チェックイン時刻になってもぜんぜんカウンターが開かない。結局、ボーディングタイムの90分前に開いた。
そんなものだと思うけど、日本で国際線に乗るならボーディングタイム90分前はあり得ない。近くにいたイタリア人マダムがすごく焦っていて「まだ開かない」「あなたはミラノ行き?」と周りの人に話しかけまくっていた。
無事荷物を預けて、リガから一度、ミュンヘンへ。
リガで「ミュンヘン空港で再度チェックインをしてくれ」と言われ、とはいえわたしが乗るANAのサービスカウンターはミュンヘンには無いため、搭乗ゲートでスタッフが来るのを張り込んだ。
特に何か大きなトラブルはなかったけど、その件で名前を呼ばれた。空港内で名前をアナウンスされたのは初めてだった。
あたりまえだが、日本人が多いなあと思いながら、列に並ぶ。思っていたより、混んでいない。
前の席はスペイン語を話す家族で、息子くんがかわいかった。日本での滞在、楽しんでほしい。
それにしても、ぜんぜんセンチメタルな気分にならないな。海外から帰国するときはだいたい「帰る」ことへ感傷的になりがちなのに、今回は惜しむ気持ちや「やっとだ」という気持ちがない。
なんでだろう。
2024年6月27日 海外暮らし第一章、完結。
羽田空港に到着。
飛行機から降りて、帰ってきたことにもっと安堵するかなと思っていたけど、降りた途端の微かな湿気を感じて「早く次へ行きたい」と思ってしまった。
肩の荷が降りるというより、ラトビアにいた時とは違う荷物を背負い直した感覚。
日本滞在は、骨休めの意味もあるけど、次へいくための助走、みたいな気持ちが強い。
慣れ親しんだ空気、言葉、設備や愛すべき人たちに、いったん心身放り出して浸る日々もあるけれど、いままでの一年より、もっと違う世界を見るための筋トレ期間。
「無事帰って来れてうれしいな」とか「ふーっ」吐息を吐く安堵感が、あまりないのは、まだ東京にいるからかな?
帰国して煩わしいこと。情報のノイズが本当に多いこと。
嬉しいこと。洗濯しやすさで選んだ服だけでなく、繊細な生地を使ったり凝ったデザインの一張羅があるから思い切りオシャレができること。
生ぬるい風も、過剰に肌が露出した女性の広告も、駆け寄って手を振り合う若者の待ち合わせ場面も、制服とか、小さくて甘いスイーツがさまざまな包装紙と名前につつまれて売られているのも、なんの抵抗もなく受け入れている。
日本だから日本人が多いことに、少し違和感。この景色の中で「多様性を尊重し合おう」と叫んだところで、とてもむずかしい。コミュニティの中にいると、一人ひとりへの解像度が高くて、多様さをキャッチできるけど、外にいると、ぜんぶ同じに見えても仕方ないなと思ってしまった。
でもだから、尊重し合える人は本当に素晴らしいとも思う。
母と待ち合わせるため、途中横浜で数時間過ごす。
なんの前情報もなしに、なんとなく歩いていれば、どこに立ち寄ればいいかわかる。何時にどの店が開いて、この店は何の店なのか、歩いている人の会話も、分かる。
一年前、ラトビアに向けて出発した日から、タイムスリップしてきたみたいだ。
わたしのラトビアでの約10ヶ月は、確かに存在しているのに、嘘というか、一瞬の夢だったのかと思うほど、遠い出来事に感じる。
海外で社会人学生をやってみた現時点での反省点と最高な点
企業や組織に属して勤めていると、ある程度給与の見通しがついて、かつ決められた明白なルールがあるから、それらに対する安心感を手放してまで、海外で学び直そうなんて、思わないのかもしれない。
わたしは、その組織に属してルールに従うというマナーが、そもそもあんまり肌に合っていなかったから、海外に行くことにも、大学院に通い直すことにも抵抗はなかった。
だから「海外に行く勇気がないけどどうしたらいいですか」「大学院に入り直すために会社を辞めるのが不安です」という思いに対しては、わたしのケースはまったく寄り添えない。
ということを前提で、約1年間、海外で学生として暮らした日々を、ちゃんと振り返ってみるので、どなたかの参考になったら嬉しいです。
もともとは、「海外で暮らしたい」。その興味から始まった一年だった。
一番大きな収穫だったのは、
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