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ばいばいオランダ、ただいまラトビア #ラトビア日記


2025年1月27日 オランダ人は挨拶好き?

 何歳の頃からか忘れたが、早起きして、おいしい朝食を探すのが、旅先の楽しみの一つになっている。

 オランダを含め、ヨーロッパの朝は、ゆっくりだ。特に冬は。

 わたしが早起きしすぎなのかもしれないけれど。

 昨日の夜、駅の近くのベーカリーをGoogleマップで見つけ、目処をつけておいた。

 着いたベーカリーで、シナモンロールとカプチーノを食べる。

 ユトレヒトより物価が少し安い。

マーストリヒト
マーストリヒト

 そのあと、ユトレヒト市街地から来た友人と合流し、Den Bosch(デンボス)という街へ。

 友人がInstagramで見つけたスイーツ「Bossche bol」を食べるということだけ決めていた。

テニスボールより大きいシュークリームのようなお菓子
デンボス発祥のお菓子で、20世紀初めに考案され、1920年頃には現在の形として定着したらしい

 後から知ったのは、デンボスは、オランダ最古のカーニバルが有名だということ。

 ニアミスでカーニバルの時期は逃してしまったが、昨日のマーストリヒトと同様、アムステルダムやユトレヒトよりこじんまりとしている。

 人口規模のせいか、たまたまなのか、行き交う人同士が手を挙げて挨拶をし、立ち話をする場面に、よく遭遇した。

住宅街沿いの川には大きな船が何隻も停泊していた

 オランダ語が話せないから、単なる推測でしかないが、なんとなくオランダの人たちは、知り合いや友人を見かけたら必ず挨拶して立ち止まり、二言か三言、交わしている印象がある。

 知人を見かけた際、気づかないふりをしない、というか。

 わたしは、見かけた人との関係性によるが、ときどき気づかないふりをする。

 わたしに対する態度だけでなく、街中や大学構内の人たちを数ヶ月観察して、オランダの人たちは総じて、おおらかな印象をいだいた。

 そういえば、バスの降車時、ほとんどの乗客は、運転手に向かって手を挙げる。

 初めて手を挙げて挨拶している乗客と運転手を見た時「運転手さん、みんなと知り合いなのかな。やっぱり日々、定期的に乗っているお客さんなら顔見知りになるのかな」と思ったが、何度か同じ場面に遭遇し「あ、これはお礼の合図なのだ」と気づいた。

 それから、わたしもバスを降車する際は、運転席に向かって片手を上げてお礼を示すようにしている。

 ちなみに、アムステルダムとデン・ハーグでバスに乗ったときは、この合図を見かけなかった。

 ユトレヒト、ならではなのかな?

2025年1月28日 油断した

 喉に違和感を感じ、一日引きこもる。

 もうすぐラトビアに戻るのに、体調不良は勘弁してほしい。

 マーストリヒトで宿泊したホテルが、想定以上に乾燥していたみたいだ。

 油断していた……。

 こじらせないように、ベッドの中でジッとしていた。

2025年1月29日 オランダとラトビア、どちらが好き?

 オランダで暮らし始めてから、何度か聞かれた質問。

 「オランダとラトビア、どちらが好き?」。

 決められない。

 言わずもがな、どちらにも独自の歴史と文化があって、良いところがある。

 例えば家賃は、オランダより、ラトビアのほうが圧倒的に安い。

 物件によるが、アムステルダムの家賃はリガの5倍くらいする。

 5分の1の家賃でも、リガの部屋のほうが広い。

 オランダの家不足は、世界的に見ても深刻だ。

 一方、自転車専用道路が整備されているのは、オランダ。

 ラトビア大学の、ラトビア人のクラスメイトが「本当は自転車通学したけど、道路が悪くて漕ぐのがこわい」と言っていた。

 すべての道路ではないが、石造りの道路がまだ残っているエリアがあり、自転車だと確かにスピードは出しづらい。

 自転車専用道路が整っているエリアも、リガだと限られている。

 食の豊かさは、わたしの視点から見ると、ラトビアに軍配が上がる。

 ラトビア料理が食べられるLidoをはじめ、歴史あるローカル料理のバリエーションが多い。

 オランダでもレストランやカフェはたくさんあるが、ほとんどが多国籍。

 オランダ料理のレストランを、見たことがない(存在するのだろうが行ったことがない)。

 言語もまったくちがう。気候も、人の振る舞いも、歴史も、ぜんぜん違う。

 特に意識しなくても「無いなら無くてもいいし、それがふつう」だと受け取っているきらいがあるから、オランダにいてもラトビアにいても、暮らしに対して強い不満を抱いたことがない。

 もちろん思った通りにいかないことはあるが、海外にいれば、思った通りにいかないのが当たり前だ。

 好みこそあれ、優劣をつけるつもりもない。

 ただただ、リガにもユトレヒトにも受け入れてもらえたことがうれしい。

 一つ、欲を言うならば、ラトビアでも自転車生活は続けたいな。

 ラトビアもオランダと同じくらい、フラットな地形だから、自転車ユーザーには向いているはずだ。

 どこかで格安で譲ってもらうか、借りられないかな。

2025年1月30日 オランダ最終日

 やっと荷物のパッキングを開始。

 余った洗剤や、ほとんど使っていないシャンプーを友人に譲るため、大学まで向かう。

 オランダ生活を支えてくれた電気自動車のサブスクも、今日でおしまい。

合計走行距離は2,320km。どれくらいか測ったら、日本から直線距離で中国や韓国、台湾までも行ける距離だった

 友人の家でおしゃべりして、解散。

 実は、またすぐ彼女とは再会するのだけれど。

 国を超えて、ぶっちゃけ話やジャンルを問わない話を縦横無尽にできる友人ができた。

 ありがとうね。

最近ずっと曇りだったのに、最終日には青空が! 左のポップな装飾の玄関は、ユトレヒト市立図書館
何度も自転車で通った道。大学の図書館もこの道沿いにある

 その後、親しくなったカフェのオーナーさんへ、最後の挨拶をしに。

 素敵な提案をいただき、新たな挑戦にも踏み出せそう。

トルココーヒーの占いもしてもらった。ネガティブな気持ちを抑圧して、次のステップへ向かおうとしている。物理的にも精神的にも距離のある人と背中合わせで座っている。お互い大切な存在だが、現時点では分かり合えていない。近々、遠いところへ思わぬ旅に出ることになるかも、とのこと。

2025年1月31日 ばいばいオランダ

 朝、早起きして空港へ向かう。

 部屋は小さく、ピカピカで清潔な家とは言えなかったけれど、住めば都。

 家は市街地から離れていたから、どこへ行くにも自転車が必要だった。

 突然の雨も多いし、カッパを着るのがデフォルトだったし、多少めんどうだと感じることもあったけれど、定期的に身体を動かすきっかけになった。

最後の最後に太陽出てきて拝んだ

 離陸が1時間以上遅れたものの、飛行機で爆睡したため、ほとんど気づかず。

 知らない間にラトビアに着いていた。

 どんよりな曇り空。見覚えのある風景。

 ラトビアから日本へ一時帰国したときに感じた、浦島太郎のような心許ない懐かしさと、似た郷愁を覚えた。

 新しい部屋に到着。

 エレベーターがないため、合計30キロ以上の荷物を抱え、息を切らしながら階段を上がった。

 到着した部屋は、オランダで借りていた部屋の広さの、3倍くらい。

 家賃は約半分。

 スーパーへ行って、夕食の買い出しをしに行くと、ますます物価の違いを感じた。

 オランダが高いのか、ラトビアが安いのか。

 もちろん、お給料の水準も違うのだけれど。

2025年2月1日 もう恋しい意外な、アレ

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