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プレゲストハウスとして、北海道下川町で民泊事業をはじめます

2017年5月から、わたしは北海道下川町というところで暮らしている。

「縁もゆかりもない土地へ、なぜ?」。

下川へ来てから、何度もその質問を受けてきた。

わたしはその度に、ちょっと困って笑う。

なぜって、理由は簡単。「タイミングが合ったから」だ。

けれど困って笑うのは、その「タイミング」が何の話かと聞かれたら、ちょっと長い話になっちゃうんだけど、それでもいいかな……?と思うから。

「タイミング」の話については参考程度に、過去に書いたnoteをはっておく。抽象度が高すぎてあんまり参考にならないけれど……。
40年前から、ここは"ニッポン"ではない−富山県利賀村とSCOT−
20代折り返しの大冒険。編集者兼開拓者、そして表現者への道

運とタイミングでたどり着いたこの町で、暮らし始めてから1年経った。

そのタイミングを待っていたわけではないけれど、2018年の6月から、プレゲストハウスとして民泊事業を始めることにした。

「なぜ今、民泊事業を始めるの?」

そう聞かれても、やっぱり長い理由を端折って「タイミングが合ったから」と困って笑うだろう。

けれど、今回は少しだけ、その長い理由にお付き合いいただいても、いいですか?

★note公開後から宿泊を開始しました!予約はこちら、もしくはメールをお送りください。
Airbnb:https://www.airbnb.jp/rooms/26283713
Booking.com:https://www.booking.com/hotel/jp/andgram.ja.html
メール:stay.andgram@gmil.com

***

話は、2011年3月11日深夜1:12に遡る。

わたしは、この日、この時間、一人暮らしをしていた自宅のお風呂で、なんの脈絡もなく突然「大学を一年休学して海外へ一人旅に出よう」と決めた。

今でも時間まではっきり覚えているのは、決意した時にお風呂に浸かりながら壁にくっついた時計を見ていたからだ。

そして翌日の日中に、早速どこへ行こうか新宿のスターバックスで考えていたら、あの地震がおきた。

コップやタンブラー、ディスプレイされていた絵や花瓶などがバタバタと頭上から落ちて来て、隣に座っていた女性と目を見合わせて、笑った。

「あ、わたしここで死ぬな」という直感を覚えたとき、人間は笑うんだなあ、とテーブルの下にしゃがみこんで地震が止むのを待ちながら、そんなことを思った。

幸い、わたし自身は怪我をしたり家が倒壊したりといった被害もなく、そこから一年間かけて、一人旅のための貯金をしていった。

2012年6月、いよいよ出発日が近づく中、わたしは一つだけ、自分と約束を交わした。

それは「現地の人の暮らしに触れる、その国の“ふつう”を体験する旅をしよう」ということ。

最初にトルコから入ってブルガリア、ハンガリー、チェコ、ポーランド、マケドニア、セルビア、イスラエル、ドイツ、スペイン、フランス、イギリス、モロッコ、ケニア、エチオピアといった国々を8ヶ月かけて周り、2013年2月に帰国した。

観光地へも足を運んだけれど、基本的に寝泊まりする場所は「カウチサーフィン」というウェブサービスを使って確保した。

初めてカウチサーフィンを使ったのは、ポーランド。首都・ワルシャワで大学教授をする年配の女性の家に泊まった。彼女にホストを依頼したのは、過去に日本に何度も足を運んでいること、ゲストのために個室を用意していること、日本人の女性をホストしたことがあったことが理由だ。

ワルシャワでホストしてくれたエミリア

モロッコの15人家族の所に泊まった時の写真。

(……そういえば、日本の首都がどこかも知らなかったモロッコ人の彼らが「日本では大変な地震があったでしょう、気の毒だったね」と動画を見せてきたとき、わたしはなんだか不謹慎だけどうれしくて、号泣した。

「東京のことは知らなくても、地震のことは知っていて、慰めてくれる」ということが、なんだかもうむちゃくちゃにうれしくて、わんわん泣いた──ということを写真を挿入して思い出した)

ケニアでホストしてくれた家族。
わたしの黒髪ストレートの地毛を始終羨ましがっていたのが印象深い

トルコの女子高生たち。女子会に混ぜてくれた

「危ない目に合わなかった?」という質問も、よく受ける。

けれどカウチサーフィンのホストたちから、身の危険を感じるような事をされた記憶はない。

さらに言えば、カウチサーフィンというウェブサービスを使わなくても「わたしの友人があの街に住んでいるから、泊まりに行くなら連絡してあげる」とか「わたしに親戚が住んでいるから泊まるといいよ」とか、紹介してもらった方の家を転々とすることも多かった。

これも、運が良かったといえばそれまでなのだけれど、本当にホストの人たちに恵まれたと思う。

それに、わたしが「“ふつう”の暮らしを知りたいの」と言うと、地元の友達とのパーティーに連れていってくれたり、家族の買い物に付き添わせてくれたり、一緒に料理をしたり、キャンプをしたり、舞台を見に行ったり、時には学校や職場へわたしを連れて行ってくれることもあった。

わたしが関心を寄せることに対して、とても好意的な人が多かったのだと思う。

「そんなの見てもつまらないよ」とは、一切言われた記憶がない。

自然体で暮らす彼らのようすを見ながら、わたしは「誰かにとっての日常は誰かの非日常であり、それを体感することは、とても価値があることだ」ということを痛切に感じた。

誰かの“ふつう”は、ひるがえって自分の“ふつう”を省みる機会になる。同時に他者に対する「分かり合えない」という事実を理解させてくれ、それでも「わかり合いたい」という気持ちを抱く相手に対して、想像力が豊かになっていくからだ。

「世界中の人々が友達になれば、戦争なんて起きないんじゃないか」と、ついつい安易に思いたくなるけれど、その気持ちもこういう“ふつうじゃないふつう”を体感することで生まれる気がする。

衝撃的な出来事を目の当たりにしても「大したことないでしょ?」というふうにさらりと受け流し、あとになってショックが押し寄せてくる──という「感動の時差」を抱えていることが若干のコンプレックスだったわたしも、今では胸を張ってそう言える。

この一人旅の経験は「“ふつう”という名のたからものを発信したい」という思いにつながった。

その“発信”の方法が、記事を書いたり写真を撮ったりすることではなく「宿泊事業」に着地した、ということだ。

***

ではなぜ「宿泊事業」なのか?

答えはこれまた簡単、「誰もやっている人がいないから」だ。

厳密にいうと、下川町にはゲストハウスという業態の宿泊施設はない。

泊まる場所は、いくつかあるのだけれど、それでもあえて宿をやりたいのは、先ほどの「“ふつう”という名のたからもの」をわたしが国境を越えて誰かに届けたり、わたしが誰かから受け取ったりしたかったからだ。

「ふつうの暮らし」は、多かれ少なかれ固定された場所で営まれるもので、毎日つづけることで「たからもの」として磨かれていくと、わたしは感じていた。

だから、ハード面の場所が必要だった。

さらに、民泊の世界最大のプラットフォームといえるAirbnbには、現時点で旭川より北の地域のAirbnbユーザーが、ほぼ皆無だというのも「場づくりに宿業をやるのは良さそうだ」という思いを後押しした。

現時点(2018年5月14日)でのユーザー数

観光をするとき、おおよその人は面で旅程をつくる。

観光スポットや観光地という点が存在するだけでは、人は動かない。

どこへ行って、さらにあの地域へも行けて、ついでにあそこにも寄れる、という導線や「そこへわざわざ行く理由」がいる。

そのためには点を結んで線に、線を引いて面を作り出すことが大切だと思う。

そして面を作り出すためには、もっと下川町以北のAirbnbユーザーが増えてもらわなくちゃいけない。

だから、わたしはここで「道北のAirbnbユーザー誰もいないよ!!誰か一緒にやろうよー!!!」とめちゃくちゃ宣伝したい。やりましょう。

加えて、「わざわざ行く理由」を作るための布石として、まずはフレンドファンディングpolcaを始めてみたり、こういうnoteを書いてみたりする。

点を結んで作った面を、旅人たちは縦横無尽に飛び回る。

「わざわざ行く理由」は、ほとんどが「確認」だ。

わたしが2016年9月にキューバへ行ったのも「アメリカと国交を回復したキューバはどんな様子なのか」ということを確認するための旅だった(実際はそんな堅苦しいものではなく、フラフラ町中を歩き回ったり音楽を聴いてほろ酔いになっていたりしただけだけど)。

「本当にそんなに美しいのか」「本当に美味しいのか」「本当に存在するのか」。

そうした「確認作業」の動機となるのが「個人の好奇心」だ。

個人の好奇心に後押しされた「確認作業」が、旅をつくりだす。

わたしはこの「確認作業」をかき立てる「個人の好奇心」に訴えかける効力と「人間の好奇心の活力」に対して、絶大すぎるほど信頼を置いている。

それは、SNSが台頭したことで、同じ嗜好を持つ者同士がコンタクトを取りやすくなった(口コミ拡散が爆速になった)ことが理由にあげられるけれど、何よりもわたし自身が知りたいと思ったら距離も時間も厭わず飛んで行くタイプだから、というのが理由になる。

なにもロジックになっていないのだけれど、たとえどんなに少数であってもわたしのようなタイプの人は世界中にいるということは一人旅の経験はもちろん、今まで生きてきて感じている。

「類は友を呼ぶ」。であれば、わたしがその類を体現しよう。声をあげよう。そうすれば、同じようなことを考えている人が集まってくるはずだ、という算段だ。無茶苦茶かな。

「個人の好奇心」を大切にしたいのは、そういった、かなり主観的な理由だ。

けれど、「確認」したくなる「対象」、つまりコンテンツについては、バラエティ豊かにとりそろえたいと思っている。

その話は、ますます長くなっちゃうので、また今度。

最後に、なぜ民泊を「プレゲストハウス」と呼ぶのか、というお話。

まず、わたしは下川町へ「ゲストハウスを開業したくて来た」わけではない。

下川町へ来た理由の一つは「個人の好奇心は距離も文化の違いも乗り越える」という確信を得た上で、それを裏付けるコンテンツと人の流れを、わたし自身がゼロから生み出したかったから、だ。

やりたいことのツールとして、宿業がハマった、と言ったほうが正しい。

また当初は「ゲストハウスをやりたい」という話から派生した話だったけれど、いざ実行に向けて走り出すことになった時分に、特にお金も時間も用意がなかったのと、旅における“面”の重要性を感じていたため、その時点で何十人も宿泊可能なゲストハウスを運営するのは非現実的だと感じた。

であれば、スモールスタートできる民泊を、始めてみようという着地になった。

ここからさらにゲストハウス設立への展開に向けて動き出せるかどうかは、民泊事業で生み出す「わざわざ行きたくなる」コンテンツづくりと、「“ふつう”という名のたからもの」の届け方や工夫の仕方によって決まる、と思っている。

だから6月から始めるプレゲストハウスとしての民泊は、長期的なクラウドファンディングや仲間集めのような意味付けかもしれない。

民泊事業をあえて「プレゲストハウス」と呼ぶのも、そういう理由だ。

つらつらと、いま考えていることをまとめてみました。

まだまだとっ散らかっていることも多いし、各方面へ迷惑をかけていることは百も承知。

それでも、少しずつ、前に進んでいきたいという思いを込めて。

長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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立花実咲|Misaki Tachibana
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