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いろんな意見を聞きたい #ラトビア日記 39週目

2024年5月20日 英語のブログを再開

 はるか昔に作った、mediumのアカウントを、再開することにした。

 毎日、noteでは、メモみたいに書いている日記だけれど、mediumでは日記というより、大学で扱う文献をもとに考えたことをまとめた、コラム中心になりそう。

 noteは完全に日本人向けのプラットフォームだから、もう少しいろんな国のユーザーがいる媒体を使いたくて、mediumに挑戦。

 英語ブログは、実は過去に何度もトライしては継続できずに挫折している。

 けれど、何週間もこの日記を続けていることが、少し自信になった。

 CVを書いているうちに自分の経歴や経験が、海外で通用しないことに納得いかなくて、でも証明できるものが何もないため「だったら日本と同じやり方を試してみよう」と思ったのだ。

 わたしはまともに就活をしなかったが、中学生くらいから続けていたブログがきっかけで、仕事につながっていった部分がある。

 ブログを収益化したわけではないけれど、書き続けているという事実と、書いている内容に興味を持ってもらえたのだ。

 だから口先で「英語で記事が書けます」と主張するよりも、ブログで書けることを証明した方が早いなと気付いた。

 ラトビアで暮らし始めた頃から、英語ブログを再開すればよかったなと思ったが、当時はそんな余裕、一ミリもなかったし、その余裕のなさ自体がネタになるだろうし、おあいこだ。

2024年5月21日 恋する気持ちを止められない

 日本からいただいた仕事の原稿を書きながら、第三者を“取材”する行為について考えた。

 かつて一緒に媒体を作っていた方は「取材相手に恋をする」と表現していた。

 同意する気持ち8割、わたしはどうだろうと振り返って立ち止まって保留にしていた気持ち、2割。

 今回の仕事の原稿を書きながら、わたしの場合は取材相手に憑依するというか、自己を限りなく透明にして、相手に乗り移るような気持ちになることが多いと気付いた。

 もちろん完全憑依はできないのだけれど、文章を書くときは自分の五感の毛穴のようなものをゆるめ、相手の声や身体に身を委ねる感覚がある。

 実際、書いていて本当に目を瞑っていることがある。と、さっき気がついた。

2024年5月22日 仲間募集

 いつのまにやら、5月もあと約1週間。

 なんてこった。

 授業は、最後に修士論文につながる1コマが残っているだけで、あとはひたすらエッセイを書きまくる日々。

 また、誰とも会話せずに一日終わる日々がやって来た。

 きらいじゃないけど、あまりにも続くのも、どうかと思う。

 ますます日が伸びて、22時過ぎにやっと暗くなる。

 来月の今頃は、きっと23時くらいもまだ明るいのだと思う。

 日本への一時帰国も間近。予定が入り始めた。

 その予定のうちの一つは、石川県へのボランティア。なんとなく「行かなければ」という気持ちになったから。

 元旦に起きた震災。いまだに、瓦礫や倒壊した家屋がそのままになっているという。

 日本で天災が多いのは、今に始まったことではない。

 しかし、公共の対策・対応が後手になっている印象が拭えない。

 本当に後手なのか、現地で暮らしている人が何を思い、何を必要としているのか、いま起きていることを、自分で確かめたかった。

 最近、どこもかしこも、きな臭い。

 だったらせめて、わたしの半径1キロの平和は、せめて自分で積極的に守りたい。

 「世界を平和に」なんて無邪気に叫べるほどお気楽じゃない。

 でも、「一人が行動したところで何も変わらない」と思考停止するほど無気力にもなれない。

 いつもセーフティネットを探してばかりだったけれど、学問を受けられる立場の強みは、ネットワークを紡ぐ一人になれることだと、確かめたいから。

 そうでもしないと、学問がただのひまつぶしみたいに捉えられるの、耐えられない。

 誰か一緒に行きたい方、いらっしゃったら、連絡ください。

2024年5月23日 かなしみがこころを侵略して来たら

 天気は連日晴れだけれど、エッセイを書いてばかりで、しばらくまともに人と会話していないことに気づく。

 気分転換に、リガの中央市場へ行ってみた。

 冬の10倍活気がある。今はイチゴやルバーブ、ブルーベリーが旬みたい。山盛りで売られている。

 この市場は、観光客も訪れるが、地元の人もよく利用しているみたい。

 正面の入り口から少し奥に入ったエリアは、ロシア語圏の人たちが営むお店、というふうに分かれている。

 あらかじめ、そういう区分けだったのか、なんとなく分かれたのかは不明。

 「ときどきスリがいるから気をつけて」と地元の人にも注意されたことがあるくらい、いろんな人が集まって賑わう。

 野菜やくだもの、どれもこれも色とりどりで瑞々しい。

 中でも、たくさん花が咲いているのを見ていたら、元気が出た。

 目がぱちぱちするほどの鮮やかさ。待ってましたとばかりに、思い切りバンザイするように咲いている。

 日本に帰るから買えないけれど、しばらくこの花卉コーナーをぐるぐる回っていたら、ちょっとだけ気分が復活した。

2024年5月24日 遠くへ行きたい

 毎日、エッセイを書く日々。

 リガでの暮らしが、良くも悪くも板についた。

 大学に行かない日が続くと、目の前のことに追われて、気づいたら一日が終わっている、という有様。

 エッセイを書くのは大変だけれど、嫌いじゃない。

 とはいえ、ちょっとマンネリ化してきて、集中力も持続しにくくなってきた。

 どこか遠くへ行って、そこで数日滞在しながらエッセイを書こうかな。

 とはいえ、未曾有の円安で、あまり贅沢はできない。

 もうこのまま、1ユーロ200円まで下落するのだろうか。

 経済がすべてを語るわけではないけれど、日本への期待と信頼の下落が、そのまま円安に現れている気がして、落ち込んでしまう。

2024年5月25日 社会主義への興味

 他の国に暮らしたことがないから分からないけれど、わたしは最初の一歩にラトビアを選んでよかったなと思う。

 ラトビアはEUの加盟国の一つ。そして、旧ソ連圏。

 今でこそ欧米特有の男性性が強めの雰囲気も感じるが、長らくその支配・搾取の対象だった国でもある。

 さらに、社会主義圏だったという背景が、想像以上に興味深い。

 恥ずかしながら、ラトビアに来るまで、社会主義に関する知識も興味も、ほとんどなかった。

 「社会のあらゆるものをなるべく全員で共有し、貧富の差をなくそう」程度の認識だ。

 けれど、どことなく日本の同調圧力や、中空構造に似た社会への認知を感じる。

 中空構造についてはこちらのブログが分かりやすかったので、気になる方はどうぞ。

 日本の人々は、ソーシャリズム(社会主義)やコミュニズム(共産主義)に対して、どういう印象を持っているのだろうか。

 いつも行く公園で原稿を書いていたら、突風。

 ほこりとともに雨粒も混ざっている。空を見上げると、分厚めの雲がいつの間にか太陽を隠している。

 ラトビアは山がほぼなく、全体的に平らな地形。

 いい風が吹くと気持ちがいいが、ほこりもまあまあ舞う。

 今日の夕方の突風も、サングラスをかけていないと目が開けられないほどだった。

 公演の芝生で日光浴していた若者たちも、急いで退散。ずっと晴れの日が続いていたから、久々にグレーの空を見た。

 帰宅したらすぐ雷も鳴り始めて、一気に梅雨のような雨。明日は晴れるかな。

2024年5月26日 ドM

 日本への一時帰国まで、あとちょうど1ヶ月。

 帰国したとたん、体調を崩さないか心配だ。

 あまり円安円安と繰り返したくないけれど、9月からオランダ暮らしになるから、なるべく日本でも仕事をしてから、ヨーロッパに戻りたい。

 オランダの物価は、ラトビアの3倍くらいだと覚悟している。家賃はすでに、5倍以上。胃が痛い。

 ラトビアではコーヒー一杯、3ユーロで十分だけれど、オランダはおそらく最低5ユーロだろう。

 ちなみに今日現在で1ユーロ170円台を突破したため、そのへんのカフェのコーヒーが800円から1,000円くらいすると思った方がいいかもしれない。ひえー。

 なぜ誰からも頼まれもしないのに、胃が痛い思いをしてまで、高いハードルを目指して体当たりするのか、自分でも意味が分からない。ドMなのかな。

今週の雑記: “分からない”から始まる

 すっかり政治・経済・戦争のニュースを追っているせいで、ネット上のわたしのタイムラインは、ことごとくそれらで埋まっている。

 知らなければ分からないことだらけで、より知ろうとすればするほど、理不尽にグーパンされる気分。

 結局、2020年代も、一部の金持ちと権力者の鶴の一声で世の中が動いてしまうのだ。

 数世紀経っても、その世界線がひっくり返らないなんて、うんざりせずにはいられない。

 ただ、同じくらいうんざりするのは、分からないものを極度に恐れるあまり、自分と異なる意見を持つ人たちへの迫害と、その恐れから引き起こされる現実への無関心だ。

 心を守ることは大切だ。

 毎日戦争のニュースばかり見ているわけにはいかない。

 わたしもゴールデンレトリバーの動画を見たり、最近興味があるモンゴルや中央アジアの絶景写真を見たりして、バランスを保っている。

 「分からないから何も言えない、言いたくない」と、無言を貫いたところで、本人の意思とは関係なく、無言の集団は暴徒化する。

 SNSでは自己主張しない人もいるし、主張しなければならないとも思わない。

 でも、だからこそ、対面で会ったときは、なるべく政治のこと、経済のこと、戦争のこと、どう思うのか、いろんな人に聞いてみたい。

 「分からない」「考えたこともない」「考えたくもない」という答えでも、いいと思う。

 それが真実だから。真実に、優劣はない。わたしの知識だって、かなり偏りがある。

 でもそのバイアスを放置したままにしておくと、いつか、世の中の理不尽に蹂躙される気がしてならない。

 「分からない」と口に出すことから、自由を獲得する未来が拓けるはずだ。

 ふだん「今週の雑記」はとりとめのないことを書いているため有料にするのだけれど、いろんな人たちの話を聞いてみたいから、無料にしてみました。

おまけ: マーケットで見つけたもの

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